病気になった後、延命治療を行うか否かの判断は本人の意識がはっきりしているうちに、本人の意志によって出来るようにするべきだ。安楽死・尊厳死を合法化し、死に方を自分自身で選ぶ道を開くべきだ。

2016年現在、日本では安楽死も尊厳死も合法化されていません。病気などで意識を失った場合、延命治療を行うか否かの決断は家族に委ねられますが、意識があるうちに延命治療を希望するか否かの意思表示を行い、自分が望む形で人生の終わりを迎えられる道を開いても良いと考えます。

意識がないまま生命維持装置によって強制的に延命されるよりは、延命治療をせずに(苦しまずに)死にたいと思う人もいるかもしれない。安楽死・尊厳死を合法化し、誰もが「延命治療をするorしない」を選択できるようにすべきではないか。

  • 人間誰しも健康なまま穏やかに死を迎えたい(あるいは死にたくない)と思うだろうが、何らかの事故や病気で意識を失ったり、障害を抱えたりする場合もある。本人が意思表示出来ない状態になると、延命治療を行うか否かは家族に委ねられる。だが、家族とはいえ他人の命を直接左右してしまう決断を迫られる負担はあまりにも大きい。
  • 延命治療を行うか否かは、本人が健康な(意識がはっきりしている)間に意思表示を行い、それを書面に残すようにするべきだと考える。また、安楽死・尊厳死を合法化し、延命治療を望む人には延命治療を施し、延命治療の苦しみを味わいたくない人が苦しまずに死を迎えられるように…誰もが人生の終わり方を選択できるようにするべきではなかろうか。

「延命治療をするorしない」。患者の家族は、他人の命を直接左右してしまう究極の決断を迫られる。この負担はあまりにも大きい。

この世に生まれた人間ならば、誰もが楽しい人生を送り、健康なまま穏やかに死を迎えることを望むでしょう。人によっては、不老不死を望むかもしれません。しかし、人口動態統計の資料(PDF)によると、2015年の日本人の死亡要因TOPは悪性新生物(がん)(28.7%)であり、老衰は6.6%です。また、不慮の事故による死亡も3.0%と、無視することは出来ない割合です。何らかの事故や病気で死を迎えたり、命をつなぐことは出来ても意識を失ったままになる可能性は、誰にでもあります。

さて、延命治療を行わなければ死ぬという人が何らかの事情で意思表示が出来ない場合、患者の家族は「延命治療をするorしない」の判断を迫られます。家族といえども、他人の命を直接左右する究極の選択ですから、相当な負担です。しかし、本人が延命治療を望むか否かを書面に残していれば、本人の決断で事は運びます。残される家族も、「本人がそう望むなら」という理屈でなんとか自分を納得させることが出来るのではないでしょうか。

延命治療を望むか否かの意思表示は健康なうちに行う必要があるし、そろそろ安楽死・尊厳死を合法化する必要があるのかもしれない。

延命治療を行うか否か。これは、命を直接左右する究極の決断です。そして、自分がどのように生きるかは、自分自身で選択するべきです。そう考えていくと、重い病気にかかった時などに、あくまでも命をつなぐことにこだわって延命治療を受けるか、あるいは延命治療の苦しみを味わうことなく運命に身を任せるか――「延命治療をするorしない」の選択は、出来るのであれば本人が健康な(意識がはっきりしている)うちに、本人の意志によって行うべきであると考えます。

また、日本でもそろそろ安楽死・尊厳死を合法化し、より主体的に人生の終わり方を選択できるようにする必要があるのではないかと考えます。老衰で穏やかな最期を迎えることができればそれが理想なのですが、病気や事故などが原因で苦しみながら、人間としての尊厳を保てぬまま延命治療を行う場合もあります。そのような時に、本人が「人間としての尊厳を保ちながら死にたい」「(病気などが治る可能性がない時に)もうこれ以上治療の苦しみを味わうことなく死にたい」と望むのであれば、その望み通りに最期を迎えることが出来る道を用意するべきではないでしょうか。

この手の話題は人の命に直接関わってくるので難しいところですが、人生の終わり方の選択肢を増やし、本人が自由意志で人生の終わり方を選択できるようにはするべきです。無論のこと本人の意志が尊重され、死の選択を強制されないことが大前提ですが、安楽死・尊厳死の合法化は、遠からず必要になると考えます。

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