ISIL(ISIS)は「イスラム国」と呼ばれることが多々あるが、何もイスラム教徒の全員があんな過激なテロを行うわけではない。一部の過激派が悪目立ちしているだけだ。
投稿日:2016年10月06日
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一部の人の悪行のせいで、その人が属する集団全体が悪く見られてしまう現象は残念ながらよくあることだ。だが、他者への理解を深める事で、回避できる悲劇もあるかもしれない。
- 例えば学校などで、一部のアホ野郎が悪行をやらかしたせいで学校(クラス・学年)全体のイメージがダウンし、その他大勢の善良な人たちが巻き添えを食らう…などのように、一部の人の悪行のせいで集団全体が悪く見られてしまう現象は、残念ながらよくあることである。だが、よくあることだからといって、偏見や風評被害などを放置してもよいわけではない。
- 最近は「イスラム国」とも呼ばれるISIL(ISIS)や、一部のイスラム過激派(タリバンなど)などがテロを引き起こして悪目立ちしているが、大多数のイスラム教徒は善良な一般市民である。一部の人の行いを見て、集団全体を差別したり偏見を持ったりすることはおかしい。自分がよく知らないものには恐怖を抱きやすい面もあるが、正しい知識を身につけ理解することで、回避できる悲劇もあるのかもしれない。
一部の人の悪行のせいで、集団全体が悪く見られてしまい、その他大勢の罪なき人々が巻き添えを食らう現象。よくあることではあるが、それによって生じる差別や偏見、風評被害等を放置してはいけない。
ある集団に属している一部の人が悪事をやらかし、そのせいで集団全体が悪く見られてしまうという現象は、残念ながらよくあることです。例えば学校などで、一分のアホ野郎の悪行のせいで、学校(クラス・学年)全体に悪いイメージが付きまとう事があります。そして、その他大勢の罪なき善良な人たちまで巻き添えを食らい、差別されたり偏見を持たれたりします。
このような現象が発生するのはよくあることですが、だからといって差別や偏見、風評被害を放置して良いわけではありません。悪事をやらかした本人のみが被害に遭うのならばまだしも、その他の罪なき人にまで被害が及ぶことは、決して容認されるものではないでしょう。筆者自身を含め、なにか悪いことがあると、悪いことをした人が属する集団全体に偏見を持ってしまいがちですが、本当にその集団の全員が一致団結して悪事に手を染めている場合を除けば、「その集団に悪いことをした人が紛れてはいるが、その他大勢の善良な人もいる」ということは認識しなければならないと考えます。
一部のイスラム過激派はテロを起こしたりもするが、その他大勢の善良なイスラム教徒もいる。テロは許されざる行為だが、それがイスラム教徒全体に対する差別や偏見につながってはいけない。
一部のイスラム過激派は最近になってもテロを起こしていますし、「イスラム国」と呼ばれることが多いISIL(ISIS)も2016年現在では活動を継続中です。日本ではイスラム教への馴染みが薄く、せいぜい「豚肉と酒はアウト」「年に1ヶ月ほど『ラマダン』があり、日が昇っている間だけ断食する」程度の知識しかない人も少なくないのかもしれません。また、イスラム過激派のテロのニュースを見て、イスラム教に対して「よくわからないが怖そうだ」というイメージをお持ちの方もいるかもしれません。
しかし、イスラム教そのものがテロを起こすような宗教というわけではありません。イスラム教は7世紀のはじめ頃に成立した由緒正しい宗教です。現在も世界3大宗教に数えられ、信者数は10億人を超えます。喜捨(ザカート:困窮した人のために財を分け与えること)をするように定められていたり、異教徒に対しても税を納めるだけで身の安全と信仰の自由を保障したり(どこぞの十字軍とは大違い)と、平和的な宗教だと思います(あくまで個人の感想ですが)。大多数の善良なイスラム教徒はごく普通に一般市民として生活しています。ただ、悪事をはたらく過激派が悪目立ちしてしまっているのです。
テロは許されざる行為ですが、それがイスラム教徒全体に対する差別や偏見につながってはいけないと考えます。…人間は、未知のものに対してはどうしても恐怖心を抱いてしまいがちです。怖いニュースを聞かされれば尚更です。しかし、正しい知識を身につければ、未知のものに対する恐怖は和らぎ、正しい判断をする余裕を持つことが出来るはずです。他者を知ることによって、防げる悲劇もあるのではないでしょうか。少なくとも、ある宗教の人が悪事を働いたというだけで、その宗教全体を差別したり、偏見を持つようなことは、あってはならないことであると考えます。
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