無報酬のボランティアの「善意」だけに頼ってはいけない。活動する人にはきちんとした報酬(経済的援助)が必要。参加強制もご法度。

日本に住んでいる以上、地震の脅威から逃れることはできません。熊本地震では大きな被害が発生しましたし、東日本大震災の時もやはり甚大な被害がありました。さて、このような震災の後には「ボランティア」の方たちが復興作業を手伝うことになります。皆様もご存知の通り、「ボランティア」は原則として「自主的に無償で」奉仕活動(震災復興の作業など)にあたります。しかし、ボランティアの「善意」だけに頼るのはある意味でとても危険なことなのかもしれません…。

無償の善意だけに頼っての活動には限界がある。活動を継続するためにはきちんとした報酬(経済的援助)が必要。

  • ボランティアは無償で活動する。だからボランティア活動に参加するためには(最低限)ボランティア活動に時間を割いても本人の生活が困窮しないレベルの金銭的余裕と時間的余裕が必要。余裕がある人の「善意」によって支えられている。だが、現在はそのような余裕がなくなってきているのではないかと思う。賃金は伸び悩んでいる(むしろ実質減少?)し、そのくせ税金や社会保険料、学校の授業料などは値上げである。長時間労働問題も未だ根強く残っているし、労基法違反で労働者から搾取しまくっているブラック企業もある。
  • そのような中で「無償」の善意だけに頼って活動を維持しようとすれば、活動の担い手が生活困窮者になりかねない(その前に離脱するとは思うが)。そうならないためには、活動の担い手にきちんとした報酬(経済的援助)が必要。「無償の善意」にばかり頼るのは正常な経済活動と個人の生活を破壊してしまうおそれがある。よって、活動にはそれなりの対価が必要。

日本では「ボランティア」=「無償での奉仕活動」とされるが、経済的援助無しで「無償での奉仕活動」を継続することは不可能ではないか?

本格的に話を始める前に、まずは「ボランティア」の定義を確認しましょう。

ボランティアの位置づけ

  • ボランティアについて明確な定義を行うことは難しいが、一般的には「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる。
  • ボランティア活動を行い、実費や交通費、さらにはそれ以上の金銭を得る活動を「有償ボランティア」と呼ぶ例もある。

ボランティアについて 厚生労働省(PDF)

「自主的に」社会に貢献する活動を行うのが「ボランティア」ということになります。日本では「ボランティア」=「無償での奉仕活動」とされることが多いですが、厚生労働省の資料では「有償ボランティア」についても言及されています。まあボランティアの原語である英語の「Volunteer」の意味は「志願兵」です。現代的常識を当てはめれば、志願兵には相応の給料が出ているはずです。なので「有償ボランティア」も、自主的に社会奉仕活動をしていればボランティアに当てはまると考えられます(個人の見解)。

しかしながら、現時点では金銭的報酬無しで活動しているボランティアの方が多いのではないかと思います。金銭的報酬無しでボランティア活動を行うためには、活動する人がボランティア活動をしようという意志と同時に金銭的余裕と時間的余裕を持ち合わせている必要があります。ボランティア活動にリソースを割きすぎて活動している本人の生活が困窮したらどうしようもありませんし、お金だけあっても活動する時間がなければボランティア活動そのものができません。…さて、賃金が伸び悩んでいる上に税金と社会保険料が上昇し、今なお長時間労働の悪しき慣習が駆逐されていない現在の日本において、金銭的余裕と時間的余裕の両方を持ち合わせている人はどれだけいるのでしょうか…。

ちなみに、近代看護教育の母ナイチンゲールはボランティア団体の創設には反対していたそうです。ナイチンゲールはきちんとした対価の支払いがなければ活動の継続が不可能であることを理解していたのでしょう。

…ナイチンゲールが赤十字の創始者であると思っている人もいるが、むしろ統計学者や看護教育学者で有名である。赤十字活動には関わっておらず、ボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた。これは「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」と思っていたからである。赤十字が隔年で贈っているナイチンゲール記念章は、アンリ・デュナンがナイチンゲールの活動を高く評価していたため、赤十字国際委員会がデュナンとナイチンゲールが共に死去した翌年の1912年に、「傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して、偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師」を顕彰するために制定したもので、日赤熊本県支部からは過去2名の方が授章している。(支部 梶山哲男)

「日赤発祥の地・熊本」<連載5>(平成22年9月号) | 日本赤十字社 熊本県支部

無償ボランティアだけで何でもかんでもやることはできない。きちんとした対価を支払えるシステムが必要。活動することの強制もご法度。

ともかく、何でもかんでも「無償の善意」だけに頼って対価を払わずに済ませてしまうのはいかがなものかと思います。「無償の善意」と言えば聞こえはいいですが、その実態はそこら辺のブラック企業も顔負けの高負荷無賃金強制労働だった…というような大変よろしくない事態になる可能性もゼロとは言い切れません。例えば学校のPTAも、(本来は任意加入が原則であるにもかかわらず)加入同意書も取らずに保護者を強制加入させ、PTA会費を学校納入金とセットで強制徴収の上、PTA役員を強制するようなところがあるのではないでしょうか(そのような場合、「PTA役員」と書いて「いけにえ」と読ませる可能性も)。この場合は「自発的意志」ではないのでボランティアの定義からは外れることになりますが。

何かしらの活動をしてもらうのであれば、それにはきちんとした対価を支払う必要があります。対価が支払われることにより、活動者は生活を成り立たせて活動を継続することが可能になるのです。また、ボランティア活動(という名の無賃労働)をすることを強制するのもご法度です(強制している地点でボランティアとはいえませんが)。強制することによって士気が低下し、活動する人のレベルもまた低下することは目に見えています(徴兵制が非効率的だといわれる・徴兵制を廃止する(軍隊を志願兵のみで構成する)国が増えている理由の一つ)。よって、ボランティア活動にはボランティア活動をしようという意志のある人が参加し、活動にはきちんとした対価が支払われるべきだと考えます。

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