カテゴリ:現代社会へ思うこと

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「終身雇用」を社会保障の代替にできる時代はとっくの昔に終わっているのではないかと思う。ゆえに社会保障システムを全世代対象に再構築しなければならない。

投稿日:2016年06月20日
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いわゆる日本型雇用の特徴の一つに「終身雇用」があります。一度正社員として雇われれば定年するまでの雇用(ひいては労働者の生活)が保障されるので、生活保護や失業保険などの「働けるけど会社から放り出された人に最低限度の生活を保障する制度」(救貧制度)をまともに整備しなくても社会保障はそれなりになんとかなりました(リストラされないから生活保護・失業保険に頼る人はほぼいない+定年後の生活は年金が保障)。しかし、近年は終身雇用の維持が難しい経済情勢になり、またそもそも終身雇用の庇護下に入ること(正社員として雇われること)の難易度もかなり上昇しました(だから就活が大変なことになるのです)。もはや企業に社会保障システムの一翼を担わせることはできないと思います。よって、社会保障システムは全世代が救済する対象になるように再構築する必要があります。現在の社会保障システムは若者や勤労世代に対する保護があまりにも手薄です。

社会保障システムは再構築しなければならない。企業が安心して人を雇えるようにするためにも、個人が安心して生活できるようにするためにも。

  • 企業に社会保障システムの一翼を担わせようとした結果、正社員を解雇することには非常に大きなハードルができた。その結果、企業は正社員(=ハイリスクな雇用・コストも非正規と比べて高い)を極力減らし、不足人員を出来る限り非正規雇用(=ローリスクな雇用・日本においてはコストも安い)で賄おうという発想に行き着いてしまった。その果てが現在の就活地獄なのかもしれない。
  • 公的な社会保障システムを全世代対象に再構築し、特に若者や勤労世代に対する保護を手厚くしなければならない。生活保護は利用しやすくて脱出もしやすい制度を目指さなければならないし、失業保険ももう少し拡充して再就職までの時間稼ぎになるような制度を目指さなければならない。失業した時の生活保障システムがしっかりできれば、正社員の保護を緩めることも可能になるし、そうなれば企業ももう少し気軽に正社員を雇えるようになる。企業の安定のためにも、個人の安心のためにも、社会保障システムを全世代対象にしなければならない。
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部活免役心得。高校の部活問題から逃れるために残された選択肢は「通信制高校」と「高卒認定試験」かもしれない。

投稿日:2016年06月19日
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高校というとどうしても全日制の普通科高校(いわゆる「普通の高校」)を思い浮かべる方も多いかとは思いますが、全日制高校だけが高校ではありません。部活問題を回避する道もきちんと用意されています。

進路選択の自由を最大限に活用すれば、部活問題を回避しながら大学受験資格も高卒の学歴も確保できる。文部科学省のお慈悲だろうか。

  • 全日制普通科高校だけが高校ではない。定時制高校や通信制高校もあるし、大学受験資格が欲しい場合は高等学校卒業程度認定試験(高卒認定試験・高認)もある。勉強を継続するための自己管理は大変かもしれないが、それでも選択肢が用意されているのが高校(後期中等教育)の特徴か。部活問題を回避するときにも、これらの選択肢は大いに使える。
  • 定時制高校には多様な背景を持つ人が通っているから、おそらく生徒に部活への加入を義務付けるような愚行はしないだろう(要確認)。通信制高校ならば毎日通う必要はないから(時々スクーリングで通うことにはなるが)、地理的な制約をさほど気にせずに選択できる。大学などに進学してきちんと卒業するつもりならば、高等学校卒業程度認定試験で大学の受験資格を確保するという手も(いずれにせよ、大学を受験するならそれに対応するための勉強は必要)。
  • ともあれ、全日制普通科高校以外にも選択肢があるのが高校(後期中等教育)。「部活なんざ二度とやりたくねえ!!でもこの辺の高校はみんな部活に入れよ的な空気を放ってるぜこんちくしょう!!」という中学生の皆さんや、「部活やりたくねえ!!でもうちの高校は部活への加入が義務になってるぜファッキン」という高校生の皆さんは、一度真剣に「通信制高校」や「高卒認定試験」などの選択肢を考えてみる価値が有るかもしれない。
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放課後スポーツ・文化活動の「指導者・施設管理人」及び「参加者」を学校から強制徴募するのはよろしくないが、「場所」として学校を利用するのは悪くないかもしれない。

投稿日:2016年06月18日
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部活問題の完全解決のためには現行の部活動システムを廃止することが必要であるということは、当ブログでも度々訴えているとおりです。そして、部活動亡き後の放課後(終業後)スポーツ・文化活動のあり方については、今からきちんと考える必要があるかもしれません。

運動公園や公民館などの代わりに「活動場所」として学校を使うという発想は悪くないが、「指導者」や「施設管理人」に学校の先生を強制動員してはいけないし、「参加者」に子どもたちを強制動員するのもダメだ。

  • 学校にはグラウンドや体育館、音楽室、美術室などの様々な施設がある。放課後(終業後)スポーツ・文化活動の場としてこれらの施設を有効活用しない手はないだろう。学校の設備を放課後に利用したい人に貸し出すのは悪くない。施設利用料を徴収すれば財政難の改善効果も少しは望めるかもしれない。
  • だがしかし。「施設管理人」=「学校の先生」というのはダメ。施設管理人は学校の先生とは別枠できちんと雇用する必要がある。そうしないと学校の先生の労働環境がますます悪化するから。また、放課後(終業後)スポーツ・文化活動の指導者として学校の先生を強制動員するのもダメ。完全に自由意志で指導者をやりたい人が(それなりの対価をもらって)指導するような形式にしなければならない。
  • また、放課後(終業後)スポーツ・文化活動の参加者に生徒を強制動員するのもダメ。それをやってしまうと現行の部活システムの問題点をそのまま再現してしまうことになる。指導者も参加者も「任意参加」の鉄則を確実に徹底しなければならない。そして、できれば学校関係者以外でも放課後(終業後)スポーツ・文化活動の指導者あるいは参加者になれるようにするといいかもしれない。
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ゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げたいなら、預金保険の最大保護額もセットで引き上げるべきである

投稿日:2016年06月17日
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2016年4月1日に、ゆうちょ銀行の預入限度額が1300万円に引き上げられました(ゆうちょ銀行の告知ページ)。しかし、ゆうちょ銀行に「暗黙の政府保証」があることと、預金保険の最大保護額が1000万円のままであることを考えれば、今回の預入限度額引き上げは民業圧迫に他なりません。ゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げるならば、預金保険の最大保護額もセットで引き上げるべきだと考えます。

ゆうちょ銀行に「暗黙の政府保証」がある以上、預金保険の最大保護額をセットで引き上げない限りは「ゆうちょ銀行の預入限度額引き上げ=民業圧迫」になってしまう

  • いくら郵政民営化したからといっても、未だにゆうちょ銀行には「暗黙の政府保証」がある(=ゆうちょ銀行に預けたお金はたとえゆうちょ銀行が破綻しても必ず戻ってくる。というかゆうちょ銀行は絶対に破綻しない)。それに対して民間の銀行が破綻したら預金は最大でも1000万円までしか保護されない(預金保険)。預金保険の最大保護額の引き上げがないままゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げる(=政府保証枠を引き上げる)のは不公平。民業圧迫。
  • ゆうちょ銀行の預入限度額を引き上げるならば、預金保険の最大保護額もセットで引き上げなければならない。預金保険の最大保護額をセットで引き上げれば、銀行が破綻した時に保護される金額という意味ではゆうちょ銀行と民間の銀行が対等になる。預金保険の最大保護額をセットで引き上げれば民業圧迫にはならない。
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「政治的中立」が本当に存在するのかどうか、少しだけまじめに考察する。

投稿日:2016年06月15日
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学校で政治に関する教育をしようとすれば、ほぼ確実に「政治的中立」が云々と言われることになります。しかし、私としては「真の政治的中立は存在しない」と考えます。

真の政治的中立など存在しない。何もしないことがすでに政治的な意思表示になることさえあるのに、どの政党や考え方にも偏っていない状態など作れるわけがない。

  • 政治と日常生活は密接にリンクしている。例えば消費税率などは政治家が決めることだが、普段我々が買う物の値段に直接影響を与える。だから消費税率の引き上げに賛成or反対の意思表示をした地点で、何らかの政治的なメッセージを放つことになる。だからといって、消費税率の引き上げについて何も言わない(あるいは「どうでもいい」という意思を示す)のもまた「政治的中立」とは言えないのではないか。
  • 「どうでもいい」=「上がっても上がらなくてもいいから政治家さんが好きに決めてよ」ということになってしまうから、つまり「決定権がある人に従う」という意思表示になる。これは「現政権に(消極的)賛成」ということではないか。何もしないことさえ政治的な意思表示になってしまう。これで中立を保てという方が無茶苦茶だと思う。
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「在宅勤務」と「持ち帰り仕事」は決定的に違う。きちんと給料が出る「在宅勤務」なら問題はないが、給料なき「持ち帰り仕事」は場所を変えたサービス残業にすぎない。よって「持ち帰り仕事」は滅ぶべし。

投稿日:2016年06月14日
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日本ではまれによくある(?)「持ち帰り仕事」ですが、残業代の出ない持ち帰り仕事は「在宅勤務」とは決定的に違います。「在宅勤務」は給料の出る正規の労働であり、残業代の出ない「持ち帰り仕事」はただのサービス残業(無賃労働)です。そして、残業代の出ない「持ち帰り仕事」は撲滅しなければならないと考えます。

給料の出ない「持ち帰り仕事」は「場所を変えたサービス残業」に過ぎない。つまり労働基準法違反。ゆえに給料の出ない「持ち帰り仕事」は早急に撲滅しなければならない。

  • きちんと給料が出る「在宅勤務」ならば、なんの問題もない。そう、きちんと給料が出るならば。しかし、「持ち帰り仕事」に残業代は出ているのだろうか?残業代のない「持ち帰り仕事」はただのサービス残業(当然労基法違反)である。ただ仕事をする場所がオフィスから家に変わっただけ。
  • 労働基準法違反であるサービス残業は直ちに撲滅しなければならない。同じ理屈で残業代のない「持ち帰り仕事」も直ちに撲滅しなければならない。労働にはきちんとした対価がなければならない。無賃労働をさせることは労働者を奴隷として扱っているも同然。あるいは奴隷以下かもしれない。
  • 「伝統的に続いてきた慣習を破壊するのはケシカラン」という声が聞こえてくる気がしないでもないが、法律違反な伝統や慣習に継続する価値などない。と言うか継続してはいけない。どうしても継続を望むならば、伝統や慣習を現在の法律に違反しない形に改める義務がある。「持ち帰り仕事」の場合は、きちんとした給料をつけなければならない。使用者には労働基準法を遵守する義務があるのだから、まずはその義務を果たさねばならない。話はそれからだ。
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