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「推定無罪」の原則により、裁判で有罪判決が確定するまでは、誰もが無罪と推定される。逮捕・起訴されただけで不可逆的に社会的信用を失うのは理不尽だ。冤罪の可能性もあるというのに。

投稿日:2016年09月15日
最終更新日:

近代法の原則として、「推定無罪」「疑わしきは罰せず」があります。これにより、どんな人でも裁判で有罪判決が確定するまでは無罪であると推定されますし、検察側が犯罪を完璧に証明できなければ無罪判決が下ります。つまり、有罪判決が出るまでは、「逮捕・起訴された人=犯人」とはなりません。このことは、私達もよく覚えておく必要があるのではないでしょうか。

現代社会を生きる以上、「推定無罪」の原則は必ず覚えておかなければならない。有罪判決が出るまでは、「逮捕・起訴された人=犯人」ではないのだ。逮捕されただけで即座に社会的信用が無くなるようでは、冤罪被害者を救済できない。

  • 「推定無罪」の原則があるのだから、「逮捕・起訴された人=犯人」ではない。有罪判決が出るその瞬間までは、どんな人でも無罪と推定されるのだ。マスゴミマスコミでは逮捕された人をいかにも犯人っぽく報道することがあるが、これは大きな問題である。有罪判決が出る前から「こいつが犯人だ!!」という報道をするのはいかがなものか。
  • もし「逮捕・起訴された人=犯人」という認識を持っている人がいるならば、その認識は改める必要があるのではなかろうか。どんなに疑いが濃厚でも、「推定無罪」の原則により、有罪判決が出るまではその人は無罪と推定される。ある人が有罪かどうかを判断するのは裁判の仕事であり、警察や検察、マスコミの仕事ではない。
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注射針を怖がる人々は、経口ワクチンや経鼻ワクチンの普及を願う。「痛み」という恐怖を取り去るだけでも、「予防接種しよう」と思う人は増えるかもしれない。

投稿日:2016年09月14日
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巷では麻疹が流行しているようですが、(2016年9月地点で)エボラ出血熱やジカ熱、デング熱などとは違い、麻疹にはワクチンがあります。ワクチンも完全ではありませんが、それでも何もしないよりは確実にリスクを抑えられます(だから税金を使ってまで定期接種を行う)。さて、ここからは私のいささか自分勝手な意見となりますが、何とかして全ての予防接種から針を刺す痛みと恐怖をなくすことは出来ないのでしょうか。

みんなのトラウマ(かも知れない)注射。痛みの少ない針が開発されようとも、注射針を見ればたちまち恐怖の記憶が甦る。現在は針を刺して接種しているワクチンについても、経口ワクチンはないものか。経鼻でもいい。

  • 読者の皆様の中にも、注射が怖い人はいるかもしれない。私とて注射は怖い。最近の針は痛みがだいぶマシになっていると理屈では理解できても、注射針を見ればたちまち幼き日の恐怖の記憶が甦る。私の場合は、注射の怖さが「わざわざ高い金を払って痛い思いをしてまでドーピングや薬物に手を染めたくない」という方向にも作用しているが、予防接種に二の足を踏ませるというありがたくない副作用を抱えている。痛し痒し。
  • 経口ワクチンなら飲み薬と同じような感覚で予防接種が出来るのだから、少なくとも「痛み」はないはずだ。苦い薬ならそれこそオブラートに包んで飲めばいい。経鼻ワクチンは鼻の中にスプレーするらしいが、痛みは皮膚に針を刺すよりもずっとマシなはずだ。私としては、針刺しの恐怖から逃れられるのなら2000円~5000円位は追加料金を払ってもいいと思っている。経口・経鼻ワクチンで予防接種ができるようになるだけでも、注射恐怖症の人が予防接種に行くようになるかもしれない。
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「お前らより苦しい人がいる(から我慢しろ)」という「犠牲の累進性」。自分より苦しい人がいたとしても、苦しいものは苦しい。

投稿日:2016年09月04日
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貧困問題について話をすると、「お前らより苦しい人も世界にはいるんだぞ(だから我慢しろ)」と言い放つ人が出てくることがあります。しかし、そう言っても問題は解決しません。

「お前らより苦しい人がいる(から我慢しろ)」という理屈で苦しんでいる人を黙らせても、問題は解決されない。日本には言論の自由があるのだから、生活が苦しい時に「苦しい」と叫ぶことは許されなければならない。

  • 誰かが「苦しい」と言った時、「お前らより苦しい人がいる(から我慢しろ)」と言い放って苦しんでいる人を黙らせようとする人がいる。だがそれにより、誰が「苦しい」と言っても、その人よりも苦しい人がいる限り、「苦しい」という声を上げることができなくなってしまう。そして、問題は解決されない。
  • 「他にも大変な人がいる」という理屈で現に苦しんでいる人の口を封じ、問題から目をそらすことを強制した上で当人の困難をそのまま呑ませる。こうしたやり方や雰囲気には、「犠牲の累進性」という名前が与えられている。日本には言論の自由があるのだから、本人が苦しいと思うなら、率直に「苦しい」と言えばいい。貧困バッシングで得をするのは、貧困対策を真面目にしない国家と悪徳政治家である。
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車を運転しながらスマホを操作していて死亡事故を起こしてしまった人もいるが、スマホが悪いわけでもなければ某ゲームアプリが悪いわけでもない。車を運転しながらスマホを操作するバカが悪いのだ。

投稿日:2016年08月25日
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ながらスマホ・歩きスマホの危険性が叫ばれて久しいですが、自動車を運転しながらスマホを操作し、死亡事故まで起こしてしまう輩もいます。「ポケモンGO」初の死亡事故、39歳男逮捕=運転中プレー、女性はねる-徳島県警:時事ドットコム しかし、スマホが悪いわけではありませんし、ましてやポケモンGOが悪いわけでもありません。車を運転しながらスマホを操作するバカが悪いのです。

事故が起きたからといって、スマホやアプリそのものを批判するのはいかがなものかと思う。使用する人がバカだったのが問題であって、スマホやアプリが問題なわけではない。

  • 包丁だって使い方を誤れば人を殺す道具になるが、正しく使えば料理をする上で大変有用な道具となる。大抵の道具は使い方次第だ。今回は車を運転しながらスマホを操作し(ながらスマホ)、前方不注意な状態になって事故を起こしてしまったが、言うまでもなく車やスマホは人殺しの道具ではない。どちらも正しく使えば生活する上で大変有用な道具である。
  • よって、今回問題なのは車でもなければスマホでもない。ましてやポケモンGOでもない。安全に対する意識が欠けていた一部のバカなユーザーの問題である。更に言えば、ポケモンGOには車を運転しながらのプレイを防止する機能も実装されている。少なくともアプリでは安全対策をキチンと行っていた。どうしてスマホやポケモンGOを責めることができるだろうか。
  • 道具(今回は車・スマホ・ポケモンGO)の方も、きちんと安全対策を施しているし、それは開発者の絶え間ない努力によって常に進化しているのだ。どんな(バカな)ユーザーにぶち当たっても被害を最小化出来るように。このことを無視して安易に道具の方を批判する浅薄な人間こそ、批判されるべきなのかもしれない。
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災害時でも日本に住む外国人に必要な情報を(日本語のまま)伝える「やさしい日本語」

投稿日:2016年08月10日
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日本に住んでいる限り、災害の脅威から逃れることは出来ません。発生地に居合わせれば、日本人でも外国人でも関係なく被災することになります。そのようなとき、どうすれば外国人の被災者に情報を伝えられるのか?という問題があります。それに対する解の一つが、「やさしい日本語」です。

必要な情報を「やさしい日本語」で伝えることで、多言語翻訳ができなくても外国人被災者を救うことができる。

  • 災害発生時、情報を短時間のうちに多言語翻訳して伝えることは難しい。翻訳している間に刻一刻と状況は変化するし、そもそも被災地に翻訳できる人がいるかも怪しい。また、翻訳者もまた被災者になり得る。つまり、外国語での対応には限界がある。
  • 外国人といえども、日本で生活していればある程度の日本語は理解できる。簡単な日本語なら分かるのだから、情報を「やさしい日本語」でも提供するようにすれば、(少なくとも難しい日本語で書かれた文章だけで伝えるよりは)外国人にも情報が伝わる。情報を伝える側の日本人にしても、「やさしい日本語」なら外国語の知識がなくても書くことができる。
  • 「日本語+外国語」で必要な情報を伝えるとなれば、日本語の情報を迅速かつ正確に翻訳しなければならない。その場に居合わせたすべての外国人の母語で情報を伝える負担は非常に大きいだろう(というか無理ではないか?)。だが、「日本語+やさしい日本語」ならば、日本語の情報を簡単な日本語にするだけで済む。外国人にもそこそこ伝わるし、情報を伝える側の負担も小さくできる。「やさしい日本語」は、外国人に情報を伝達する上で大きな助けとなるだろう。
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「自由参加が建前なのに参加しないといろいろと問題が発生する」という問題を早急に解決しなければならない。自分は自分。他人は他人。不干渉主義者の主張。

投稿日:2016年08月06日
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「自由参加が建前なのに参加しないといろいろと問題が発生する」という問題を早急に解決しなければ、自由参加の建前を守ることは出来ません。自由参加型イベントは、参加しないことによって不利益な取り扱いをされるようなことが無いようにしなければならないのです。

他人の自由と権利もまた、尊重しなければならないものだ。自由参加型イベントに参加するつもりのない他人を強制的に引きずり出すのは、他人の自由と権利を軽視している人の悪行だと考える。

  • 自由参加型イベントなのだから、誰だって「参加しない自由」を持っているし、参加しないことを選択する権利がある。他人の自由と権利もまた尊重しなければならない。自分の自由と権利を守るためにも。自由参加型イベントに参加したくない他人を強引に引きずり出そうとする行いは、たとえ良かれと思ってしたことでも)他人の自由と権利を軽視した悪行だと考える。
  • 自由参加型イベントに参加したことによるプラス要素はあっても良いかもしれないが、参加しなかったことによるマイナス要素があってはいけない。そんなことをすれば、参加しないことによる不利益を避けるために嫌でもそのイベントに参加することを強いられる。これでは強制参加と大差ない。外面だけは「自由参加」を掲げているから余計にたちが悪い。
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