母語と労働環境、ゆとりを犠牲にしてまで外国語を強化せねばならないというのか。

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2020年度に導入されるという次期学習指導要領では、小学校から英語教育を本格的に行うといいます。しかし、そのために時間的なゆとりはますますなくなり、教員と児童の負担が増えることがほぼ確定してしまいます。確かに英語ができることは大事かもしれませんが、流石に代償が大きくなりすぎている気がします。

もくじ

  • 母語の力を削れば難しいことを考えることが困難になり、授業時間を増やせば児童と教員が疲弊する
  • 母語の力を伸ばして難しいことを理解できるようにしなければ、英語ができても世界とは戦えないのではないか

母語の力を削れば難しいことを考えることが困難になり、授業時間を増やせば児童と教員が疲弊する

次期学習指導要領により、小学校でも5年生からは英語が「教科」として必修化されます。また、次期学習指導要領はいわゆる「脱ゆとり教育」路線を継承しており、教える内容が増えることはあれど、減ることはないようです。

となれば、いかにして授業時間を作るかが問題になります。文科省の有識者会議では

  • 15分授業×3回/週を行って週1コマ(45分)増に対応する
  • 60分授業(45+15)を何回か組み込んで週1コマ増に対応する
  • 土曜日授業や長期休業の削減によって週1コマ増に対応する
などの案が示されていますが、どの案を採用しても児童と教員の負担が増える地獄コースです。ただでさえ忙しい教員の労働環境をこれ以上悪化させてしまっては、優秀な人材ほど教員を目指さなくなることは火を見るより明らかです。児童も長時間学校に拘束されることになりますから、時間的なゆとりがさらに失われ、学校の勉強以外のことをする余裕が失われます。

また、英語学習の負担が増加すれば、多くの児童の母語である「日本語」の能力を伸ばすためのエネルギーが減少し、母語の能力が低下する可能性もあります。

多くの日本人は日本語を母語(第一言語)とし、幼少期から日本語に慣れ親しんでいます。そして、多くの人は大人になった後も母語(多くの日本人の場合は日本語)を思考の基盤とし、母語という土台の上に英語などの第二言語(外国語)を積み上げていくことになります。もちろん外国語以外の勉強(数学など)をする時も、母語で物事を考えます。

このように、母語の力はすべての学びの基盤と言っても過言ではない能力です。母語という土台が脆弱なものとなってしまえば、中学、高校と進むうちにどんどん高度になっていく学習内容についていくことは難しくなるでしょう。学校で行う勉強以外のことに興味を持っても、それを理解することも難しくなるかもしれません。小学生のうちから英語にリソースを優先的に配分することで日本語(母語)の能力を犠牲にしてしまえば、高度な人材が育たなくなってしまうでしょう。一億総愚民化政策です。

母語の力を伸ばして難しいことを理解できるようにしなければ、英語ができても世界とは戦えないのではないか

結局のところ、英語を話せるようになってもその他の力が育っていなければ、世界と戦うことは難しいのではないかと思います。たとえ英語を話せても、研究発表の場で発表をするためには何かしらの研究が必要であり、それがなければ戦いの土俵には上がれません。そして、話す内容となる研究は(少なくとも日本では)母語で行われることが多いはずです。

仮に英語ができなくとも、発信する内容(研究成果など)をきちんと母語でまとめることができれば、翻訳家さんに英訳してもらえば世界に向けて内容を発信することはできます。しかし、有能な翻訳家をもってしても、発信する内容がなくてはどうしようもありません。そして、発信する内容を考える基盤となるのは母語の力です。

よって、やみくもな英語教育の強化は国際競争力の強化には繋がらず、むしろ国際競争力を低下させるのではないかと考えます。まずは母語の能力という土台をしっかりと作り上げなければ、高度な研究も何かを創造することも難しいのではないでしょうか。母語という土台があってこそ、第二言語の力は生かされます。

参考リンク

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