カテゴリ:労働・雇用関連

「働かざる者食うべからず」という言葉もあるが、働いたせいで働けなくなった人や働こうにも働けない人を守らねばならない。全年齢対応型社会保障システムが必要だ。

投稿日:2016年11月08日
最終更新日:

生活保護を批判するときなどに、「働かざる者食うべからず」という言葉が出てくることがあります。しかし、働くことによって働けなくなった人や働こうにも働けない人を守るためには、全年齢対応型の社会保障システムを用意する必要があると考えます。

労働が大変だからといって、社会保障システムを叩く方向に走ってはいけない。誰もがいつ何時働けなくなるかわからない以上、働けない人を守るシステムは必要なのだ。労働が大変なら、生活保護叩きではなくストライキをするべきである。

  • 生きている以上、誰もがいつ何時働けなくなるか分からないし、働く能力はあっても仕事ができない環境に追いやられるかもしれない。そうなっても大丈夫なように、社会保障システムが有る。不正が出るのは仕方がない面もあるし、不正を極力減らすための努力は必要かもしれない。だが、社会保障システムの存在そのものを否定するのはナンセンスである。自分のセーフティーネットを叩き潰してしまうわけだから。
  • とは言え、社会保障システムの改修・再構築は必要である。現在のような年齢で区切るシステムを維持しようものなら、世代間格差が大きくなり過ぎて高齢者の大虐殺が発生する恐れがある。年齢にかかわらず働ける環境にある人には働いてもらい、何らかの事情で働けない人を社会保障で守るシステムにしなければならない。
  • 「自分はめっちゃ頑張って働いているのに生活保護でタダ飯食ってる怠け者がいるのが許せない」という人もいるかもしれないが、その場合正すべきなのはひどすぎる労働環境である。生活保護叩きではなく、賃上げ要求や労基法違反の殲滅、残業時間の削減、休みの確保にエネルギーを投下するべきだ。「最低賃金で週40時間働いたときの生活>>生活保護での生活≧健康で文化的な最低限度の生活」になるような最低賃金を設定しなければならない。
続きを読む

日本から労働基準法違反を一掃するために、労働基準監督官の武装やおとり捜査、労働条件監視官をスパイとして企業に送り込むことを認めるべきかもしれない。

投稿日:2016年10月23日
最終更新日:

日本から労働基準法違反がなくならない背景には、「実態や証拠がつかみにくい」という側面もあるのかもしれません。何とかして労働基準法違反を一掃するため、労働基準監督官の武装や企業に対するおとり捜査、労働条件監視官をスパイとして企業に送り込むことを認める必要があると考えます。

労働基準法違反を撲滅するためには、どんな些細な違反も見逃してはいけないし、企業が違法行為に手を染めようとする意志を徹底的に削がねばならない。あらゆる手段を総動員し、労基法違反を討伐して労働者を守るのだ。

  • 労働基準法違反の行為は実態が外からは掴めなかったり、証拠を確保することが難しかったりする(証拠が改ざんされることもある)。「100人の真犯人を逃しても1人の冤罪被害者を出してはいけない」という原則を崩すことは断じて許されないから、違法行為が行われても取り締まることが難しくなっていたのかもしれない。
  • しかし労働基準法違反を放置していては、労働者が安心して働くことは出来ない。労働基準法違反を一掃するためには、労働基準監督官が拳銃等で武装することを認めたり、おとり捜査を解禁する必要がある。あるいは労働条件監視官をスパイとして企業に送り込み、労働基準法違反が発生したらすぐさま企業を現行犯逮捕できるようにする必要もあるかもしれない。
  • 労働基準法違反をもれなく締め上げるためにありとあらゆる手段を総動員し、労働基準法違反を絶対に許さない環境を構築しなければならない。安心して働ける環境が絶対に必要だ。
続きを読む

「受刑者の労働が楽すぎる」と批判する企業もあるようだが、塀の外の労働が過酷なだけである。受刑者さえ1日8時間以下の労働なのだから、塀の外でも1日8時間以下の労働にしなければ。

投稿日:2016年10月22日
最終更新日:

罪を犯し、懲役刑を課された受刑者は刑務所で作業に従事します。刑務所内においても労基法に定められている通り、1日の労働時間が8時間を超えないようにされていますが、出所者を雇用する企業からは「刑務所内での労働時間が短すぎる」という批判の声も出ているようです。しかし、そのような批判を行う企業こそ、従業員を過酷な労働条件で働かせている罪で糾弾されるべきではないでしょうか。

労働基準法はあくまでも「これ以上劣悪な条件はアカン」というライン(と違反時の罰則)を定めているに過ぎない。1日6時間労働・週休3日の何が悪いというのか。塀の外でも労働条件の改善がなされるべきだ。受刑者さえ残業がないのだから。

  • 罪人を収容する刑務所でさえ、受刑者の労働時間については労働基準法が守られている。実質1日7時間労働(週2~3回は入浴による労働時間短縮)・土日祝日休み。大変良心的である。8時間労働を試験導入した刑務所もあるようだが、それでも労働基準法で定められている「労働時間は1日8時間以内」という条件は守られている。これできちんとした給料と労働時間以外の自由・有休等が保障されれば立派なホワイト企業である。刑務所に就職するために万引きをする人が出たら困るが。
  • 労働時間はあくまでも「これ以上劣悪な条件はアカン」というライン(と違反時の罰則)を定めているだけである。1日6時間労働・週休3日を導入しても、法的には何も問題ない。労働基準法には「労働基準法で定めた基準を理由に労働条件を悪化させてはいけないし、労働条件を向上させる努力を怠ってはいけない」という趣旨の一文が第一条に盛り込まれている。労働条件は常に改善されなければならないのだ。
  • 「受刑者の労働が楽すぎる」という批判を浴びせる企業もあるようだが、その企業では1日8時間以内労働の原則が守られているのだろうか。社員に残業させるのはある種の犯罪である(罰則付き)。たとえサブロク協定を締結していても、残業は最小限にしなければならないし、全残業時間について残業代を支払わなければならないことは言うまでもない。塀の中でさえ労働時間は労基法に則っているのだから、塀の外でも労働条件は改善されなければならない。労働条件改善の義務を怠る企業こそ、従業員を過酷な労働条件で働かせている罪で糾弾されるべきである。
続きを読む

問題があるならば、少なくとも死人が出る前に対処しなければならない。死人が出るまで放置するような姿勢には問題がある。

投稿日:2016年10月19日
最終更新日:

学校におけるいじめ(という名の犯罪)問題も、ブラック企業問題も、既に死亡者が出てしまっています。未対処の問題について、きちんと対処するのはとても重要な事です。しかし、本格的な対処の開始が死亡者発生後というのはいくら何でも遅過ぎるのではないかと考えます。

死人が出たならば、その問題はかなり悪化している。問題は本格的に悪化する前に対応を始め、最小の犠牲で解決しなければならない。

  • 何らかの問題(例:いじめ(という名の犯罪)、ブラック企業、組体操など)があるならば、速やかに対処して犠牲者数を最小にするべきだ。問題をすぐに解決すれば、問題に苦しめられる人間が減るのは自明。問題によって消耗するはずだったエネルギーを消耗せずに済み、余ったエネルギーを他のことに使える。また、将来世代に押し付ける負の遺産も減らすことが出来る。
  • すぐに問題に対処すれば後々のためにも有益なのに、実際には労働問題もいじめ問題も放置されることが多々ある。どちらも既に何人もの人が死んでしまっている。これは問題への対処が遅すぎたことの何よりの証である。死人が出た後の対処も大事ではあるが、犠牲者が出ることを予防することはより重要ではないか。
続きを読む

「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは構築も運用も出来ない。そんなことをすれば再起不可能なレベルで消耗する人や自殺する人が出てきてしまう。

投稿日:2016年10月14日
最終更新日:

ある人が何か(仕事など)で努力しているとしましょう。本人としては「これくらい努力している」という認識があるはずですが、他人からの努力の捉え方は、おそらく人によって違います。「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは、構築も運用も不可能であると考えます。

ある人の努力をただひとつの(誰が測定しても同じ値になる)基準で測定することは出来ない。どこまで努力すれば「限界」なのかが正確にわからない以上、「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは成立しない。

  • ある人が行った努力をどのように捉えるかは人それぞれである。同じ努力でもある人から見れば「ものすごく努力したんだな」と考えるかもしれないし、別の人は「全然努力してないぜこの怠け者は」と考えるかもしれない。努力の度合いをきちんと規格が決められている(誰が図っても同じものならば同じ値になる)ものさしで測ることは出来ない。ものさしがないから。
  • 努力の度合いを正確かつ公平に測定することは不可能である。これでは「限界まで努力しろ」と言われても、果たしてどこが限界なのかを他人が知ることは出来ない。もしかしたら自分でさえも分からないかもしれない。よって「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは構築・運用共に不可能である。
  • 「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムが構築されたらば、再起不可能なレベルで消耗する人やすべてを諦めて自殺する人が出てきてしまうだろう。努力の度合いにかかわらず、支援が必要な全ての人に必要な支援がなされるシステムを構築する必要があると考える。
続きを読む

「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるが、むしろ金のために仕事をするのが普通である。仕事にはきちんとした対価が絶対に必要だ。対価を支払わなければ品質保証もない。

投稿日:2016年10月11日
最終更新日:

一部には「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるかもしれませんが、現代は食べ物すらお金を出して買わなければならない時代です(自給自足の農家を除けば)。ですから、金のために仕事をするのは、ごく当たり前でふつうのコトなのです。また、仕事にきちんとした対価を支払うからこそ、相手に品質保証を要求することが出来ます。

人間は生きるために仕事をする。生きるためには金が必要だから、金を稼ぐために仕事をするのがスタンダードになった。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、ごく普通の契約である。

  • 現代においては、生活するためにはどうしても金が必要である。よって、仕事は生きるため、金をもらって生活を成り立たせるために行うものとなる。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、まっとうな契約だ。仕事をする側とさせる側は対等な人間だから、対等な立場で契約を締結し、対価を払って仕事をしてもらうわけだ。
  • 何の対価も支払わない仕事では、仕事をする側とさせる側が対等ではなくなる。また、対価を支払わないということは、仕事をする側も仕事に責任を持たなくて良いことになる。粗悪なものが納品されても文句は言えない。対価があるからこそ、仕事をする側も仕事の品質を保証できるのだ。
続きを読む