カテゴリ:学校・教育関連

学校体育の連帯責任システムや集団競技・勝利至上主義は運動嫌い・体育嫌いを量産し、体育・運動への忌避感ばかり高めてしまう。百害あって一利なし。

投稿日:2016年05月24日
最終更新日:

日本の学校における体育の授業は、運動が苦手な生徒の肉体と精神を容赦なく殺戮し、運動嫌い・体育嫌いの生徒を大量生産するために存在しているとしか思えません。連帯責任滅ぶべし。集団競技と勝利至上主義を全員参加の体育の授業に持ち込む必要はありません。

連帯責任や集団競技は生徒に恐怖と不和をもたらし、体育・運動への忌避感を高めてしまう。日本の学校体育は軍事教練の一環なのか?

  • 学校体育ではまれによくある連帯責任システム(声が出ていなかったら全員に集合などをやり直しさせる、など)や集団競技+連帯責任システムのコンボ(試合に負けたチームの全員が用具の後片付けをさせられたりグラウンド○周走らされたり、など。勝利至上主義を内包)は生徒に恐怖を抱かせ、運動が苦手な人が迫害される原因である。連帯責任は諸悪の根源。
  • 体育の授業や体育祭などが連帯責任と勝利至上主義で染まった結果、運動が苦手な人はひたすら迫害を受けざるを得ない状況に追い込まれた。かといって体育の授業をすっぽかすことも出来ない(出席率が悪いと単位落としリスクが発生→留年リスク発生)ため、運動が苦手な人は半強制的に死の運命が待ち受けている戦場に赴くことになる。これでは体育嫌いを量産してしまい、それが運動嫌いの量産にも繋がる。いじめ発生→不登校・退学となってしまう可能性さえある。よって、現在の体育の授業は百害あって一利なし。
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日本では何かと「一つのことに集中する」ことを強制している気がするが、「複数のことを少しずつやる」ことを認めてもいいのではないかと思う。

投稿日:2016年05月18日
最終更新日:

会社の副業禁止規定といい、休みの無い部活動といい、日本においては(趣味の範疇・休日などの自由な時間に)「一つのことに集中する」事を求めすぎているのではないかとも思います。「複数のことを少しずつやる」ことを認めてもいいのではないでしょうか。

「一つのことに集中してよそ見をするな」というスタンスを強制するのはいかがなものかと思う。「複数のことを少しずつやる」のも世界が広がっていいかもしれない。

  • 会社の副業禁止規定や学校の休みなき部活動は完全に「一つのことに集中してよそ見をするな」というスタンス(副業禁止規定は社員を奴隷化しようというブラック企業の非人道的な思想が丸出し)。しかしこれでは個人の未知の才能を発見する機会を容赦なく刈り取ってしまう。「複数のことを少しずつやる」ことを認めてもいいのではないか?
  • 社員の副業を認めたり、もっと進んで「一人の人が複数の会社に(正規で)雇われて働く」事を認めれば、社員は複数の収入源を得ることができる。社員の生活(ひいては精神)は安定し、企業としても視野が広がった社員を雇える。部活動も休みをガンガン増やして他の部活動や部活動以外の活動もできるような時間を確保すれば、生徒の世界は確実に広がる。
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「ゆとり世代=ダメ世代」という(偏見に満ち溢れた)イメージを作ってしまった最大の戦犯は文部科学省。「脱ゆとり宣言」は国家としてのゆとり世代差別ともとれる。

投稿日:2016年05月15日
最終更新日:

2016年5月10日に、文部科学大臣は「ゆとり教育と決別する」という趣旨の発言をしました。(資料→馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年5月10日):文部科学省) 「これだからゆとり世代は云々」と差別的発言をされることも少なくないゆとり世代ですが、そもそもゆとり教育を実施することを決めたのは国家です。

「ゆとり教育との決別」は、つまり「ゆとり教育はダメだった→ゆとり世代はダメだ」と国家が結論づけてしまうようなもの。すなわちゆとり世代差別。ゆとり教育を推進したのは国家なのに。ゆとり世代に対してあまりにも残酷ではないか?

  • 国家を運営するのは人間だから、失敗が発生するのは致し方無い。だが失敗の犠牲者を差別したり貶めたりすることは許されないはずだ。「ゆとり教育」と「ゆとり教育と決別する」発言の組み合わせはおかしい。「ゆとり教育の全否定ではない」とも言ったが、やはり「決別」という表現では「ゆとり教育は失敗だったんだな→ゆとり世代はやっぱりダメなんだな」という見解を国家が公認することになってしまう。
  • 「ゆとり世代」の学生がダメなわけでもなければ失敗したわけでもない。失敗したのはゆとり教育を行うことを決めた国家であり、つまり当時の大人たち(政府の中の人)である。自分たちでゆとり教育を推進してゆとり世代を生み出しながらゆとり世代を差別するとは何たることか!このような惨事が二度と起こらぬようにしなければならない。
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学校による私生活への謎の干渉。どうして自分の生活リズムを学校に開示する必要があるのか?

投稿日:2016年05月11日
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小学校かなんかで「生活リズムチェックシート」みたいなものを書かされた(提出させられた)人もいるかと思います。私はあれに何の意味があるのかさっぱり分かりません。学校では生徒の私生活や生活リズムまで管理しないと気が済まない人間が支配者階級にいるのでしょうか?謎です。(生活リズムチェックシートの例はこちら)

学校は児童生徒の私生活まで管理する必要はないはずだ!!

  • どうして放課後や休日といった学校とは無関係な時間の過ごし方まで学校がチェックしなければならないのかが理解できない。生活習慣に至るまでを学校が厳格に管理しようとしているのか?学校が休日まで管理(支配)するのはおかしい。
  • 私も小学生時代には生活リズムチェックシートみたいなものを書かされたが、高学年になった頃にはもう適当に嘘を書くスキルを身に着けていた。学校とは無関係の時間を学校に管理されたり監視されるのが嫌いだったから。生活リズムは学校が介入しなくてもどうとでもなると思うのだが。学校に何でもかんでも丸投げするのはいかがなものかと思わなくもない。
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部活動加入強制システムは高体連・高文連の陰謀かもしれない…?とにかく部活動加入強制システムの即時廃止を!!

投稿日:2016年05月06日
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もしかしたら、日本の学校に部活動加入強制システムがあるのは高体連・高文連の陰謀なのかもしれません(あくまで筆者の邪推ですが)。高校の所在地等にもよりますが、高校に在籍している生徒の全員から高体連・高文連の会費を徴収している場合があり、それを正当化する(在籍する生徒の全員が部活に入っている状態を作る)ために部活動加入強制システムを導入している…と考えることもできるのです。

高体連・高文連の活動費用は学校(ひいては在籍する生徒の保護者)が負担している。これを正当化する(生徒の全員が部活に関わっている状態を作る)ために部活動加入強制システムが有るのかもしれない。

  • 高体連・高文連のお題目は「高校生の健全な発達を促すためにスポーツ活動(文化活動)の普及と発展を図る」というもの。様々な大会(インターハイなど)を主催しているのもこの組織。この手の大会は学校単位で出場することが多い(つまり部活で選手を育成して、学校として参戦する)。また、高体連・高文連は学校(ひいては在籍する生徒の保護者)から会費を徴収している。
  • この会費徴収を正当化する(うちの子は部活やってない(=高体連・高文連にはお世話になってない)のにどうして高体連の負担金を出さなきゃいけないのか?という質問が保護者から来ないようにする)ために、生徒に対して部活動への加入義務を課している可能性はないとはいえない。恐ろしい話である。(ここまで筆者の邪推)
  • ともあれ、どんな理由があろうとも学習指導要領で「生徒が自主的に行う活動」と位置づけられている部活動への加入を「強制」されるような事はあってはならない。部活動加入強制システムの即時廃止を望む。
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「部活動を必ずやりなさい」ということを定めた法律はない。あくまでも「任意参加」が部活動の大原則。それなのになのに「強制」するのは絶対におかしい。

投稿日:2016年04月28日
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長年にわたって日本の学校で継続されてきた「部活動」は、法律違反と暗黙の強制によってなんとか形を維持してきました。生徒や教師に対して部活動への加入・参加を義務付ける根拠となる法律等がないにもかかわらず、部活動への加入を義務付けている学校もありますが、この「全員顧問制」「部活動全員加入」こそが諸悪の根源だと思います。

部活動は教員と子どもたちから自由と権利を奪う拷問装置と化してしまった。部活動から強制性を1ミリたりとも残さず排除した上で、学校からは切り離すべきだと思う。

  • 「任意活動」であるはずの部活動が「強制」されることがあるのは紛れもない事実。しかし、部活動を強制することを認める法律等が存在しないのもまた事実。任意活動ならば、「部活動をしない自由」もまた認められなければならない。
  • 給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)により、教員には残業代が支払われない。本来ならば「残業代は支給しないけど代わりに教職調整額(超勤四項目による残業代を定額支給)を支払った上で、超勤四項目以外の残業を一切なくす(つまり必ず定時に帰れる)」というのが給特法の正しい目的のはずだったが、部活顧問を強制された結果、「エンドレス残業なのに残業代が出ないハイパーブラックな悪法」になってしまった。部活動は学校をブラック企業化している。
  • 結局のところ、部活問題を解決するためには、部活動そのものを廃止するか部活動を学校から切り離すか、最低限でも加入強制の慣習を日本全国津々浦々の学校という学校で1箇所たりとも漏らさず無くさなければならない。部活動の強制で苦しむ人をこれ以上出してはいけない。
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