「終身雇用」を社会保障の代替にできる時代はとっくの昔に終わっているのではないかと思う。ゆえに社会保障システムを全世代対象に再構築しなければならない。

いわゆる日本型雇用の特徴の一つに「終身雇用」があります。一度正社員として雇われれば定年するまでの雇用(ひいては労働者の生活)が保障されるので、生活保護や失業保険などの「働けるけど会社から放り出された人に最低限度の生活を保障する制度」(救貧制度)をまともに整備しなくても社会保障はそれなりになんとかなりました(リストラされないから生活保護・失業保険に頼る人はほぼいない+定年後の生活は年金が保障)。しかし、近年は終身雇用の維持が難しい経済情勢になり、またそもそも終身雇用の庇護下に入ること(正社員として雇われること)の難易度もかなり上昇しました(だから就活が大変なことになるのです)。もはや企業に社会保障システムの一翼を担わせることはできないと思います。よって、社会保障システムは全世代が救済する対象になるように再構築する必要があります。現在の社会保障システムは若者や勤労世代に対する保護があまりにも手薄です。

社会保障システムは再構築しなければならない。企業が安心して人を雇えるようにするためにも、個人が安心して生活できるようにするためにも。

  • 企業に社会保障システムの一翼を担わせようとした結果、正社員を解雇することには非常に大きなハードルができた。その結果、企業は正社員(=ハイリスクな雇用・コストも非正規と比べて高い)を極力減らし、不足人員を出来る限り非正規雇用(=ローリスクな雇用・日本においてはコストも安い)で賄おうという発想に行き着いてしまった。その果てが現在の就活地獄なのかもしれない。
  • 公的な社会保障システムを全世代対象に再構築し、特に若者や勤労世代に対する保護を手厚くしなければならない。生活保護は利用しやすくて脱出もしやすい制度を目指さなければならないし、失業保険ももう少し拡充して再就職までの時間稼ぎになるような制度を目指さなければならない。失業した時の生活保障システムがしっかりできれば、正社員の保護を緩めることも可能になるし、そうなれば企業ももう少し気軽に正社員を雇えるようになる。企業の安定のためにも、個人の安心のためにも、社会保障システムを全世代対象にしなければならない。

企業に労働者の生活保障を押し付けることができる時代は終わった

日本型雇用の特徴の一つとして、「終身雇用」が挙げられます。正社員として企業に採用されれば、定年を迎えるまでずっと同一企業で雇用され続けるシステムです。労働者側から見れば、一度正社員として採用されれば定年を迎えるまでの人生設計が格段に楽になります(「年功序列」システムと合わせて「何歳ごろにいくらぐらいの収入があるのか」がだいたい分かるので)。会社側から見ても、新卒採用なら(60歳定年と仮定して)同じ人を約40年にわたって雇用し続けるわけですから、ある程度長い時間をかけて従業員を育成することができます。たとえ育成にコストが掛かっても、長期雇用ですから投資を回収する時間は十分にあります。「終身雇用」システムは労働者と企業の双方にメリットがあるものでした。こうして「終身雇用」による勤労世代(とその家族)の生活保障が成立しました。労働者(とその家族)の生活保障は企業の役割ということになります。

しかし、現在はもはや『「終身雇用」による労働者(とその家族)の生活保障』は成り立ちません。就職氷河期や現在の就活地獄を見れば分かる通り、新卒採用でも正社員としてまともな企業に雇用されることは至難の業になってしまいました。企業にしてもいつ何が起きてもおかしくない現在の経済情勢では、約40年にわたって労働者(とその家族)の生活保障をしなければならない「終身雇用」システムは正社員を雇う上で回避できない大きなリスクです。また、「正社員として働く父親+専業主婦+子供数人」といった形態の核家族も、現在は減ってきているのではないかと思います。「共働きの両親+子供」の組み合わせは増加しているはずですが。また、「身内は助け合うもの」という(かつての)常識も、現在は成立しにくくなっているのではないかと考えます。長きにわたって続いた不況で労働者の収入は減少し、身内といえども支援するだけの余裕がなくなっている、というのは考えられます(大学生の子供への仕送りも減少している)。収入がある親族による収入のない親族への生活保障も確実に崩壊してきています。

これらのことからも分かる通り、日本型雇用によって勤労世代(とその家族)の社会保障を代替することはもはや不可能です。勤労世代(とその家族)の社会保障も国家が行わなければなりません。申し訳程度に生活保障と失業保険はありますが、現時点では(失業したorワーキングプアの)勤労世代(とその家族)の社会保障の役割を果たしているとは言い難いです。生活保護申請で「水際作戦」が行われているのは周知の事実ですし、生活保護制度が「使いやすく、脱出もしやすい」制度になっているとは口が裂けてもいえません。

若者や勤労世代の生活保障の役割を果たせて持続可能な社会保障システムを実現しなければならない

というわけで、社会保障システムは直ちに再構築しなければなりません。将来世代に負担を押し付けず(赤字国債や増税地獄・保険料地獄を作らない)、それでいて若者や勤労世代の生活保障の役割を果たし、さらに家族の形態の多様化にも十分対応可能なシステムが必要です。日本国憲法第二十五条はこのような条文です。

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第二項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法

つまり、「国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利は国家が保障せよ」という意味です。就職に失敗したり、会社の倒産やリストラなどで失業した若者や勤労世代などの生活保障(と職業訓練・就職支援・企業に対する労働基準法遵守の徹底=ブラック企業の完全駆逐)を充実させ、「失業しても当面の生活は社会保障システムがなんとかするし、再就職もきちんと支援してもらえる」状態にすべきです。生活保護は「使いやすく、脱出もしやすい」制度にしなければなりませんし、失業保険も就職支援・職業訓練などと組み合わせて「再就職までの時間稼ぎ」の役割を果たせるようにしなければなりません。また、「生活保護を頼るほどではないけれど家賃が高すぎで生活が困窮(泣)」という人もいないとは限らないので、そこそこ住みやすくて家賃が安く、単身世帯にも大家族にも対応可能な公営住宅(あるいは公的な家賃補助システム)も必要かもしれません。

これまでの日本は、高齢者向けの社会保障システムは比較的充実している一方で、若者や勤労世代向けの社会保障システムの整備や多様化した家族形態への対応はあまりにも遅れていたのではないかと思います(最近は高齢者向けの社会保障も切り下げが始まったようですが…)。また、社会保障予算の膨張と赤字国債の発行は止まらず、政府債務残高の増加に歯止めがかかる気配は未だ薄いです。現在のままでは、勤労世代と将来世代の負担があまりにも大きくなりすぎるのではないでしょうか。そうならないようにするためにも、社会保障システムの全世代対応・多様な家族形態への対応・財政負担の軽減は直ちに行わなければなりませんし、そのためには私達も今後の社会保障システムがどうあるべきかを考えなければならないのかもしれません。

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