「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるが、むしろ金のために仕事をするのが普通である。仕事にはきちんとした対価が絶対に必要だ。対価を支払わなければ品質保証もない。

一部には「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるかもしれませんが、現代は食べ物すらお金を出して買わなければならない時代です(自給自足の農家を除けば)。ですから、金のために仕事をするのは、ごく当たり前でふつうのコトなのです。また、仕事にきちんとした対価を支払うからこそ、相手に品質保証を要求することが出来ます。

人間は生きるために仕事をする。生きるためには金が必要だから、金を稼ぐために仕事をするのがスタンダードになった。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、ごく普通の契約である。

  • 現代においては、生活するためにはどうしても金が必要である。よって、仕事は生きるため、金をもらって生活を成り立たせるために行うものとなる。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、まっとうな契約だ。仕事をする側とさせる側は対等な人間だから、対等な立場で契約を締結し、対価を払って仕事をしてもらうわけだ。
  • 何の対価も支払わない仕事では、仕事をする側とさせる側が対等ではなくなる。また、対価を支払わないということは、仕事をする側も仕事に責任を持たなくて良いことになる。粗悪なものが納品されても文句は言えない。対価があるからこそ、仕事をする側も仕事の品質を保証できるのだ。

仕事をするには、時間やスキル、道具などが必要になる。いずれも何もせずに勝手に湧いてくるものではない。相手のリソースの一部を割いて仕事をしてもらうのだから、その分の対価は支払わねばならない。

何かの仕事をするには、仕事をする側に

  • 仕事をする時間
  • 仕事に必要なスキル(手先の器用さ、プログラミング力、画力、交渉力etc)
  • 仕事のための道具
などが必要になります。いずれも、何もせずに勝手に湧いてくる(無限に存在する)ものではありません。目に見えないスキルも、習得するためにはそれなりの時間やお金が必要になります。

仕事をするときには、これらのリソースの一部を消費することになります。仕事を発注するということは、相手にリソースの一部を割いてもらい、何かをしてもらうということです。仕事をする側も自分の生活がありますから、何らかの対価を貰わなければ、生活が成り立ちません。仕事をする側とさせる側が対等な立場で、「これだけのお金(対価)を払うからこの仕事をやってね」という契約を締結するのが正常な姿です。

また、現代は生活する上で必要不可欠な食料さえ、お金を出して買わなければならない時代です(自給自足の農家を除く)。食料を生産する農家にしても、トラクターの燃料代や肥料代等で、少なからずお金が必要になるでしょう。食料以外のものは、少なからずお金で買うわけです。現代人は、生きるために、すなわちお金をもらって生活を成り立たせるために仕事をするわけです。金のために仕事をするのは、ごく当たり前でふつうのコトなのです。「金のために仕事をするのはケシカラン」と言い放つことは、貨幣経済の否定であり、現代社会における生存手段の否定でもあります。

対価を払うことにより、仕事をする側に責任をもたせることができるし、品質も保障される。少しでも仕事に品質を求めるのならば、それなりの対価が必要だ。

仕事をする側がきちんと生活するためにも、仕事には対価が必要です。そして、責任ある仕事にするためにも、仕事に対価を支払う必要があります。納品されるものに品質を要求するならば尚更です。

きちんとした対価を支払って仕事をしてもらう契約では、仕事をする側とさせる側は(少なくとも法的には)対等です。対価を支払うのですから、仕事をさせる側は仕事についてそれなりの品質を求めますし、最低限求められる品質については契約を締結する段階できちんと確定させるはずです。

仕事をする側にしても、契約書で約束した通りの品質を実現できなければ契約不履行になってしまいますから、要求通りの品質をきちんと確保するはずです。対価を支払ってきちんと契約することにより、仕事に責任が発生します。そして、仕事をさせる側は契約通りの品質の成果物を手に入れ、仕事をする側も契約通りの対価をもらい、生活を成り立たせます。

きちんとした対価を求めない仕事では、品質の保証は望めません。きちんとした対価が支払われないのでは、仕事をしても生活の糧は得られませんから、対価なき仕事にばかり時間を割くわけには行きません。品質度外視でとにかく短時間で、とにかく安く済ませることが最優先の仕事になりますから、納品される成果物も粗悪なものになります。

結局のところ、対価なき仕事を人に強いても、長期的には誰も幸せにはなりません。短期的には仕事をさせる側がお金をケチれて幸せになるかもしれませんが、そのうちに納品される成果物の品質が悪化し、しまいには仕事を拒否されるでしょう。やはり、仕事にはきちんとした対価が必要なのです。(「給料いらない」など言う奴は論外(芹沢達也)と「給料なんかいらな~い」絶叫朝礼の四国F社の認識の違い 慎腹風呂愚/ウェブリブログも参照)

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