「(同期型)コミュニケーション能力」偏重の社会では精神疾患患者や自殺者を大量生産してしまうし、真の多様性の担保は不可能である!

近年何かと重視される(と言うか神聖視される)「コミュニケーション能力」ですが、あまりにも(同期型)コミュニケーション能力偏重な社会だとどうにも過ごしにくいのではないかとも思います。

何かにつけて「(同期型)コミュニケーション力が云々」と言われる息苦しい社会では真の多様性は担保できない

  • 何かにつけて「コミュニケーション力が云々」だの何だのと言われるが、直接会っての会話や電話だけがコミュニケーションではない。メールなどの文書のやり取りだって立派なコミュニケーションである。「会話は苦手だけどメールは得意」という人は(一般的には)「コミュニケーション障害」などと言われかねないが、メールだってコミュニケーションの一形態であるため、こういう人も「コミュニケーション力が高い」と言えるのではないか?
  • 現代社会で要求されている「コミュニケーション力」は、とにかく短い時間で何らかのレスポンスを返す能力だと思う。深く考えずにすぐに応答してとにかく沈黙タイムを作らない能力。相手が話しかけてきたらすぐに何か答えを返すことが求められる。滑舌よく、明るく大きな声で、明るい表情を作って。でもこれは誰もができることではない。そしてそれがコミュニケーション能力の全てということはできない。決して。文書の交換だって立派なコミュニケーションだ。
  • コミュニケーションにも様々な形態があること、人によって向き不向きがあることはもっと知るべきではないかと思う。じっくり考えてからきちんとした答えを返す力も大事なはず。じっくり考えるだけの時間的猶予が殆ど無い同期型コミュニケーション(会話、電話など)の能力が全員に要求される(メール等の非同期型コミュニケーションの能力が軽視される)状態が息苦しい現代社会を作り出してしまったのかもしれない。同期型コミュニケーションが苦手な人にとっても過ごしやすい社会を作ることが、多様性の担保に繋がる。

「コミュニケーション能力が云々」と言われる時、「非同期型コミュニケーション能力」がきちんと考慮されているだろうか?「同期型コミュニケーション能力」偏重になっていないか?

現代社会は何かにつけて「コミュニケーション能力」が要求されるものであることは、皆様もご存知ではないかと思います。実際、経団連の調査によると2015年4月入社の人の選考で企業が重視した要素のトップは「コミュニケーション能力」でした。実に12年連続でトップなのだそうです。重視する企業の割合も85.6%と、2位に甘んじた「主体性」の60.1%を大きく引き離しています(以下3位「チャレンジ精神」が54.0%、4位「協調性」が46.3%、5位「誠実性」が44.4%と続く。2015年度 新卒採用に関するアンケート調査結果の概要(PDF)より)。現代社会が如何に「コミュニケーション能力」偏重になっているかがよくわかります。

しかし、普段は特に気にもせずに「コミュニケーション」を連呼していますが、そもそも「コミュニケーション」とはどのような意味かをここで確認してみましょう。

コミュニケーション [4] 【communication】

人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。

コミュニケーションとは – Weblio辞書

ここから解釈すれば、必ずしも「コミュニケーション」=「会話」とはいえません。意志や思考、感情などを伝達できればコミュニケーションは成立するので、伝える手段は別に会話や電話でなくてもいいわけです。メールだって立派なコミュニケーションの一手段ですし、LINEだって最近のコミュニケーションではよく使われています。また、コミュニケーションには「同期型コミュニケーション」と「非同期型コミュニケーション」という分類があります。

  • 同期型コミュニケーション … こちらから声をかけるなどの働きかけをすると即座に相手の反応を得られる形態。即時応答が期待される関係上、「じっくり考えてから応答する」ことは難しい。会話や電話などが代表例。LINEも人によってはこちらに入ることもあるかもしれない。
  • 非同期型コミュニケーション … こちらから働きかけても即座に相手の反応を得られる保障がない形態。相手から働きかけがあっても即時応答の必要性は薄いため、回答をじっくり考える時間的猶予がある。手紙やメールなどが該当する。
そして、ここからは私の偏見と独自研究に満ちた見解になりますが、企業や一般社会が要求している「コミュニケーション能力」は「営業や接客等に必要となる高度な同期型コミュニケーション能力」なのではないか、という疑惑があります。ここで「非同期型コミュニケーション能力」は企業が熱狂的に要求している「コミュニケーション能力」の一分野であるにもかかわらず軽んじられている(評価されずに切り捨てられている)のではないか、という疑惑もあります。面接(圧迫面接)などはまさに「同期型コミュニケーション能力」のみでシビアに判定される試験です。

「同期型コミュニケーション」を苦手としている人は、就職活動や上級学校の受験等で課されることの多い面接において明らかに不利です。面接の結果に対して「非同期型コミュニケーション能力」が影響を及ぼす場面は殆ど無いでしょう。面接を行う理由の多くは「コミュニケーション能力の測定」であると思われますが、ここでの「コミュニケーション能力」はすなわち「同期型コミュニケーション能力」であり、「非同期型コミュニケーション能力」が無視されています。現代社会は「同調型コミュニケーション能力」こそが真の「コミュニケーション能力」とされ、「非同期型コミュニケーション能力」だけあっても「コミュニケーション障害」の烙印を押されてしまう(=就職や進学が困難になる=社会から排除されかねない)息苦しい社会だと思います。

同期型コミュニケーション能力がないとされる人でもきちんと暮らすことのできる社会でなければ、真の多様性は決して実現できない!!

引き続き私の偏見と独自研究に満ちた見解ですが、あまりにも「同期型コミュニケーション能力」偏重な社会においては真の多様性は決して実現できず、むしろ社会が均質化して生きにくくなり、人々はコミュニケーションで疲弊し、精神疾患患者や自殺者を大量生産してしまうおそれがあるのではないかと考えています。「同期型コミュニケーション」は常にリアルタイム性を要求される関係上、じっくり考えて言葉を選んで応答するタイプの人間は(特性を活かせれば十分コミュニケーションを取れるにもかかわらず)常に「コミュニケーション障害」の烙印を押されるリスクに晒され、「同期型コミュニケーション」に参加するために精神を消耗してしまいます。コミュニケーションにおいては向き不向きに関係なく「同期型コミュニケーション」に適応することを強制されるのです。これでは適応できずに思い悩む人が大量に出てしまっても何ら不思議はありません。

多様な生き方を尊重して社会の活力を維持していくためには、「同期型コミュニケーション」偏重から脱却する必要があるのではないかと考えます。先ほどの例にもあげた「じっくり考えて言葉を選んで応答するタイプの人間」は、非同期型コミュニケーションであれば特性を活かして本来持っている高いコミュニケーション能力を発揮することができます。「非同期型コミュニケーション」であれば、考える時間も言葉を吟味する時間もたっぷりとれます。同期型コミュニケーションでは能力を発揮できない人でも、非同期型コミュニケーションであれば高い能力を発揮できる可能性を秘めているのです。同期型コミュニケーション能力がなくてもそれなりに生きていける社会であれば、同期型コミュニケーションを苦手とする人(現代社会では「コミュ障」と言われて蔑まれることがままある)にとっても暮らしやすい社会となり、誰にでも活躍のチャンスが巡ってくる社会になるのではないかと考えます。

参考サイト

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