いじめの内容は犯罪そのものだったりする。いじめ(という名の犯罪)が発生したら、一切の躊躇なく警察を投入すべきなのでは?

以下のツイートは、いじめ問題を語る上で重要なものだと思います。

人を殴れば暴行罪。ものを奪えば窃盗罪。警察の介入を阻止するために、「いじめ」の一言で括ってしまう辺りに、日本の学校システムの闇がある。

  • 学校内と学校外で、犯罪行為の取り扱いが違う謎現象が起きている。例えば、人を殴れば暴行罪だが、学校内だと「いじめ」の一言で有耶無耶にすることがままある。学校外でやったら警察行きなのに。少年法があるとしてもこんなの絶対におかしい。
  • 学校には治外法権がある。領事裁判権もとい先生裁判権。独自の法体系(文書化されていないことがまれによくある)で、学校内を統治しているのだ。だから生徒の意に反して部活動を強制するし、暴行事件を「いじめ」の一言で片付ける。これだからいじめ問題も部活問題もなかなか解決しない。治外法権なくせ!!先生裁判権死すべし!!
  • 学校治外法権、文書化されていない法による統治、頑なに警察の介入を拒む隠蔽体質。これが日本の学校の真実だと思う。学校治外法権は今すぐ無くなるべきだし、これまで「いじめ」の一言で片付けてきた犯罪案件も、一切の躊躇なく警察を投入して取り調べなければならないだろう。そうでもしないと学校に平和は訪れない。

理不尽な先生裁判権と、犯罪隠蔽を可能にする「いじめ」という言葉。

どこかの繁華街か何かで、BさんがAさんを殴ったとします。

Aさんを殴ったBさんは、暴行罪で警察に捕まりました。ごく当たり前のことですね。しかし、これが学校内だと、まれによく先生裁判権が発動し、警察は暴行事件が学校内で起こったことを一切関知しません。知らされていませんので。例えば生徒Dが生徒Cを殴ったら…(一部私の注釈が入っています)

これが悪名高き「学校の治外法権」と「先生裁判権」です。この場面で、生徒Cは「暴行罪被害者」になりますし、生徒Dは「暴行罪加害者」=「犯罪者」です。しかし学校だと、「暴行罪」のところが丸々「いじめ」に置き換えられ、生徒Cは「いじめ被害者」、生徒Dは「いじめ加害者」になり、同時に生徒Dが「犯罪者」ではなくなってしまうという、なんとも無茶苦茶な害悪システムが運用されてしまうのです。被害者の保護はどうやって行うつもりなのでしょうか。生徒Cと生徒Dが同一空間に配置されないような配慮はあるのでしょうか。

「いじめ」はある意味で危険な言葉です。「いじめ」という言葉が使われることにより、犯罪行為があたかも犯罪ではないように扱われ、被害者の保護が十分に行われなくなってしまうことがまれによくあります。実態は完全な犯罪なのに警察の取り調べが一切行われない。理不尽です。

いじめ(という名の犯罪)が起きたら警察を呼ぼう!!先生裁判権は全廃せよ!!いじめ犯罪が起きたら警察へ!!

いじめの中身は犯罪です。なので、いじめが起きたら、先生ではなく、警察を呼ぶべきなのです。「子供のいじめごときでそんな大げさな」と思う人もいるかもしれませんが、いじめが発生して警察を呼ぶことは、決して不自然なことではありません。むしろ、いじめが発生しても警察を呼ばなかった過去のシステムが不自然極まりないのです。

家に泥棒がはいったら、当然警察を呼ぶと思います。このとき泥棒は、「住居侵入罪」「窃盗罪」を犯しています。「誰かが犯罪を犯す→警察を呼ぶ」という流れですね。いじめの時も同じです。いじめが発生したら、いじめ加害者は、「暴行罪」「強要罪」「窃盗罪」(内容により様々。参考サイトいじめの中身は、犯罪です | いじめ対策総合サイト)などの犯罪を犯しています。なので、いじめの場合も、「誰かが犯罪を犯す→警察を呼ぶ」という流れが成立するのです。よって、いじめが発生した時には警察を呼ぶのが自然な流れであることは、ご理解いただけるかと思います。

これまでの、いじめ(犯罪)を学校内だけで解決しようとする体制は、非常に不自然で、矛盾に満ち溢れ、数多の被害者の心を踏みにじり、多くの人の犠牲の上で運用されてきたと思います。しかしそれも、もう終わる時です。というか3秒以内にこの古きいじめ対処法を強制終了しなければなりません。いじめが起きたら、警察を呼ぶのです。学校内といえども、司法の介入が求められているのではないでしょうか。

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