リソースが限られている以上、何かを追加するなら何かを減らさなければならない。社会保障分野でもそうだし、教育分野でもそうだ。

人間が使用できる資源には、有限であるものが多いです。例えば時間は1日につき24時間であり、これを捻じ曲げることは出来ません。お金も無限に湧いてくるわけではないので、際限なく使用することは出来ません。限られたリソースをやりくりする以上、何かやることを追加するには、何かをやめる決断をすることになります。社会保障分野でも教育分野でもその他の分野でも同じです。

社会保障に際限なくお金を投入するわけにはいかないし、学校で教える内容を増やしすぎても時間が足りなくなるだけである。何かを取り去らなければならないことだってあるのだ。

  • 使用できる時間やお金には限りがある。限りがある中でやりくりをするわけだから、何かを新しくやろうとしたら、何かをやめなければならないこともある。何かをやめる決断ができなければ、財政破綻したり時間が足りなくなったりする。
  • 社会保障分野では、財政破綻を避けるためにはある程度の収入や資産がある人には負担をお願いし、集めた税金や保険料の範囲内で給付を行わなければならない。借金の増加を食い止め、将来世代への負担の先送りを止めなければならない。そのためには、様々な既得権にメスを入れざるをえないだろう。これ以上若者世代・将来世代の負担を増やしてはいけない。
  • 教育分野でも、これ以上教えることを増やすというのでは時間が足りなくなってしまう。かと言って休日を削ったら体のメンテナンスの時間が足りなくなるし、学校での勉強以外のことに割く時間が減ってしまう。やるべきことは厳選し、時間内に収まるようにしなければならない。時には「何をやらせるか」ではなく、「何をやめるか」の話をする必要がある。

時間もお金も無限に湧いてくるものではない。何かを始めるために、何かをやめることが必要になる場合もある。

皆様も御存知の通り、時間もお金も無限に湧いてくるわけではありません。どんな人も1日が24時間であるという制約から逃れることは出来ませんし、お金も収入を気にせず使いまくれば、借金が増えすぎて破産する恐れがあります。何か時間やお金がかかることを新しく始めようとしたら、これまで行われていた時間やお金がかかる何かをやめなければならないこともあります。

何かを取りやめにしようとすると、「既得権」が大きな壁になることがあります。例えば大阪市では、高齢者向けに「敬老パス」が発行され、これによってバス等で運賃が優遇されていました。かつてはバス乗車が完全無料でしたが、かの橋下徹氏率いる大阪維新の会が抵抗勢力と戦い、なんとか1回50円の負担を引き出すことに成功しました。最も、橋下氏は当初、敬老パスの「廃止」を主張していたそうです。しかし、既得権にしがみつく抵抗勢力の力はあまりにも大きく、ついには橋下氏すら完全廃止を放棄し、「1回50円」という妥協案で折れざるをえなかったそうな。

この件にも、既得権にメスを入れることの難しさがよく現れています。その結果、既得権は放置され、「何をやめるか」の議論が行われることなく「何を始めるか」の議論が行われ、やることが積み上げられてきたのでしょう。しかし、これ以上やることを積み上げるのは限界が来ていると思います。

社会保障分野…若者世代・将来世代の負担を減らすためには、年齢にかかわらず収入や資産がある人には負担をお願いしなければならないし、既得権にもメスを入れなければならない。

日本において、社会保障の予算が年々大きくなっているのはもはや周知の事実です。現役世代の方は、厚生年金や健康保険、介護保険等の保険料の値上げや増税などでこれを実感している方も多いのではないでしょうか。「もう年金なんて信用できねー!!貰えるかもわかんないのにクソ高い保険料なんざ払ってられるか!!それより年齢問わず低所得者向け家賃補助を(ry」という方もいるかと思います。

これまでは年齢で区切り、「現役世代」にカテゴライズされる人のみに大きな負担をお願いし、「高齢者」にカテゴライズされる人には一律で手厚い給付をしてきました。しかし、この構造に変更が加えられずに少子高齢化が進行した結果が、現役世代の保険料地獄と社会保障費の肥大化、そして年金不信であるように思えます(年金不信は数々の不祥事も原因なのですが)。

これからは、年齢にかかわらず(高齢者であっても)収入や資産がある(=負担能力がある)人には等しく負担をお願いし、年齢にかかわらず困窮している人を支え、そして自立を促すシステムを構築する必要があると考えます。保険料や税金で賄える範囲内で給付を行い、借金という形で将来世代に負担を先送りすることは止めなければなりません。そのためには、既得権にもメスを入れなければなりません。

教育分野…教えることを増やし過ぎると時間が足りなくなる。教えること・やることは厳選しなければならない。

教育分野でも、「英語をもっと教えるべき」とか、「プログラミング教育を行おう」など、「何をもっとやるべきか」については盛んに議論される一方で、「何が不要か・削るべきか」の議論はあまり行われていないように思います。しかし、時間は有限です。休日を削るにも限界がありますし、休日を削ったら体のメンテナンスや勉強以外のことに割ける時間が減少するので、安易に休日を削ることは慎まなければならないでしょう。

そうなれば、何かを追加するときには、「何を削るか」をセットで決めなければならないと考えます。教えること・やることは厳選し、最小の負担で最大の効果を望めるやり方を目指すべきです。やることはきちんと時間内に収まるように設計し、無駄に休日を削り去るような事態は避けなければなりません。

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