いかに家族といえども、ワンオペ子育て、ワンオペ介護は物理的に不可能だ。子育て・介護の負担は当事者だけでなく社会全体で引き受けねばならない。

日本では「家族の面倒は家族が見るべき」という考え方がありますが、たとえ家族でも物理法則は無視できませんし、肉体的精神的限界はあります。家族が負う子育てや介護の負担にも一定の上限を設けなければ、児童虐待や介護離職、介護殺人などの悲劇はなくならないと考えます。

もくじ

  • 子育ても介護も、家族だけでは限界がある。家族といえども人間には限界がある。
  • 子育てや介護の負担を家族にばかり押し付けない仕組みが必要。児童虐待や介護離職、介護殺人などの悲劇を防ぐために。

子育ても介護も、家族だけでは限界がある。家族といえども人間には限界がある。

子育てや介護を行う時は相当な経済的肉体的精神的負担が発生します。何かあった時に放置してしまえば、最悪の場合は被保護者の死という結果が待っていますから、家族の誰かが否応なしに子育て・介護に縛られることになります(これまでの日本では、大抵の場合女性が縛られることになっていました)。

子育てや介護は、24時間いつでもアクシデントに対処せねばならないこともありますし、経過が良好でも突発的なアクシデントに見舞われてそれに対処せねばならないこともあります。被保護者の世話、トラブル対応、その他もろもろを一人で行う「ワンオペ子育て・ワンオペ介護」はいくらなんでも無理がありすぎます。いかに家族といえども肉体や精神の限界を無視することは出来ません。

未だに長時間労働を強いられることも多い日本の労働環境で仕事と子育て・介護を両立する難易度は(個人差はあれど)果てしなく高いといえるでしょう。子育て・介護にリソースを割かざるを得なくなり、最終的には離職を余儀なくされることもままあります。大抵の場合、離職は己の収入源の喪失と同義ですから、無事に子育てや介護を乗り切れたとしても、今度は自分自身が貧困で苦しむことになってしまいます。家族だけで子育てや介護を行うことは限界があります。

子育てや介護の負担を家族にばかり押し付けない仕組みが必要。児童虐待や介護離職、介護殺人などの悲劇を防ぐために。

子育て・介護を家族だけで担うことは物理的に不可能です。物理的に不可能なことを無理やりやらせたところで、待っているのは児童虐待や介護殺人、貧困など、いずれもバッドエンドです。とは言え子育ても介護も誰かがやらなければなりませんから、その負担は社会全体で引き受ける必要があります。

保育所や老人ホームなどの施設に預ければ、その間は子育て・介護の負担から解放されます。子育て中の人が仕事を継続する上で保育所(保育サービス)は必要不可欠なものになっていますし、要介護者を預けることが出来る老人ホームなどの施設があることにより、家族の中に要介護者が出たとしても介護に縛られずに仕事を継続できるようになっています(どちらも需要に対して供給が不足しているという問題がありますが…)。

「子育てや介護は家族がやるべきだ」「人任せにするんじゃない」と言いたくなる人もいるかもしれませんが、現実問題として、子育てや介護を家族だけでやることは無理です。家族のみにこれらの負担を押し付けてしまえば、「この国では子育てできないな」→「子どもは産まないことにしよう」となって少子化がますます進行します。また、介護の負担を避けるために現代版姥捨て山に要介護者を捨てる人が出てしまう恐れもあります。なんとか姥捨て山を回避できたとしても、今度は介護離職が今以上に増え、それによる社会的損失も無視できない割合で増えていってしまうことは目に見えています。

かつては子育て・介護が外部のサービスに頼らずに行われるものだったのかもしれません。しかし、現在必要なことは、子育て・介護でも外部のサービスを有効に活用し、家族の負担を極力減らせるようにすることと、それが出来るような(文句を言われないような)環境を構築することです。子育て・介護の家族負担に上限を設け、家族に過度の負担がかからないようにしなければならないのです。

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