学校体育の連帯責任システムや集団競技・勝利至上主義は運動嫌い・体育嫌いを量産し、体育・運動への忌避感ばかり高めてしまう。百害あって一利なし。

日本の学校における体育の授業は、運動が苦手な生徒の肉体と精神を容赦なく殺戮し、運動嫌い・体育嫌いの生徒を大量生産するために存在しているとしか思えません。連帯責任滅ぶべし。集団競技と勝利至上主義を全員参加の体育の授業に持ち込む必要はありません。

連帯責任や集団競技は生徒に恐怖と不和をもたらし、体育・運動への忌避感を高めてしまう。日本の学校体育は軍事教練の一環なのか?

  • 学校体育ではまれによくある連帯責任システム(声が出ていなかったら全員に集合などをやり直しさせる、など)や集団競技+連帯責任システムのコンボ(試合に負けたチームの全員が用具の後片付けをさせられたりグラウンド○周走らされたり、など。勝利至上主義を内包)は生徒に恐怖を抱かせ、運動が苦手な人が迫害される原因である。連帯責任は諸悪の根源。
  • 体育の授業や体育祭などが連帯責任と勝利至上主義で染まった結果、運動が苦手な人はひたすら迫害を受けざるを得ない状況に追い込まれた。かといって体育の授業をすっぽかすことも出来ない(出席率が悪いと単位落としリスクが発生→留年リスク発生)ため、運動が苦手な人は半強制的に死の運命が待ち受けている戦場に赴くことになる。これでは体育嫌いを量産してしまい、それが運動嫌いの量産にも繋がる。いじめ発生→不登校・退学となってしまう可能性さえある。よって、現在の体育の授業は百害あって一利なし。

連帯責任システムは運動が苦手な人を精神的肉体的に虐殺する。教育の名を借りた公開処刑システム。勝利至上主義も同じ。

学校体育においては、連帯責任システムが導入される場面がまれに良くあります。集団競技や勝利至上主義と抱き合わせの場合も多々あります。いずれにせよ誰か一人の失敗がチーム全員の責任になるわけですから、運動が苦手な人は戦々恐々です。誰かの失敗がチーム全体に迷惑をかける事に直結していますから、チームメイトからは「お前失敗すんじゃねーぞ」という圧力がかかります。はっきり言って連帯責任システムは無用の恐怖を生み出しています。学校体育は軍事教練の一環なのでしょうか。現在の学校体育は運動が苦手な人を精神的肉体的に虐殺しています。教育の名を借りた公開処刑システムです。

確かに、「苦手なものときちんと向き合う経験も必要だ」とおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、連帯責任と迫害渦巻く過酷な環境下で「苦手なものともきちんと向き合え」という正論をぶつけても、今まさに迫害されている(されかけている)人にしてみればそんなものは腹の足しにもなりません。運動が苦手な人が考えなければならないのは、如何にして体育の単位を修得するかと如何にして迫害から逃れるかの二点です。また、連帯責任システムの存在によって不正が生み出された…という例もあるようです。

ここで出てくる体育教師は連帯責任システムの導入で持久走のタイムを改善させようとしたのでしょう。しかし、一律でタイムに加減を設けるのはいただけません。運動能力に個人差がある以上、スタートラインは完全にバラバラです。そうであるならば、ノルマを課す場合も各個人に合わせて適正なものを設定する必要があります。上の例でも、確かに不正はいけないことかもしれません。しかし、体力に個人差があることを全く理解していないとしか思えない教師に対する抵抗としてはなかなか秀逸であると思います。今回のクラスメイトの対応は、不正に手を染めたとはいえ遅い子を迫害していないだけでも十分合格点です。

体育の授業から連帯責任と勝利至上主義を排除し、運動が苦手だということを理由に迫害されない新システムの導入を!!

体育の授業に連帯責任を持ち込んでも、迫害や不正を生み出し、生徒に恐怖と不和を与えてしまいます。百害あって一利なしとはまさにこのことです。集団競技+勝利至上主義のセットも同様です。現行の体育の授業は、生徒を恐怖によって支配し、運動嫌いを量産するためのものに成り下がっていると言わざるを得ません。運動が苦手な人が迫害から逃れるためには体育の授業に出席しないことが有効ではありますが、それはそのまま単位落としリスク(=留年リスク)を背負うことを意味します。流石に学校を卒業できないといろいろと困ったことになるため、運動が苦手な人はたとえ体育の授業で迫害が待っていようとも、卒業を望む限りは体育の授業という名の処刑場へ赴くことを余儀なくされます。

自分のペースで運動することができれば、現行の体育の授業よりはかなり気楽に運動をすることが出来ますし、苦手な人でも楽しむことができるかもしれません。下に小中学校の学習指導要領における体育の目標を掲載しましたが、どちらも体力の向上や健康・安全についての理解、そして明るく豊かな生活を営む態度を育てることを目標にしています。高校体育の学習指導要領(資料PDF)でも、「運動を楽しさを味わえるようにすること」「健康・安全を確保すること」などが掲げられており、それらを達成する上では連帯責任システムも勝利至上主義も不要です。むしろ連帯責任システムは完全に駆逐される必要があるものです。体育の授業は、運動が苦手であることを理由に迫害されず、誰もが運動を楽しめるような形態へ変化することが求められているのではないでしょうか。

第1 目標 心と体を一体としてとらえ,適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り,楽しく明るい生活を営む態度を育てる。 小学校学習指導要領 第2章 各教科 第9節 体育:文部科学省
第1 目標 心と体を一体としてとらえ,運動や健康・安全についての理解と運動の合理的な実践を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かな生活を営む態度を育てる。 中学校学習指導要領 第2章 各教科 第7節 保健体育:文部科学省

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