犯罪被害者やその家族のプライバシーは当然守られなければならない。当たり前のことだが、マスコミも裁判所もその点を最大限配慮しなければならない。

マスコミの一部は犯罪被害者の実名を報道するなど、被害者のプライバシーを無視した悪行を繰り返しています。しかし、犯罪被害者やその家族のプライバシーは当然守られなければならないのです。マスコミも裁判所も、その点には最大限配慮しなければなりません。

犯罪被害者やその家族のプライバシーは守られなければならない。被害者のプライバシーを最大限尊重するのは報道する側の最低限の義務だし、裁判所も裁判員裁判を行うときなどには配慮が必要だ。

  • マスコミには確かに報道の自由があるが、プライバシーは誰にだってある。犯罪被害者とて例外ではない。報道の自由の名のもとに犯罪被害者の個人情報を晒しあげることは、完全にプライバシーの侵害である。関係者のプライバシーを最大限尊重するのは報道する側の最低限の義務だ。プライバシーを尊重することさえろくに出来ない報道機関には、マスコミを名乗る資格はないだろう。マスゴミの名が相応しい。
  • 裁判所も、裁判員裁判を行うと事件の情報が漏洩する範囲が広がり、その分だけ被害者のプライバシーが蔑ろにされることは自覚しなければならない。裁判員裁判を継続するのであれば、せめて被害者やその家族に対して、裁判に裁判員を入れるか否かの選択権を与える必要があるだろう。犯罪被害者やその家族のプライバシーは守られなければならない。

マスコミには報道の自由があるし、市民には知る権利がある。しかし、そのために誰かのプライバシーを犠牲にすることは許されるのだろうか。報道機関がプライバシーを尊重することを忘れた瞬間、マスコミはマスゴミと化す。まさに外道。

マスコミには確かに報道の自由があります。また、一般市民にも知る権利というものがあります。正しい情報がきちんと報道されなければ、物事を正しく判断することなど出来るはずがありませんから、民主主義国家を正常に保つためには、マスコミが正しく仕事をすること、一般市民が知る権利を正しく行使することが必要不可欠です。

しかしその一方で、誰もがプライバシーを持っていることを忘れてはいけません。誰にだって公開されたくない秘密がありますし、保護しなければならない個人情報があります。プライバシーは守られなければなりませんし、それは犯罪被害者やその家族でも例外ではありません。

マスコミによる犯罪被害者の実名報道や、その他犯罪被害者やその家族のプライベートの報道は、被害者やその家族のプライバシーを侵害していると言わざるを得ません。報道の自由・知る権利とプライバシーという相反する権利の調整は難しいところですが、報道する/しないの決定権を握っている報道機関は、取材対象のプライバシーを最大限尊重することが最低限の義務であると考えます。プライバシーの尊重という最低限のことを忘れ去ってしまった時、報道機関はマスゴミと罵られるようになるでしょう。

裁判員裁判を行うと、事件や被害者などの情報が漏れ伝わる範囲がどうしても広がってしまう。被害者やその家族に対して、裁判に裁判員を入れるか否かの選択権を与えるべきではなかろうか。

裁判員制度が始まってから久しいですが、裁判員制度もまた、見方によっては犯罪被害者のプライバシーを蔑ろにしている制度であると言えます。裁判員裁判には当然の事ながら裁判員が参加するわけですから、それだけ事件や被害者の情報が漏れ伝わる範囲が広くなります。裁判員制度の導入により、犯罪被害者の精神的苦痛がより大きくなってしまっている面もあるのです。

裁判員制度は市民の司法参加への道を開いたといわれますが、その代償は意に反して裁判所に呼び出された裁判員候補者、犯罪被害者やその家族が支払っています。裁判員制度を廃止するとまでは行かなくとも、せめて被害者やその家族に対し、裁判に裁判員を参加させるか否かの選択権を与えるとともに、裁判においても被害者のプライバシーが最大限守られるようにするべきではないでしょうか。

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