日本の裁判員制度は見直すべき時が来ている。一般市民が死体の写真を見たり死刑判決を下すのは負担が大きすぎる。
投稿日:2015年11月10日
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見直しが必要だと思うもろもろ
- 普通の生活をしている一般市民が突然呼びだされて死体の写真を見せられ、死刑判決を下す(可能性がある)。一般市民の負担が大きすぎないかこれ。
- 裁判所への出頭が(一応)義務となっており、特別な理由がなければ拒否できない(正当な理由なくすっぽかしたり嘘ついてすっぱぽかしたら罰金らしい)。精神的負担が尋常じゃないのに国民の義務。これはひどい
- 参加したい人は右肩下がり。参加したくない人は右肩上がり。制度廃止も視野に見直しが必要。
完全に国民に見放された裁判員制度。そもそもの制度設計が…
裁判員制度の設計は、一言で言うなら「どうしてこうなった」。司法に対する国民の理解の向上が目的なら、何も死刑判決の可能性があるような重大事件に絞らなくても良かったんじゃないのか。万引きとか人が死んでない事故とかのもっと軽めの(当事者の皆様ごめんなさい)事案なら裁判員もそこまで精神的負担がかからないはずなのに。
そして拒否権なし。これじゃあ国民の意識も下がる。せめて参加するかどうかは自由意志に任せないと、制度に反感を抱かれますよ。強制的に就任させられた学級委員と立候補して選ばれた学級委員のどちらがやる気が高いか。それを考えればアホでもわかるかと。
諸外国では(いわゆる「陪審員」制度では)さいば…「陪審員」のやることは有罪か無罪かの判断。それだけになります。日本の裁判員制度見たく量刑まで判断する必要はありません。量刑を決めるのは職業裁判官の仕事になります。日本もこれだったらまだ国民の意識も上向いたかもしれないのに。
とにかく不合理な点が多々あるのが、日本の裁判員制度です。一旦廃止にした方がいいんじゃないのかと思うくらい、国民に課す義務として悲惨な出来になっています。
これからの制度設計は難しい
ともあれ、こんな惨状でも粛々と裁判員裁判がとり行われています。数多の矛盾を抱えながら。参加した裁判員は、自分の判断に生涯悩まされ、ときには死体の写真を見せられたりその他様々な理由でPTSDになることさえあります。それでも裁判員裁判が必要かどうか。
国民が司法に関心をもつことは、たしかに大事なことかもしれません。しかし、それによって犠牲になる善良な一般市民がすでに出てしまっているのは紛れもない事実です。もっと国民の負担が軽い、関心を持ちやすく、公正な制度が望まれます。