死刑制度と裁判員制度の組み合わせは一般市民に大きな負担を強いる。死刑制度や裁判員制度の是非を考えなければならない時期が来ているのではないか。

裁判員制度が始まった時から、ごく普通の一般市民が死刑判決を下すことの負担が懸念されてきましたが、とうとう裁判員裁判で死刑判決が確定した死刑囚に死刑が執行された模様です。裁判員裁判で判決の死刑囚 初の執行 NHKニュース そろそろ死刑制度や裁判員制度の是非を考えなければならない時期でしょう。

日本の司法に横たわる2つの問題。

  • 死刑制度は世界的には廃止の方向に向かっているとされている。死刑制度は国家による殺人とも言えるので、それだけでも存廃を検討しなければならないだろう。
  • 裁判員制度はある日突然ごく普通の一般市民が呼びだされ、死刑判決を下すか否かを考えなければならないものでもある。一般市民にはあまりにも酷な制度といえる。
  • 片方だけでもとても難しい問題だが、国民全体で考えなければならない問題であろう。

死刑を廃止すべきか否か?

死刑は、当然ながら人の命を奪う刑罰です。まあ基本的には殺人級の凶悪犯罪を犯した人が処される刑罰なので、人命を奪った犯罪者は自らの命を持って償うべき、という考え方でいけば死刑を正当化することは可能です。遺族などによる復讐を禁止し、国家がそれを代行することによって治安の悪化を防いでいる、という考え方もできます。

しかし、裁判は(当然ながら)人間が行います。そして人間は必ず間違いを犯す生き物です。そうである以上、裁判に間違いが入り込む可能性(冤罪判決)を排除することは不可能です。つまり、冤罪は必ず発生します。しかし、冤罪でも罰金だったらお金を返して手仕舞いにできますし、懲役なら即時釈放+賠償金での補償のしようがあります。しかし、死刑執行後に冤罪が発覚しても、補償のしようがありません。このことは裁判員の負担感をさらに増すものになります。

死刑の代替として、終身刑を導入すべきであるという意見もあります。終身刑においては仮釈放はない(冤罪が発覚した時等は例外)ので、社会からの永久な隔離という視点では死刑の代替になりえます。日本の無期懲役は仮釈放の可能性があるので、無期懲役≠終身刑となります。終身刑であれば、その人が寿命を迎えるその日まで収監する手間と費用はかかりますが、冤罪被害者を救済する道が残されるということを考えれば、日本において死刑を終身刑で代替するという選択肢はありなのではないかと考えます。まだまだ議論は必要なテーマですが。

裁判員制度と死刑

裁判員制度は、これまでごく普通の生活をしてきたごく普通の一般市民が、裁判所に呼び出され、被告人の有罪・無罪の判定に加え、有罪の場合は量刑の判断までしなければいけない、非常に恐ろしい制度です。いくら職業裁判官が一緒とはいっても、やはり普段は裁判という形で人をさばくことがない一般市民が裁判を行うことは相当な負担です。

また、日本において死刑制度が存続していること、裁判員裁判が殺人罪など死刑判決を下す可能性がある事件も対象にしていることを考えると、一般市民がある日突然、被告人に死刑判決を下すべきか否かを考えなければならない状況に追い込まれる可能性があるということになります。人一人の生命そのものを左右することのプレッシャーは並大抵のものではないでしょう。

そう考えると、裁判員裁判を続行するならば、死刑を終身刑によって代替すること(死刑廃止)が必要になるのではないでしょうか。終身刑であれば、被告人の存命中に冤罪であることが発覚すれば、まだ何かしらの救済措置を取ることができるので、裁判員にかかるプレッシャーはまだましなものになるはずです。

重たいテーマだが、国民全体で考えなければならない。

死刑存廃問題は、正直言ってかなり重たいテーマです。裁判員裁判の是非も、決して軽く扱えるテーマではありません。しかし、これらの問題は、私達の生活と、決して無関係ではありません。ある日突然当事者になる可能性は誰にでもあります。犯罪とは無縁の生活を送ることができれば、それが一番幸せなのですが、そうも言ってられないのが現代社会の実情です。死刑存廃問題、裁判員裁判の是非、どちらも国民全体で考えなければならないテーマなのではないでしょうか。

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