誰にだって得意分野と苦手分野があるんだから、「この科目は得意だから大学レベルの内容を学んで、この科目は苦手だから中学レベルの内容をやり直す」といったことを柔軟に認めるべきだと思う。

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「何でもかんでも完璧にできる」と言うのはある種の理想形です。しかし、現実にそれを要求すれば、「何でもかんでも中途半端にしかできない」という事態になり、何かするのに必要な専門性が身につかない…という残念な結果になりかねません。社会には様々な人間がいますから、一人の人間にできないことの一つや二つくらいあっても問題はありません。何かしらの対価を払ってできる人にやってもらえば問題はないはずです。何でもそこそこできる汎用性はたしかに大事かもしれませんが、それ以上に何か特定の分野で光り輝く専門性も大事だと思います。ゆえに、日本の学校は「この科目は得意だから大学レベルの内容を学んで、この科目は苦手だから中学レベルの内容をやり直す」みたいな感じのことを柔軟に認めるべきではないかと考えます。

社会には様々な人間がいるからきちんと分業が成立する限りは専門性が重要。だから苦手分野に縛られずに得意分野をとことん伸ばせるようにした方がいいかもしれない。

  • 社会には色々なタイプの人がいるから、自分にできないことがあってもそれなりの対価を払えばできる誰かに任せることができる。というかそれが分業ではないのか。何かしらの得意分野に特化する。プログラマーならプログラミング能力に特化するし、農家なら食料生産に特化する。苦手分野があっても大した問題にはならないが、専門性がないのは問題になるおそれがある。
  • 学校教育においては「どの分野も均等にできるようになれ(得意分野も苦手分野も中学なら中学レベル、高校なら高校レベルの勉強をしろ)」といった感じになっている気がするが、それで専門性が伸ばせるのかは疑問だし、全教科が均等にできることを要求するのが子供にとって幸せなのかも疑問だ。苦手分野に縛られて得意分野を伸ばせないのはやるせない気がする。苦手教科があるとどうしてもそちらの試験を乗り切るための対策に時間をとられることになり、得意教科を伸ばす上で障害になる。分業が機能する限りは苦手教科の能力が要求されることはそんなに無いはず。
  • 高校に行ったら苦手科目も高校レベルのものをしなければならないというのもなかなか酷な気がする。苦手科目だけ中学レベルの内容を復習できるような選択肢を用意してもいいんじゃないかと。必修科目は本人のレベルに合わせて柔軟に難易度を選べるようにして、総合的に判定して一定以上のレベルに達していれば(苦手科目が中学レベルでも)高校を卒業できるようなシステムにしてもいいのではないかと思える。得意科目をとことん伸ばしてその方面で活躍できればいいと思う。

グローバル化グローバル化言うけれど、実際の仕事でどれだけの人数が英語を使うのか?超初歩的なところは全員に必要かもしれないが、苦手(で将来使わない)科目の克服に無駄な時間を浪費して苦痛を味わうくらいならその時間で得意分野・専門分野を突き詰めてもいいのではないか?

現在の日本では、学校の教育課程がグローバル化の掛け声のもとにかなり英語偏重なものになっている気がします。小学校でも英語が必修化され、中学高校でも英語の時間が増加しました。入試においても英語が重視されるようになり、もう英語ができない学生を殺しにかかっているんじゃないかとさえ思えてきます。日本なのに。日本語がメインの生活空間なのに。英語教育によって英語嫌いが大量生産されている面は否めません。しかし、それだけの苦痛を強いて習得させた英語を日常的に使う人は果たしてどれほどいるでしょうか?

学生時代に英語嫌いだった人間が英語を必ず使わなければならないような仕事に就くことは考えにくいです。英語担当の学校の先生は授業で毎日英語を使うと思われますが、英語の先生になるような人の大半はおそらく学生時代に英語(と学校)が好きだった人間です。英語と学校のどちらか一方でも嫌いな人間がわざわざ好き好んで英語の先生になろうとはしないと思います。学校の先生の中でも、数学や理科、国語や社会の先生が授業中に英語を使うことはそうそうありません。結局のところ、英語嫌いを大量生産するような英語教育で日常的に英語を使用する人を育成するのは無理です。

確かに、超初歩的な英語は全員が習う必要があるかもしれません。しかし、実際に使わないのであればわざわざ多大なる時間を割いてまで英語嫌いに育ててしまう必要はありません。全てのことを完璧にこなせるようにするのは無理ですから、どこか得意分野・専門分野に特化していくべきです(自分の得意分野・専門分野を模索する時間は必要ですが)。そう考えていくと、苦手(で将来使わない)分野は最低限のことだけやったら早々に切り捨てて、余った時間で得意分野・専門分野を突き詰めることができる選択肢があってもいいと思うのです。

得意なことを突き詰めて専門性を身につけるためには、科目選択を柔軟にしたり、科目別に難易度を柔軟に選べるようにするべき。苦手科目の足枷をかっぱらえば専門的な人材を育成しやすくなるはずだ。

学校教育で「全科目でキチンと高成績を取れ」といったところで、そんなことができるのは一部の完璧超人だけです。誰にだって得意分野もあれば苦手分野もあります。そんな中で専門性を身につけるためには、苦手分野には早々に見切りをつけて撤退し、得意分野に特化できる環境を整える必要があるのではないでしょうか。また、全員必修の科目を設定するにしても、個人個人のレベルに合わせて難易度を柔軟に選べるようにする(高校で必修科目(例:英語)を習うときに難易度を中学1年~高校3年まで自由に選べる)べきです。できない分野で無理に高レベルなものをやらせても時間の無駄です。野球をやったことがない人間にいきなりホームランを打てと言っても無理です。それよりはレベルを落としてでも確実に基礎を固め直し、三歩進んで二歩下がりながらでも確実に前へ進んだほうがいいはずです。

苦手分野の勉強は、どうしても「試験で赤点を取らないため・留年しないため」だけに行うことになりがちです。将来その分野を使わないとすれば(その可能性は極めて高い)、苦手分野の勉強に費やした時間は完全に埋没費用になってしまいますから、もともとできないのも相まってモチベーションは底なしに低下し、苦手分野は更に苦手になってしまいます。難易度を柔軟に選択できれば(初歩的なところから再スタートする選択肢があれば)まだやる気も出るかもしれませんし、結果的には自分とは合わない(高すぎる)難易度で勉強させられるよりも良い結果を出せる可能性もあります。必修科目は本人のレベルに合わせて難易度を柔軟に選択できるようにすることが、結果的には全体のレベルの底上げに繋がるのではないでしょうか。

一人の人間に割り当てられている時間は有限です。限られた時間を苦手科目の克服に際限なく配分して全教科同レベルでできるようにするのが良いのか、それとも苦手科目は基礎レベルにとどめて得意分野にガンガン時間を突っ込んで専門性を身につけるのが良いのか。本人にとってどちらが幸せなのか。私は後者を選びます。進級進学のためだけに一生使わないであろう苦手科目をやるのは苦痛以外の何物でもありません。それよりは好きな科目に時間を突っ込んで専門性を身につけるほうが楽しいと思います。また、高い専門性を身につけた人材が育てば、高い専門性を活かして高い成果を出すことが期待できます。自分ができることで活躍する。それこそが一億総活躍の目指すべきところなのかもしれません。

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