カテゴリ:現代社会へ思うこと

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「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるが、むしろ金のために仕事をするのが普通である。仕事にはきちんとした対価が絶対に必要だ。対価を支払わなければ品質保証もない。

投稿日:2016年10月11日
最終更新日:

一部には「金のために仕事をするのはケシカラン」という人もいるかもしれませんが、現代は食べ物すらお金を出して買わなければならない時代です(自給自足の農家を除けば)。ですから、金のために仕事をするのは、ごく当たり前でふつうのコトなのです。また、仕事にきちんとした対価を支払うからこそ、相手に品質保証を要求することが出来ます。

人間は生きるために仕事をする。生きるためには金が必要だから、金を稼ぐために仕事をするのがスタンダードになった。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、ごく普通の契約である。

  • 現代においては、生活するためにはどうしても金が必要である。よって、仕事は生きるため、金をもらって生活を成り立たせるために行うものとなる。「これだけのお金を払うからこの仕事をやってね」というのが、まっとうな契約だ。仕事をする側とさせる側は対等な人間だから、対等な立場で契約を締結し、対価を払って仕事をしてもらうわけだ。
  • 何の対価も支払わない仕事では、仕事をする側とさせる側が対等ではなくなる。また、対価を支払わないということは、仕事をする側も仕事に責任を持たなくて良いことになる。粗悪なものが納品されても文句は言えない。対価があるからこそ、仕事をする側も仕事の品質を保証できるのだ。
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国民感情と国益を損ねないためにも、日韓通貨スワップを再開するならば、韓国に対して竹島の返還や少女像の撤去などを要求し、それらの履行を確実にせねばならないだろう。

投稿日:2016年10月10日
最終更新日:

最近になって、日韓通貨スワップ再開についての議論が始められたようです。もし再開するというのであれば、日本政府は韓国に対して竹島の返還や少女像の撤去などを要求し、それを確実に履行することを条件に再開する形にしなければ、国益と国民感情を損なうのではないかと考えます。

日韓通貨スワップは建前上「一方が通貨危機に陥ったら他方が米ドル(もしくは日本円)を融通する」ことになっているが、実質「日本による韓国ウォンの信用補強」である。通貨スワップを再開するならば、日本側にも何らかのメリットがなければ国益と国民感情を損なうのではないか。

  • 日韓通貨スワップは当初(2001年)、日本から韓国に米ドルを供与する一方向スワップ(上限20億ドル)からスタートした。その後双方向スワップに切り替えられたが、外貨準備高は日本のほうが圧倒的に多い。通貨スワップは実質「日本による韓国ウォンの信用補強」であり、韓国側のリスクを一部なりとも日本で引き受けるものである。
  • 日韓通貨スワップは2013年に満期終了した(チェンマイ・イニシアティブ下のものも2015年に満期終了)。今から再開するのであれば、日本側にも何らかのメリットが必要だ。無条件再開では国益と国民感情を損ねてしまうおそれがある。通貨スワップの再開は、韓国に竹島返還や少女像の撤去、日韓基本条約の遵守などを要求し、それらの履行が確認されてからでも遅くはないだろう。
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電通は1991年にも社員を自殺に追い込み、今回も社員を殺した。企業の労基法違反を放置してはいけない。たとえ1分の残業代不払いであろうと。

投稿日:2016年10月09日
最終更新日:

2015年12月に電通のある女性社員が自殺した原因が過労であるとして、2016年9月30日付で労災認定されたそうです。1991年にも社員を自殺に追い込んだ電通ですが、まるで成長していません。企業の労基法違反は、どのような理由であろうと許してはいけません。

労働基準法を守らない企業は人を人として扱っていない。ヘタすれば人殺しである。企業の労基法違反はどんなに些細な事でも許してはいけないし、見逃してもいけない。労働者を守るためにも、労基法違反は厳重に処罰すべきだ。

  • 電通は1991年にも社員を自殺に追い込み、この事件は裁判にもなった(当然ながら電通が敗訴し賠償金支払い)。労働基準法を遵守し、社員をきちんと人として扱っていれば自殺は十分避けられたはずだ。なのに電通は同じ過ちを繰り返してしまった。見方によっては電通は殺人犯である。
  • 過労で人は死んでしまう。だから労働基準法で労働時間に上限を設けている。労働基準法では「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たす」最低限の労働条件を規定している。労働基準法を守らない企業は、労働者を人として扱っていないのと同義。極論すれば殺人企業である。企業の労基法違反はどんなに些細な事でも許してはいけないし、見逃してもいけない。
  • 労働基準法違反についてはどんな些細な事(例:1分の残業代をちょろまかした)でもきちんと是正させ、企業には確実に労働基準法を守らせなければならない。労働基準法を守らない企業に、労働者に命令する資格なし。
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政治家に二重国籍を認めてしまっては、どうあがいても内政干渉されるリスクが生じてしまう。二重国籍の人が議員や大臣などになることについては規制が必要である。

投稿日:2016年10月07日
最終更新日:

ネームチェンジまでしたにも関わらず2016年の参議院選挙の結果が芳しくなかった民進党ですが、追い打ちをかけるように蓮舫氏の二重国籍問題が出てきました。政治家(議員や大臣など)に二重国籍を認めてしまっては、内政干渉されるリスクが高まり、国益も国民も守れない事態に陥る恐れがあります。よって、政治家の二重国籍については規制が必要であると考えます。

国益や国民を守るのが国家の仕事である以上、内政干渉されるような事態は防がねばならない。政治家の二重国籍については規制が必要である。

  • 国家は国民のためにある。国民を守るのが国家の使命だし、そのために国民は税金を納めている。難民や移民、永住外国人などの問題もあるが、やはり国家の基本的な仕事は国民(の利益)を守ることである。内政干渉される事態は避けなければならないし、事前に対策できるのであれば、必要な対策を行わなければならない。
  • 政治家に二重国籍を認めてしまうと、(極端な話だが)日本に内政干渉しようとする勢力の息がかかった人間が日本国籍を取得し、議員や大臣になって日本政府を乗っ取ることが理論上可能になってしまう。敵対勢力の息がかかった人間が内閣総理大臣になってしまえば、自衛隊の指揮権も敵対勢力に奪われてしまう。これでは国益も国民も守れるわけがない。よって、政治家の二重国籍には規制が必要である。
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ISIL(ISIS)は「イスラム国」と呼ばれることが多々あるが、何もイスラム教徒の全員があんな過激なテロを行うわけではない。一部の過激派が悪目立ちしているだけだ。

投稿日:2016年10月06日
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2016年も残り4分の1程度になってきましたが、世界では相変わらずテロが発生していますし、ISILの脅威も未だ残っています。さて、日本では馴染みが薄いイスラム教ですが、何もイスラム教徒の全員がISILみたくテロを行うわけではありません。大多数のイスラム教徒は善良な一般市民です。ただ、一部の過激派があまりにも悪目立ちしすぎているのです。

一部の人の悪行のせいで、その人が属する集団全体が悪く見られてしまう現象は残念ながらよくあることだ。だが、他者への理解を深める事で、回避できる悲劇もあるかもしれない。

  • 例えば学校などで、一部のアホ野郎が悪行をやらかしたせいで学校(クラス・学年)全体のイメージがダウンし、その他大勢の善良な人たちが巻き添えを食らう…などのように、一部の人の悪行のせいで集団全体が悪く見られてしまう現象は、残念ながらよくあることである。だが、よくあることだからといって、偏見や風評被害などを放置してもよいわけではない。
  • 最近は「イスラム国」とも呼ばれるISIL(ISIS)や、一部のイスラム過激派(タリバンなど)などがテロを引き起こして悪目立ちしているが、大多数のイスラム教徒は善良な一般市民である。一部の人の行いを見て、集団全体を差別したり偏見を持ったりすることはおかしい。自分がよく知らないものには恐怖を抱きやすい面もあるが、正しい知識を身につけ理解することで、回避できる悲劇もあるのかもしれない。
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目先の利益を重視しなければならないこともあるかもしれない。だが、それだけでは素晴らしい成果を出すことは難しいのではないか。研究には自由と長期的な視点が必要だと思う。

投稿日:2016年10月05日
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東京工業大学の大隅良典名誉教授がノーベル医学・生理学賞を受賞することが決定したことは、ご存じの方も多いかと思います。さて、大隅良典名誉教授は応用研究が重視されがちな現状を憂いているそうです。

目先のわかりやすい成果や利益を追求する必要もあるかもしれない。だが、自由な発想とそれを妨げない環境、そして長期的な視点を失った時、進歩は止まってしまうかもしれない。

  • 研究開発の世界においては、目先のわかりやすい成果を素早く出し、利益に繋げなければならないこともあるかもしれない。だがそればかりでは、いずれ利益を出すタネが無くなってしまうのではないか。応用研究を行うためには土台となるものが必要であり、土台となるものを作るのは基礎研究ではなかろうか。
  • 基礎研究は一見役に立たないとされてしまうこともあるようだ。確かに研究したからといってすぐに役に立つわけではないかもしれない。だが、研究成果はいつか役に立つ日が来るかもしれない。整数論もかつては「役に立たない」と言われたが、今やコンピューター関係(暗号など)で大いに役立つものとなった。
  • 基礎研究は短期的には「役に立たない」とされるかもしれないが、長期的視点で考えれば、誰かが基礎研究をしなければ応用研究の土台が無くなる。自由な発想を最大限に活かし、(すぐには役に立たなそうなことでも)様々なことを研究すれば、その成果は未来の人類が活用できる。基礎研究は、未来の人類のために行うものなのかもしれない。
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