学校が生徒の学校外での活動に首を突っ込むことは、学校のためにも生徒のためにも良くない。学校に限らず、個人と組織はきちんと切り分ける必要がある。

日本の学校は、生徒の学校外での行動を校則で縛ったり、学校外での事件にも介入しようとしたりすることがあります。しかしそのようなことは、生徒のためにも学校という組織のためにも良くないと考えます。個人と組織はきちんと切り分けるべきです。

もくじ

  • 生徒は自由を奪われ、学校は余計な仕事を背負い込む。生徒の学校外での行動に学校が口出ししても、お互いが不幸になる。
  • 「個人の時間」と「組織に所属して動く時間」は厳密に分けなければならない。個人の自由を守るためにも、組織を殺さないためにも。

生徒は自由を奪われ、学校は余計な仕事を背負い込む。生徒の学校外での行動に学校が口出ししても、お互いが不幸になる。

高校などに免許取得禁止・アルバイト禁止などの校則が存在する場合があることからも分かるように、日本の学校は生徒個人の時間(放課後や休日など)の行動にまで介入しようとする場合があります。また、生徒が学校外で起こしたトラブルについても首を突っ込み、学校内で処理しようとすることもあります。

しかしこのようなことをしていては、生徒は放課後や休日等の自由を奪われ、24時間365日学校のローカルルールに縛られることになります。学校という組織にしがみついて生きていくことを強制しても、生徒が社会を生きていくために必要な力が育つとは思えません。いつ会社が倒産してもおかしくない現代においては、組織にしがみつかなくてもそれなりに生きていけるような力を育てることが重要であるはずです。

また、学校外でのトラブルにまで学校が首を突っ込むことにより、生徒が「トラブルを起こしても法律を破っても頭を下げれば全て許される」という誤った認識を持ってしまう恐れもあります。各種トラブルは法律によって公正に解決されるべきであり、学校が勝手にもみ消すことがいつもいつも正しいわけではありません。学校にしても、余計な仕事が増えてしまうわけですから先生方に余計な負担がかかり、また残業が増えてしまいます。生徒の学校外での行動に学校が介入しても、お互いに不幸になるだけです。

「個人の時間」と「組織に所属して動く時間」は厳密に分けなければならない。個人の自由を守るためにも、組織を殺さないためにも。

学校に限らず、「個人の時間」と「組織に所属して動く時間」は厳密に分け、個人と組織(学校や会社など)を切り分けて考える必要があります。ある個人が組織に所属し、組織の中で動いている場合にはある程度組織のルールに従うことが求められるでしょうし、トラブルについても組織が前面に出て対処することになるでしょう。「組織に所属して動く時間」(授業等の時間、労働時間など)に起きた出来事は、組織として対処する必要があります。最も、組織が治外法権を持って警察や労働基準監督署の介入を拒むことは問題ですが。

一方で、ある個人がいつもいつも組織に所属して動いているわけではありません。学校にも会社にも休日はあり、休日にまで組織の命令どおりに物事を行うことはありません。「個人の時間」に起きた出来事は個人の責任であり、組織が首を突っ込むことではありません。たとえば休日に会社員が交通事故を起こしたとしても、基本的に会社が首を突っ込むことではありませんし、会社の責任でもありません。

また、ある個人の休日の行動を縛るようなローカルルールを組織が勝手に制定することは法律で禁止されるべきです。休日に何をしようが個人の自由ですし、休日の個人の行動によって生じた結果は全て個人の責任なのですから、組織(のローカルルール)に縛られる筋合いはありません。個人の自由を守るために組織に規制をかけることはやむを得ませんが、組織のために個人の自由を制限することは、憲法で許された範囲内で制定された法律によるものでなければ許す訳にはいきません。

個人の自由を守るためにも、組織が余計なものを背負い込まないためにも、「個人の時間」と「組織に所属して動く時間」は厳密に分けなければならず、個人と組織は切り分けて考えられる必要があります。

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