人それぞれに「道徳」がある。そしてそれは恣意的なこともままある。善悪の判断は、「道徳」の影響を排除し、「法律」によって行われるべきである。法治国家なのだから。

「道徳」といえば聞こえはいいかもしれませんが、実際には「道徳」の名を借りた「慣習」だったりします。しかし、道徳は人により様々で、恣意的なこともあります。道徳による支配というのはかなり危ういと思うのです(それ以前に法の支配を徹底しろって話です)。

法律 vs 道徳自警団 …法の支配はどこへ?

  • 日本を滅ぼす『道徳自警団』―芸能人不倫騒動への考察―にて、「道徳的でない」個人や団体をバッシングして「道徳的悪」を法の力によらずに是正しようとする集団が「道徳自警団」と呼ばれている。法治国家である日本は「法の支配」でなければならないのに、「道徳の支配」はなんかおかしい。
  • 「道徳」というものはかなり曖昧で恣意的な存在である。人によって判断基準が違っていても、むしろそれが普通とも言える。そんなわけのわからないものに支配される社会では、安心して生活することはできない。法律はきちんと明文化されて、誰でもそれを読むことができる。
  • 道徳の基準は、社会が変化すればどんどん変わっていくものである。物事の判断は、道徳ではなく、法律によって行われるべきである。それが法治国家というものであろう。

道徳治国家ニッポン・慣習治国家ニッポン

現在の日本は、(少なくとも建前では)法によって支配されている国家です。法律や憲法、条例は、明文化されており、誰でも自由にそれを読むことができます。そして、それらによって現代社会の基本原則である「法の支配」が成立し、それを疑う人はそんなにいないのではないかと思います。まあ会社では労働基準法破りが横行し(これをブラック企業といいます)、学校でも死人が出ない限りは警察を介入させない、さながら治外法権付き慣習治国家とでも言うべき状態ですが、それでも社会科教育では法律により支配がどうとか三権分立がどうとかやっています。

…しかし、ここで私達が考えねばならないのは、本当に日本が法治国家であるか、ということです。日本が法治国家であるならば、例えば会社で社員に残業をさせるならば、きちんと残業代を支払う必要があります。「労働基準法」という法律で、残業代をきちんと支払うことが定められているからです。残業代を支払わなければ、「労働基準法違反」となり、何らかのきっかけで世間に知れ渡れば、程なくして「ブラック企業」の烙印を押されることになります。そして、その会社は、きちんと残業代を支払う必要があります。当たり前です。

しかし実際には、「慣習」でサービス残業が続いていたり、「道徳」で理不尽なことにひたすら黙って耐えることが美徳とされたり、同じく「道徳」で、理不尽なことに抵抗することが悪とされたりして、労働基準法違反を長年続けている会社がしぶとく生き残っています。さらには「道徳」や「慣習」が、ある集団を支配する絶対的なルールになることさえ、ないとは言い切れません。まさに「道徳治集団」「慣習治集団」とでも言うべきものです。この概念を国家に拡張すれば(あるいは法律違反な道徳や慣習がまかり通っている現状を批判したり皮肉ったりするときなどに)、「道徳治国家」「慣習治国家」というものになります。

そして大変残念なことですが、現在の日本もまた、「道徳治国家」「慣習治国家」と言わざるをえないと思います。ブラック企業(労働基準法違反を続けているまさしく違法企業)は相変わらずですし、学校は学校で、カビが生えるほど古い慣習である「部活動強制加入」を未だに続けているところも。部活動が全生徒参加であることを規定している法律はどこにもありません。まさに「慣習治国家」。休養の重要性は知ってますか。保健体育で習いますよ。また、ニュースを騒がせた芸能人とアーティストの「不倫騒動」ですが、こちらもまた、何かの法律に違反したわけでもないのに、凄まじいバッシングを受けています。日本はいつから「道徳治国家」になったのでしょうか。

道徳の支配は恣意的に運用される。慣習の支配も同様。現代の大前提は「法の支配」だ。

道徳や慣習は、明文化されていないことも多いです。いわゆる「空気を読め」です。そして、「道徳の支配」「慣習の支配」では、明文化されていないがゆえに、ルールを恣意的に運用することが可能になってしまいます。その時の都合によって、あたかもルールに則って支配しているかのような独裁的支配さえ不可能ではなくなるのです。何がルール違反なのかはっきりしていないわけですから、ごく普通の生活も、薄氷を踏むようなものになってしまうでしょう。

そして、道徳の支配が通ってしまえば、宗教的なことを道徳に組み込み、例えば「この人はキリスト教だから処刑」(キリスト教の皆様ゴメンナサイ)なんてことになる危険性もあります。そうならないために、現代社会の大原則として、「法の支配」があるのです。事前に明文化された法律によって社会は支配されます。わけの分からない空気を読まなくても、きちんと現代人が読める文字で書かれた法律を読めば、何が合法で何が違法かがきちんとわかります。これは、安心して社会生活を送るためには必要不可欠なものだと思います。物事の判断は、法律にもとづいて行われるべきなのです。

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