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待機児童問題をどうにかするためには、ベビーシッター等の活用へかじを切り、保育サービス利用者に補助金を出すという手もある。

投稿日:2016年02月23日
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待機児童問題について、「保育園落ちた日本死ね!!!」「保育園の第一志望受かったけどやっぱり日本死ね」(いずれもはてな匿名ダイアリー)と言ったエントリーが盛り上がったり、それに対する「「保育園落ちた日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由 | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト」といった記事が投稿されたり。待機児童問題は相変わらずのようです。

ハコモノは造った後の管理があるから、財政難な自治体は新造を躊躇する。つまり保育所の新設は難しい。小規模保育やベビーシッター等の活用に転換しなければならないだろう。

  • ハコモノは、造ってハイおしまいではない(新造コストも高いが)。取り壊すまでの間は適切に管理しなければならない(お金がかかる)し、取り壊しにもお金がかかる。だから財政難な自治体としては、これ以上保育所を新設したくないというのが本音であろう。
  • そんな中で保育サービスの需要に見合う供給を作り出すには、小規模保育やベビーシッター等を活用する方向に舵を切る必要がある。利用者側に補助金を出し、保育所に行くことになってもベビーシッターを依頼することになっても、子育て世帯の経済的負担を軽減できるようにしなければならない。
  • そもそも保育サービスの需要に対して供給が少ないのは、保育士(など)の待遇があまりにもひどすぎるから。保育士の月給を一律で10万円上げるくらいのことは必要だと思う。給料と休みを増やせば、それなりに人は集まるはず。
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「昔はもっと大変だった」はある種の思考停止ワード。我慢比べ、足の引っ張り合いはもうやめよう!!

投稿日:2016年02月22日
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若者をdisる時、あるいは大変だったものをもっと楽にできるようにしようとする時(例:残業があったものをきちんと定時に帰れるようにする、育児休業や保育所の利用etc)などに、それなりの確率で「昔はもっと大変で云々」と言い出す人が湧いてきます。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、いわゆる「老害」にカテゴライズされると思います。もう足を引っ張り合ったり、我慢するのが美徳な時代ではありません。

時代が変わればやり方も変わる。必要なのは合理的な変化であって、我慢比べや奴隷の鎖自慢、足の引っ張り合いではない!!

  • 大変だったものが楽にできるようになることは、大変喜ばしいことである。これまで強いられていた労苦から解放され、また一つ暮らしやすい世界に向けて前進するのだから。
  • 時代が変われば、物のやり方だって変わってくる。変化し続ける環境に適応して生き残るためには、人間そのものも、物のやり方も、環境に適応する方向で変化していく。足を引っ張り合っていても、やり方は改善されず、大変なことは大変なまま残り、やがて自らを破滅へ追い込んでしまう。いい加減足の引っ張り合いや我慢比べが害であることに気づくべき。
  • 我慢することは美徳でもなんでもない。我慢のし過ぎは身体に毒だ。足の引っ張り合いや我慢比べ、奴隷の鎖自慢をやめて、現状を改善していく必要があるのではないか。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、社会が変化していることに気づいていない人だ。
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子供はどのような環境の家庭に生まれてくるかを選べない。だからどのような環境の家庭に生まれても大丈夫なように、セーフティネットを構築する必要がある。

投稿日:2016年02月21日
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社会保障には財源の問題がつきまといますが、せめて高校卒業まで(できれば大学卒業まで)の年代の子供はきちんと守れるようなセーフティネットが必要だと思います。

どのような家庭環境の子供でも、まともな生活ができてまともな教育を受けられるようにすることが必要なのではないか?

  • 当たり前のことだが、子供は自分の意志でどの家庭に生まれてくるかを選ぶことはできない。大金持ちの家に生まれてくるかもしれないし、毎日の食事にも難儀するような家庭に生まれてくるかもしれない。
  • どのような環境の家庭に生まれても、まともな生活ができて、まともな教育を受けられるようにすることは、未来ある子供に等しく挑戦の機会を与えることである。それが機会平等の保障ということだと思う。
  • 全世代対応型のセーフティネットはもちろん必要だと思う。だが、子供に対するセーフティネットは、もっと充実してもいいと思うし、もっと充実させる必要があるのではないかと思う。
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「お金=悪」ではない。自分が生活するお金を稼げなければ、雇用を生み出すこともできないのだから。

投稿日:2016年02月20日
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キレイゴトぬきにリアルを見れば、現代社会を生きる上では、どうしてもお金は必要になってきます。お金を稼ぐことは、決して悪いことではありません。全力でお金を稼ぎ、それを原資に新しい仕事を生み出し、雇用を創出する人だっています。お金を稼いでいる人を叩く人もいますが、それこそ経済を萎縮させる原因だと思います。

自分が生活出来るだけのお金を稼げなければ、人をきちんと雇うことなんてできるわけがない

  • 現代社会においては、お金を稼ぐことはどうしても必要不可欠。お金がないと生活が立ちゆかなくなるから。
  • 人に雇われることで生活資金を稼ぐ人も多い。会社員はその最たるもの。だが、それが成立するためには、お金を稼いで、他人を雇う人(団体)の存在が必要だ。
  • 人を雇うならば、労働基準法は最低限遵守しないといけないし、雇っている人の生活を左右できてしまう立場にいる覚悟も必要になってくる。これは副業を推奨することである程度緩和されるが。ともあれ、人を雇うにはお金と覚悟が必要なのだ。
  • お金を稼いでいる人を叩く人は確かに存在するが、叩くほうがおかしいと思う。足を引っ張っていては、経済は萎縮し、叩いている本人の生活も立ちゆかなくなる。
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「やる気がないなら帰れ」という叱責のテンプレは、ただ相手を怒りたいだけかもしれない

投稿日:2016年02月19日
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日本において、相手(特に部下や後輩など)を叱責するときの古典的なセリフに、「やる気がないなら帰れ」があります。しかし、このセリフが要求するのは、「帰れ」→「嫌です」→「駄目だ帰れ」→(中略)→「次はないからな!!!」という面倒くさい茶番だったりします。めんどくさすぎて反吐が出ます。

「やる気がないなら帰れ」?ブラック企業を生み出すセリフにしか思えない。相手を萎縮させても改善はされない。効率が落ちる。

  • 「やる気がないなら帰れ」のセリフを放っても、相手は内心で「嗚呼またあの茶番かよ」としか思わない。やる気は失せ、「怒られないように何もしないでおこう」となってしまう。その結果、効率は落ちる。
  • 怒られる方からしてみれば、怒ってる人が何を思っているかなんて知ったこっちゃない。「やる気がないなら帰れ」と言われれば、条件反射で「あの茶番をやらせたいんだな」と認識する。怒ってる人が怒りたいから怒ってるんだなとしか思わない。まずかったことを改善して欲しければ、まずかった点と改善策を示す必要がある。「やる気がないなら帰れ」のセリフには、まずかった点も改善策も込められていない。悪意100%。
  • 昔はこのセリフでよかったのかもしれないが、時代が変われば適切な怒り方だって変わる。「やる気がないなら帰れ」のセリフは、現代では全く通用しないだろう。
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集団としてみると悪印象。個人としてみれば好印象。集団と個人の評価を切り分けることはなかなか難しい…

投稿日:2016年02月19日
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ある人が所属する集団は印象が悪くても、その人個人としては好印象だったりすることがあります。人を見る時のジレンマです。集団と個人の評価を切り分けることが難しいと感じるのは私だけでしょうか…

個人としての評価と集団としての評価がごちゃまぜになると…すさまじいカオスになる

  • 例えば何かしらのいけ好かない団体と、その団体に所属している親しい友人がいたとする。いけ好かない団体の評価は最悪。だがそこに所属している友人を個人としてみれば好印象。ここでジレンマが発生してしまう…人の世は難しいものだ。
  • 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(あるものや人を憎むとそれに関連するもの全てが憎くなってくること)」の諺通り、いけ好かない団体が憎ければ、それに関連するものが全て憎くなってきてしまう。でも団体のことを抜きにして個人としてみれば、その人の印象は悪くなかったり。一体どうすればいいというのか。
  • この辺のことを考え過ぎるとどうしようもないから、どこかで考えるのを打ち切ることになる。が、問題は全く解決していない。
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