「その組織に所属する・しない」の選択肢が個人にあるときでも、組織が定めるルールには限度がある。個人の自由に大きな制約をかけるルールを定める組織の暴走を許してはいけない。

会社が就業規則等で社員の副業を制限したり、社内運動会など社員の自由時間を拘束するタイプのイベントを開催したりする裏には、「会社に所属する・しないは個人の自由だから会社のルールで個人の自由を奪っても構わない」という意識があるのかもしれません。しかし、組織に対して制約がかけられることがあっても、組織が勝手に個人の自由を制約する蛮行を許してはなりません。

もくじ

  • 加入する・しないの選択権が個人に与えられている組織におけるルール設定問題…個人の自由を制限することはどこまで許されるか?
  • 「その組織に加入しない」という選択肢はあっても、「どこかの組織には加入しなければならない」というシチュエーションもある
  • 組織が設定するルールは法律で制限し、個人の自由を守らねばならない

加入する・しないの選択権が個人に与えられている組織におけるルール設定問題…個人の自由を制限することはどこまで許されるか?

例えば会社の場合は、そこに所属するか否かの選択権は(採用試験に受かればですが)個人に与えられます。採用試験に受かっても辞退するという選択肢はありますし、そもそも所属したくないのであれば採用試験を受けなければいいだけの話です。会社以外にも、所属する・しないの選択権が個人にある組織はたくさんあります。部活動やPTAも(理論上)そうですし、町内会もそうです。問答無用で所属させられる組織は、(国家・自治体などを除けば)筆者は公立の小中学校くらいしか思いつきませんでした。…強制部活や強制PTAを除けば。

さて、現代社会を生きる我々には、納税等の義務も課されていますが、同時にたくさんの権利が与えられています。職業選択の自由、学問の自由、自由権、財産権などなど。そしてこれらの権利が国家によって不当に侵害されることがないように、憲法で国家のやることに縛りをかけています。

国家が強制的に国民を組織に所属させるというのであれば、それによって個人の自由が制限されるようなことがあってはならない(あるとしても最小限にしなければならない)ということは言うまでもないことです。国民にしてみれば、組織に所属する・しないの選択権を与えられず、問答無用で組織に収容されるわけです。そのような場合に、その組織に個人の自由を制限するようなローカルルールが設定されたとすれば、そのローカルルールは(極論すれば)国民の一部に対して与えられているはずの自由を制約する法律として機能しますから、強制所属型の組織(国家・自治体など)において、個人の自由を制限するローカルルールの制定が法的に規制されなければならないのは自明です。

前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。今回の問題は、「所属する・しないの選択権が個人に与えられる組織において、個人の自由を制限するローカルルールは許されるか?」です。会社で言えば就業規則がローカルルールになりますし、学校ならば校則がローカルルールです。なお、問題を単純化するために以下のルールを設けます。

  • 個人にはある組織に所属する・しないの選択権が与えられる。組織は個人に対して、組織に加入することを強制しない。
  • ここでいう「組織」には、国家・自治体等の公権力は含めない。
  • 所属しようとする組織のローカルルールはインターネット等を利用して全世界に向けて公開されており、個人は所属しようとする組織のローカルルールを十分理解した上で判断することが出来る。
  • 組織が「一旦所属したら脱退してはいけない」というローカルルールを設定していない限り、個人はいつでも組織から離脱することが出来、組織はそれを一切妨げない。
  • 組織は個人に対して真実のみを説明する。ローカルルールに関する虚偽説明は一切しない。

今回の条件下では、組織が個人を騙して無理やり所属させる余地はありません。個人は完全に組織のルールを理解した上で、組織に入る・入らないを判断します。そうであれば、組織が個人の自由を大きく制限するようなローカルルールを設定していたとしても、個人はそれを理解した上で組織に入る・入らないを決断するわけですから、「法律に反しない限り、組織はどんなローカルルールを設定しても良い(個人の自由を組織が制約することは許される)」と考えられるかもしれません。

「その組織に加入しない」という選択肢はあっても、「どこかの組織には加入しなければならない」というシチュエーションもある

しかしここで問題になるのは、仮に「その組織に加入しない」という選択肢があったとしても、その組織が属している組織群にあるいずれかの組織に所属しなければならない場合です。説明がわかりにくくなってしまいましたが、例を挙げるとすれば学校(特に小中学校)です。どこの学校(組織)に入学するかは個人の自由であるとしても、たくさんある学校(組織群)のいずれかには絶対に所属しなければならない、というシチュエーションを思い浮かべていただければと思います。

小中学校は義務教育ですから、学齢期の子どもはどこかの小中学校に通うことになります。高校から先は義務教育ではありませんが、高等学校教育:文部科学省にもあるように高校進学率は97%を超え、高校はほぼ義務教育と化しています。また、学校を卒業すれば、大抵の人はどこかの会社に所属して働くことになります。一部のフリーランスや専業主婦(主夫)、定年退職者等を除けば、学校卒業後はどこかの会社に所属することを事実上強制されるわけです。

このようにいずれかの組織に所属することが強制される場合は、組織のローカルルールに制限を設けないと問題が発生します。例えば高校の一部には、アルバイトや免許取得を禁止する校則があります。会社の一部は社員の副業を就業規則で禁止しています。このような個人の自由を制限するローカルルールを無制限に許してしまったら、個人の自由を制限する組織だらけになってしまい、その結果として様々な権利が名ばかりになってしまう可能性は十分考えられます。公権力ではないからといって、個人の自由を制限することは許される行いなのでしょうか。私はそれが許されない行いであると考えます。

組織が設定するルールは法律で制限し、個人の自由を守らねばならない

そういうわけですから、組織が設定するローカルルールには制限が必要です。ローカルルールによる個人の自由の制限を許していては、自由権は名ばかりになってしまいます。これでは戦前の全体主義社会に逆戻りです。そうならないように、組織が設定するローカルルールには法律で規制をかけ、個人の自由をきちんと守る必要があります。

「きちんと仕事(学業)をさせるためには多少の制限は仕方ない」と考える人もいるかもしれませんが、少なくとも労働時間以外・学校にいる時間以外については個人の自由が保障されなければなりません。プライベートの時間まで組織のルールに縛られるというのでは、完全に組織の奴隷となってしまいます。奴隷制度ははるか昔に否定されていますし、個人の自由は最大限尊重されなければなりません。制限されるべきなのは個人の自由ではなく、組織による個人の自由を縛るローカルルールの制定です。組織に制約を課し、個人の自由を守るのです。

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