カテゴリ:その他
投稿日:2016年03月15日
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日本では相変わらず待機児童(保育所等の入所待ち)問題・待機老人((特別養護)老人ホームの入所待ち)問題が深刻です。言うまでもないとは思いますが待機中の間は在宅で子育て・介護をやることになると思われます。しかし、子育て・介護はヘタすれば24時間365日一切休み無しの労働基準法大違反な仕事になりえます。そんな中で、「一時保育」や「ショートステイ」は、24時間365日の超過酷勤務の中に休みを入れる上で非常に重要な働きをすると思います。
子育てにだって介護にだって休みは必要!!休むための一時保育やショートステイの利用が堂々とできるようにすべき!!
- 24時間365日の連続労働に耐えきれるような人はまずいない。それが無茶苦茶だから労働基準法で「労働時間は1日8時間・週40時間まで」の規制をかけている。子育てや介護にだって休みがなければ人間は壊れてしまうし、ヘタすれば虐待や殺人にまで発展してしまう。子育て・介護される側を守るためにも、子育て・介護する側がきちんと休みを取れる必要がある。
- 常に施設に預けるというわけでもないが、小休止を挟んでリフレッシュしたいという時に「一時保育」や「ショートステイ」などが出てくる。「子育て介護を怠けるとはケシカラン」という人もいるかもしれないが、「休むこと=怠け」ではない。休むことによって体力気力を回復させ、心に余裕をもたせることにより、子育てや介護を安全に(虐待とか殺人とかせずに)行える。
- 「子どもや要介護者の面倒を家で見られるなら施設に頼るな」という意見の人もいるかもしれないが、そんなことをすれば子供の虐待や介護殺人はさらに深刻になる。子育てや介護に携わる人にも休みはなくてはならないもの。子どもや要介護者のためにも、施設を上手に活用すべきだし、それができる世の中にしなければならないと考える。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月14日
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なにか大変なことを改善して楽にしようとすれば、「もっと大変な人がいるんだから大変な思いをしろ」という趣旨の発言をかます頭(脳みそ)が残念な人が湧いてくることがあります。しかし、それと同じ理屈で、「もっと楽な人がいるんだからもっと楽にしよう」と返すことができるのではないでしょうか。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月11日
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ホンダの燃料電池車の“実力” – 経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website 水素で走る燃料電池車が、一歩ずつですが確実に市場へ切り込もうとしています。まだまだ高価格ですが(水素ステーションもまだ少ないですが)、燃料電池自動車にはロマンと未来を感じます。
化石燃料亡き後の自動車を、化石燃料が残っているうちに考える
2016年3月現在、日本では円安にもかかわらずガソリンがかなり安くなっています。私の自宅近辺では、セルフスタンドでレギュラーガソリンがリッター100円を割り込んでいました。千葉県のガソリン価格はどうなっているのでしょうか。レギュラーガソリンの値段が2桁のところを見たのは初めてです。都道府県別平均ガソリン価格ランキング [ガソリン価格比較サイト gogo.gsを見ても、千葉県のガソリンは安いです。と言うか全国的にガソリン価格は下がっているのではないかと。やはり原油価格が下落しているのは大きいです。しかし、化石燃料がいつか無くなるということを忘れてはいけないと思います。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月08日
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どうして日本では慣習が法律を無視してしまう(サービス残業とか強制部活とか)のでしょうか。法の支配の国なのにどうして慣習の支配になるのか。意味不明です。
慣習と同調圧力が法律を無力化し、「慣習の支配」の国にしてしまう
- 日本人はとにかく「空気を読む」。同調圧力が強すぎる。一旦空気が形成されてしまったら、それを変えるのは至難の業。だから法律違反な慣習が生き残ってしまう。それによって苦しめられる人もいるというのに。慣習の支配滅ぶべし。
- 日本は「法治国家」を標榜しているのだから、法律が国を治めなければならない。当たり前のことだ。慣習の支配などあってはならないし、ましてや慣習が法律を上回るなど論外。慣習の支配は滅ぶべきであると考える。
- 慣習は文書化されていないからわかりにくい。空気を読めと言われたって、空気を凝視しても慣習の条文など出てきやしない。誰でも読めるように文書化するべきだと考える。どうしても慣習の支配を継続したい(慣習を残したい)なら、継続したい慣習の全てを1ミリたりとも残さずに文書化し、それから正々堂々と法律と戦い、慣習が合法であることをきちんと証明しなければならない。…だがそれでも、慣習の支配は滅ぶべきであると考える次第である。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月06日
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タイトルで「部活動文化」と言いましたが、明らかに労働基準法違反なものを「文化」と言って良いものかどうかは疑問が残ります。部活動システムを完全廃止し、完全任意参加の地域スポーツや地域文化活動、クラブチーム等に移行するor活動そのものを廃止することを検討しなければならない時が来ています。
教師の無賃労働と生徒に対する加入強制で維持される部活動はもう要らない!!
- 教師は部活の顧問をしても、残業代が出ない。どこからどう見ても労働基準法違反。本来ならとっくの昔に学校へ労働基準監督署の査察が入っていなければおかしい。もしかしたら、このような教師のブラック労働を生徒に見せつけ、ブラック企業で働く使い捨て労働者を製造しているのかもしれない。一億総ブラック企業。一億総労働基準法違反な環境。
- 生徒も学校側が部活加入を強制してくれば、内申書などのこともあるため、不本意な部活加入を余儀なくされる。不本意部活で無為な時間を過ごすか、(居場所がなくなるリスクを覚悟で)幽霊部員になるかの不利な二択を迫られるか、「休む」という選択肢を排除されて部活で気力体力ともに消耗するか。ブラック部活だ。
- 教師生徒双方(とその家庭)に多大なる犠牲を押し付けてまで部活動システムを維持する意味があるだろうか?いいや決して意味はない!!!部活動は学校から切り離して、地域活動かクラブチームなどとして再編しなければならない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月22日
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若者をdisる時、あるいは大変だったものをもっと楽にできるようにしようとする時(例:残業があったものをきちんと定時に帰れるようにする、育児休業や保育所の利用etc)などに、それなりの確率で「昔はもっと大変で云々」と言い出す人が湧いてきます。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、いわゆる「老害」にカテゴライズされると思います。もう足を引っ張り合ったり、我慢するのが美徳な時代ではありません。
時代が変わればやり方も変わる。必要なのは合理的な変化であって、我慢比べや奴隷の鎖自慢、足の引っ張り合いではない!!
- 大変だったものが楽にできるようになることは、大変喜ばしいことである。これまで強いられていた労苦から解放され、また一つ暮らしやすい世界に向けて前進するのだから。
- 時代が変われば、物のやり方だって変わってくる。変化し続ける環境に適応して生き残るためには、人間そのものも、物のやり方も、環境に適応する方向で変化していく。足を引っ張り合っていても、やり方は改善されず、大変なことは大変なまま残り、やがて自らを破滅へ追い込んでしまう。いい加減足の引っ張り合いや我慢比べが害であることに気づくべき。
- 我慢することは美徳でもなんでもない。我慢のし過ぎは身体に毒だ。足の引っ張り合いや我慢比べ、奴隷の鎖自慢をやめて、現状を改善していく必要があるのではないか。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、社会が変化していることに気づいていない人だ。
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投稿者名:
Koguma