カテゴリ:その他
投稿日:2016年07月28日
最終更新日:
日本には「破られる原則」がそれなりにあるのではないかと思うことがあります。例外を常時発動するのは流石にいかがなものかと思います。
例外はあくまでも「どうしようもない緊急事態に対処するための一時的なもの」だ。平時においては原則は守られなければならない。24時間365日いつでも有事というわけではないはずだから。
- 一般的に適用される基本的なルールが「原則」。原則があれば例外もある。だが、例外はあくまでも「どうしようもない緊急事態に対処するための一時的なもの」。平時は曲がりなりにも法律を守るが、大災害などでどうしようもない時だけ超法規的措置がとられることもある。超法規的措置は紛れもない「例外」だ。
- だがしかし、日本には「常時発動している例外(常時破られる原則)」がある。例えば、労働基準法第32条は週40時間を超えての労働を禁止している。だが、実際にはサブロク協定を締結して(あるいは締結しないまま)社員に残業をさせている会社がある。残業はまさに「例外」。曲がりなりにも法律に則って認められている例外だから超法規的措置とは言わないが、労働者を守る最後の砦と言える労働基準法の規定を無力化してしまっている点においては超法規的措置に限りなく近い。
- 他にも赤字国債や道路の制限速度など、「常時発動している例外(常時破られる原則)」はまだまだある。守れない原則を定めてもしょうがない。例外の発動は抑制すべきだが、原則の方も誰もが無理なく守れるラインで設定される必要がある。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年07月18日
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2016年3月26日には北海道新幹線が開業し、新幹線が青函トンネル経由で本州と北海道を結ぶことになりました。しかし、JR北海道の経営は相変わらず苦しいままのようです。鉄道路線を維持するためとはいえ、いつまでも赤字を垂れ流すわけにも行きません。JR北海道の赤字を何とかするためには、赤字路線を徹底廃止し、どうしても維持したい(しなければならない)不採算路線はJR北海道からは切り離し、第三セクターなどに移管することになるのかもしれません。
公共交通を維持するためとはいえ、いつまでも赤字を垂れ流す訳にはいかない。北海道は寒冷地で設備の維持管理が大変だから、赤字しか生まない路線は冷徹に切り離す必要があるのかもしれない。
- JR北海道は社名の通り北海道が営業エリアとなる。北海道は寒冷地だから、除雪や設備の維持管理にかなりの経費を要する。また、北海道は広い上に人口は極端なまでに札幌一極集中である(道都札幌市の人口が2015年国勢調査の速報値で約195万人(北海道全体の人口の3分の1くらい)、第二都市の旭川市が同約34万人)。輸送密度低し。おまけにその他の交通機関との競合もある。これでどうやって黒字を出せというのか。
- JR北海道は赤字と不祥事が積み重なり、新型特急車両は開発中止になった。現存する特急もスピードダウンや減便が行われた。古くなった車両の更新もままならず、北海道新幹線も黒字をもたらすわけではないそうな。青函トンネルの維持費もJR北海道に重くのしかかる。(JR貨物はアボイダブルコストルールなるものでJR各社に支払う線路使用料を抑えているが、せめて青函トンネル区間だけは正規の使用料を支払うべきではなかろうか。)
- ともあれ、何とかしてJR北海道は鉄道事業の赤字を減らさなければならない。そのためには、赤字を垂れ流すばかりの路線を冷徹にJR北海道から分離していくことになるかもしれない。JR北海道には今のところドル箱となる事業がないから(強いて挙げるならば経営安定基金の運用益か?)、他の路線の黒字を使って赤字路線を維持するような芸当は難しいだろう。経営資源は黒字事業に集中し、どうしても維持しなければならない赤字路線は第三セクターなどに移管するのが妥当だろうか。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年07月09日
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現在は家族の形も多様化し、共働き家庭やひとり親家庭、独居老人も増加しました。昔々の「標準世帯」(働いている夫+専業主婦の妻+子供2人)を前提とした社会福祉システムでは、超高齢社会にも多様化した家族のスタイルにも対応できません。もはや「赤ん坊も老人も家庭で面倒を見ろ」とは言えない時代です。だって家庭内にそんなことが出来るだけの人員がいませんから。
「家族の面倒は家族で見ろ」というのも、もはや現実的ではない。だから外部のサービスを利用して何とかする。
- 現在は家族の形が多様化している。昔々の「標準世帯」(働いている夫+専業主婦の妻+子供2人)を前提として社会保障・福祉サービスを考えることは出来ない。共働き家庭もひとり親家庭も増えた。独居老人だって増えている。雇用も不安定になってきている中、家族だけで家族の面倒を見きることは不可能。様々な形の家族に柔軟に対応できるシステムが必要不可欠だ。
- 「家庭で赤ん坊の面倒を見ろ」となってしまえば、両親のどちらか(大抵の場合は母親)が就労を諦め、就労している方は一人分の収入で家族を養わなければならなくなる。賃金が上がり続けて雇用が安定する見込みが薄い上に子供の教育費もかかるというのに、それは酷というものだ。だから保育所に子供を預けて共働きを選択する人は多いし、待機児童問題も発生する。両親が揃っていてもこの有様。ひとり親家庭だとおそらくもっと大変なのだろう。祖父母が子育てを支援できるとも限らない。
- 「家庭で老人の面倒を見ろ」となった時も、親戚の誰かが介護離職を余儀なくされるのだろう。子育てもそうだが、介護も24時間365日無休でやることになってしまってはどうしようもない。だから外部のサービスを使ってなんとか介護をしていくことになる。外部のサービスの力を借りることが出来なければ、家族が24時間365日休みなく面倒を見ることになってしまいかねないし、介護殺人という悲劇を生み出しかねない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年06月21日
最終更新日:
同じ成果を出すにしても、そのために費やすエネルギーは人によって様々です。ある仕事を超余裕の表情でさくっと瞬殺する(実力がある人)人もいれば、何らかの(特別な)支援を得てなんとかこなす人もいますし、(特別な支援は得られないが)自分のキャパを超えるくらい頑張ればなんとかできてしまう人もいます。そして、特別な支援を得られない立場の人が「なんであの人だけ特別な支援があるんだろう。ズルい。不公平だ。」という感情を抱いてしまうのは、ある意味ごく自然なことであり、頭ごなしに否定できるものではないと思います。
「自分は頑張っているのにあいつは支援をもらって怠けている(ように見える)のが許せない」という感情が発生することはごく自然なこと。「ズルい」という感情を否定してもなんの解決にもならない。
- 同じ物事をやるために、何らかの事情で特別な支援が必要になる場合がある。「合理的配慮」の考え方を持ち出せば、個々人の事情に応じて(支援する側の負担になり過ぎない範囲で)適切な支援をするのが正解だし、支援を必要としている人に適切な支援をすることができる社会であるべきだと思う。
- しかしその一方で、「支援無しで本人の限界ギリギリ(あるいは限界突破)で頑張ってなんとか物事をこなしている人」のことも忘れてはいけないと思う。頑張ればなんとかこなせてしまうからより悲惨なことになる。本当は支援が必要でも「できてるんだから別に要らないでしょ」と切り捨てられることも。これでは「自分は頑張っているのにあいつは支援をもらって怠けている(ように見える)のが許せない」という感情が発生するのは当たり前。頭ごなしにその感情を否定しても全く意味が無いどころか余計な対立が更に深刻になってしまう。
- 支援をする・しないの境界線をどこかで引いてしまうのが対立と悲劇の始まりかもしれない。個々人の能力レベルは階段状に分かれているわけではないのだから。緩やかな坂道の上に個々人の能力レベルがある。だから全ての人に個々人のレベルに合った支援が必要。支援の形態も様々で、人間による支援もあれば、ツールによる支援もある。この文章だってパソコンの助けを借りて書かれているし、面倒な計算の答えを電卓ソフトの力を借りて導き出す人も多いのではないだろうか。こういうのも支援の一形態。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年06月17日
最終更新日:
2016年4月1日に、ゆうちょ銀行の預入限度額が1300万円に引き上げられました(ゆうちょ銀行の告知ページ)。しかし、ゆうちょ銀行に「暗黙の政府保証」があることと、預金保険の最大保護額が1000万円のままであることを考えれば、今回の預入限度額引き上げは民業圧迫に他なりません。ゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げるならば、預金保険の最大保護額もセットで引き上げるべきだと考えます。
ゆうちょ銀行に「暗黙の政府保証」がある以上、預金保険の最大保護額をセットで引き上げない限りは「ゆうちょ銀行の預入限度額引き上げ=民業圧迫」になってしまう
- いくら郵政民営化したからといっても、未だにゆうちょ銀行には「暗黙の政府保証」がある(=ゆうちょ銀行に預けたお金はたとえゆうちょ銀行が破綻しても必ず戻ってくる。というかゆうちょ銀行は絶対に破綻しない)。それに対して民間の銀行が破綻したら預金は最大でも1000万円までしか保護されない(預金保険)。預金保険の最大保護額の引き上げがないままゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げる(=政府保証枠を引き上げる)のは不公平。民業圧迫。
- ゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げるならば、預金保険の最大保護額もセットで引き上げなければならない。預金保険の最大保護額をセットで引き上げれば、銀行が破綻した時に保護される金額という意味ではゆうちょ銀行と民間の銀行が対等になる。預金保険の最大保護額をセットで引き上げれば民業圧迫にはならない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年06月06日
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高品質なものを生産するには、素材を高品質なものにしたり、設備の精度を高めたりと言った具合で何かとお金がかかります。また、レベルの高い人を雇うためにはそれ相応に高い給料を支払い、きちんと休みを取らせる必要があるでしょう。それらにかかったお金が商品価格などに反映されていれば、経済システムとしては正常だと思います。しかし、高品質のコストが下請け企業に押し付けられたり、低賃金という形で労働者に押し付けられた結果、安い値段で高品質なものを買えるようになった代償に不景気が長く続いてきたのかもしれません。
低価格を求め過ぎるとやがては自分の首を絞める事になってしまう。高品質なものはそれなりに高価格になって当然だし、高いレベルの人を雇うのに高い賃金ときちんとした休みが必要なのも当たり前。
- 高品質なものを低価格で販売しようとすれば、部品代(下請け企業)や人件費(労働者)などにしわ寄せが行く。下請け企業にしわ寄せが行けばそこでも人件費削減が行われるから、結局のところ低価格競争のしわ寄せは労働者に行く構造。消費者にとって低価格はたしかに嬉しいかもしれないが、長い目で見れば実はそんなに嬉しくない。むしろ給料カットで懐が傷んでとても悲しい。
- 会社にしても高いレベルの人を雇いたいならば、それ相応の高い給料を支払った上できちんと休みも取らせる必要がある。低賃金で長時間労働させるのは完全に労働者の使い捨て。人間は決して消耗品ではない。会社が労働者を低賃金で使い潰すようなことをしてしまったら、労働者は高いものを買うことができない。その結果、高品質なものを作っても売れなくなるから低価格競争をするしかなくなる。人件費の削減は最終的に会社の首を絞める愚策。
- 消費者も会社も高品質なものや人材を安値で買い叩こうとした結果、物の値段は低価格競争になったし、賃金も全然上がらなくなった。そして、社会保障システムの破綻もまた人々がお金を使わなくなった原因と言える。現在の若者が高齢者になる頃にはどれほどの額の年金を貰えるのだろうか。いつまで仕事を継続することができるだろうか。そもそも明日働く場所があるのだろうか。未来への希望が全然感じられない。もはや信用できるのは自分の貯金だけとなってしまった。これではお金を使わないことが賢明ということになる(その結果、消費者が安いものを求めるようになり、低価格競争へ一直線)。不景気が続いてしまった原因は消費者にも会社にもあるし、国家にもある。
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投稿者名:
Koguma