「1億総スポーツ社会」という目標のために部活動が過激化したり、スポーツに対して消極的な人が迫害されるようなことがあってはならない。

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「1億総スポーツ社会を実現」 基本計画を答申  :日本経済新聞によると、スポーツ庁長官の諮問機関であるスポーツ審議会が答申した「第2期スポーツ基本計画」では、「1億総スポーツ社会」の実現を目指すようです。ただ、それによってスポーツをしない人・消極的な人が迫害されるような事態にはならないようにしなければなりません。

もくじ

  • 「1億総スポーツ社会」を実現する過程で犠牲者が生まれるような悲劇は避けねばならない
  • やろうとしていることは素晴らしいかもしれないが、国家として取り組むならば一定の配慮が必要だ

「1億総スポーツ社会」を実現する過程で犠牲者が生まれるような悲劇は避けねばならない

第2期スポーツ基本計画については、「第2期スポーツ基本計画(答申)」(PDF)に答申内容が書かれています。それによると、

  • スポーツが「嫌い」・「やや嫌い」である中学生を半減する(16.4%(2016年度)→8%)
  • 自主的にスポーツをする時間を持ちたいと思う中学生を8割に増やす(58.7%(同)→80%)
  • 成人のスポーツ未実施者(1年間に一度もスポーツをしない者)の数がゼロに近づくことを目指す
などの数値目標が掲げられています。

後述するように、スポーツ庁がやろうとしていること(スポーツによる社会貢献)自体は素晴らしいものだと思います。スポーツの力をうまく利用して健康寿命を伸ばすことも、それによって医療費を抑制することも社会には必要なことですし、スポーツを通じた国際交流によって「多様性を尊重する世界」の実現を目指すことも必要です。ただ、「1億総スポーツ社会」の名のもとにスポーツ(オリンピック・パラリンピック)に関わることが当然であるかのような空気を作り、そしてスポーツに対して消極的な人が迫害されるような社会が作られるような事態は、絶対に避けなければなりません。

「スポーツ」して、いますか? ――「教養」の来た道(159) 天野雅郎 | 教養の森によると、「スポーツ(Sports…単数形Sport)」という言葉は、「娯楽」「冗談」などの意味で使われていたそうです。スポーツ – Wikipediaなどからも察せられるように、スポーツは「楽しむもの」であり、決して空気あるいは国家により強制されるものではありません。楽しくもない運動を延々続ける苦行≠スポーツです。

それなのに、掲げられたものは「1億総スポーツ社会」です。いかにも「国民は皆スポーツに取り組め!」と言いたげなタイトルではありませんか。そして、数値目標でも「スポーツをしない成人の数をゼロに近づける」「スポーツ嫌いな中学生の半減」などを目標として設定しており、スポーツが嫌いな人・スポーツに対して消極的な人に対する迫害が始まらないか不安に思います。様々な問題点が噴出している部活動についても、スポーツ庁の方針によってより過激化し、部活問題の解決が遠のきやしないか戦々恐々です。スポーツは「楽しむもの」なのですから、国家レベルで国民に対して「スポーツをしろ!」と強制するような目標を設定するのは流石にマズイのではないかと思います。

やろうとしていることは素晴らしいかもしれないが、国家として取り組むならば一定の配慮が必要だ

スポーツ庁がやろうとしている事自体を見れば、必要なこともたくさん盛り込まれていますし、素晴らしい点もあります。

  • 障害者、女性、外国人その他あらゆる人が分け隔てなくスポーツに親しむことで「心のバリアフリー・共生社会」を実現する
  • スポーツを楽しみながら適切に継続し、健康を増進して健康寿命を伸ばす
  • 健康寿命を伸ばすことで医療費を抑制する
  • スポーツを成長産業化し、経済にも貢献する
  • スポーツを通じた国際交流によって「多様性を尊重する世界」の実現を目指す
など、第2期スポーツ基本計画の答申には今後の社会を維持するために必要なこと、目指すべき理想が盛り込まれています。

ただ、国家としての目標で「1億総スポーツ社会」を掲げるのは、少々マズイのではないかと思います。余暇の使い方は人それぞれなのですから、「スポーツをする自由」と「スポーツをしない自由」は二者択一ではなく、両方が確実に担保されなければなりません。

参考リンク

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