カテゴリ:学校・教育関連

「大学でも英語で授業する」と言うが、母国語で高等教育を受けられるという最高の環境を放棄するというのか。むしろ新しい分野でも日本語で教育を受けられるような策が必要ではなかろうか。

投稿日:2016年09月19日
最終更新日:

「国際競争力を高めるためには大学の授業を英語で行わなければならない」という意見があります。しかし、私としては、「大学の授業は日本語で行われるべき」と考えます。母国語で高等教育を受けられる環境が整っていることは大変素晴らしいことであり、この素晴らしい環境を安易に手放してはならないのです。

母国語で高等教育を受けられることは、大変素晴らしいことである。これから必要なのは「大学の授業を英語で行うこと」ではなく、「どんな分野でも日本語で教育を受けられるようにエリート翻訳家を育成し、多くの国民に高等教育・専門教育を施すこと」ではなかろうか。

  • 日本語を母語とする人がいくら頑張って英語を習得しても、思考速度等の面で英語は日本語に勝てない。日本語で物事を考えるのが、結局は一番効率的なのだ。先人たちは様々な外来語を頑張って日本語に翻訳し、日本語で高等教育を受けられる環境を作り上げた。これにより、日本人は英語が分からなくても高等教育を受けることが出来るようになったし、日本語で独自の研究をすることも出来るようになった。
  • 英語の習得という大きなハードルを無視して高等教育を受けられることの恩恵は極めて大きい。語学の才能がなくともその他の得意分野を存分に生かせるのだから。大学の授業の英語化は、母国語で高等教育を受けられるという素晴らしい環境を自ら放棄することにほかならない。あまりにももったいないし、極論すれば国家的自殺とも考えられる。
  • グローバル化が叫ばれて久しいが、母語による深い思考力や様々な知識などの土台がなければ、英語を話せても意味が無い。日本語では研究を進められない分野があるというのならば、再びエリート翻訳家を育成し、新分野の知識を日本語に組み込み、どんな分野でも日本語で教育を受けられる環境を整えるべきであると考える。母国語で高等教育を受けられる素晴らしい環境を将来にわたって維持し続けるためにも。
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部活動が廃止されて地域活動へ移行し、学校の施設を地域で活用できるようになった世界の話を。

投稿日:2016年09月13日
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部活問題を解決する超必殺技が「部活動システムそのものの廃止」であることは当ブログでも散々主張していますが、今回は部活動が廃止された後の世界の話をしている記事を紹介したいと思います。

もくじ

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部活動はこれまで「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」が同じフィールドで活動してきたが、これでは軋轢が生じて当たり前だ。

投稿日:2016年09月12日
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日本の学校で長らく続けられてきた「部活動」では、学校にもよりますが、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」が一緒くたにされてきたのではないでしょうか。しかし、これでは軋轢が生じて当然です。お互いに目指すものが違うのですから。

部活動は学校から切り離し、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を別々にするべきである。

  • 「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を無理やり一緒のフィールドで活動させると、活動日数などの面で軋轢が生じる(たくさん休みを取りたいVSガンガンやりたい)。「全てを投げ打って勝ちに行く人」に合わせれば、「ほどほどに楽しくやりたい人」は休みを犠牲にする事になる。かと言って「ほどほどに楽しくやりたい人」に合わせると、「全てを投げ打って勝ちに行く人」は上を目指すことが難しくなる。
  • この問題を解決するおそらく唯一の方法は、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を別々のフィールドで活動させることである。学校の部活動を廃止解体し、参加者の各々が好きなクラブチーム等を選べるようにすればよい。「ほどほどに楽しくやりたい人」向けの同好会と「全てを投げ打って勝ちに行く人」向けのガチチームの両方を作る必要がある(体を壊すことがないように活動日数等の規制は必要だが)。
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リソースが限られている以上、何かを追加するなら何かを減らさなければならない。社会保障分野でもそうだし、教育分野でもそうだ。

投稿日:2016年09月11日
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人間が使用できる資源には、有限であるものが多いです。例えば時間は1日につき24時間であり、これを捻じ曲げることは出来ません。お金も無限に湧いてくるわけではないので、際限なく使用することは出来ません。限られたリソースをやりくりする以上、何かやることを追加するには、何かをやめる決断をすることになります。社会保障分野でも教育分野でもその他の分野でも同じです。

社会保障に際限なくお金を投入するわけにはいかないし、学校で教える内容を増やしすぎても時間が足りなくなるだけである。何かを取り去らなければならないことだってあるのだ。

  • 使用できる時間やお金には限りがある。限りがある中でやりくりをするわけだから、何かを新しくやろうとしたら、何かをやめなければならないこともある。何かをやめる決断ができなければ、財政破綻したり時間が足りなくなったりする。
  • 社会保障分野では、財政破綻を避けるためにはある程度の収入や資産がある人には負担をお願いし、集めた税金や保険料の範囲内で給付を行わなければならない。借金の増加を食い止め、将来世代への負担の先送りを止めなければならない。そのためには、様々な既得権にメスを入れざるをえないだろう。これ以上若者世代・将来世代の負担を増やしてはいけない。
  • 教育分野でも、これ以上教えることを増やすというのでは時間が足りなくなってしまう。かと言って休日を削ったら体のメンテナンスの時間が足りなくなるし、学校での勉強以外のことに割く時間が減ってしまう。やるべきことは厳選し、時間内に収まるようにしなければならない。時には「何をやらせるか」ではなく、「何をやめるか」の話をする必要がある。
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給特法は本来なら「教員に残業代は出さないけど原則として定時で帰れる」という法律なのだが、実際の運用は「教員は残業しているが残業代が1銭も出ない」という状態。これはひどい

投稿日:2016年09月05日
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2016年現在、教員はいくら残業しても残業代が出ません。公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(給特法)により、「教員には残業代を支払わない」と定められたからです。しかし、給特法は本来、「教員に残業代は出さないけど原則として定時で帰れる」という法律です。

「原則として定時に帰れる」という前提が崩壊した結果、給特法は教員の労働環境を非人道的なレベルで悪化させる悪法になってしまった。残業代のキチンとした支払いも必要だが、定時に帰れる環境の構築こそ最も必要とされる。

  • 給特法は確かに残業代を支払わないことを定めるという負の側面もあるが、同時に「原則として残業禁止(=定時に帰れる)」と定めていたからこそバランスが取れていた。「定時に帰れる」という部分がキチンと守られてさえいれば、給特法は長時間労働問題を解決する存在となり得たかもしれない(違反する使用者が出なければ)。
  • だがしかし、「定時に帰れる」という大前提が崩壊してしまい、教員の労働環境は非人道的なレベルで悪化してしまった。そして残業代が出ない。こうして給特法はただの悪法に成り下がってしまった。まあ残業代さえ出せば問題解決というわけではないのだが。
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他人に暴行を加えても警察沙汰にならず、懲戒処分と言ってもせいぜい減給止まり。やはり、学校には治外法権・先生裁判権があるに違いない。学校内の事件でも警察が取り調べるべきなのでは?

投稿日:2016年09月03日
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県内の中学校の99%が生徒に対して部活動への加入義務を課していることで知られる岩手県にて、部活中に生徒に暴行(体罰)を加えた県立高校の教員が戒告処分を受けたようです(ふがいないプレーに頭殴り出血させる 部活で体罰の県立高教諭を戒告 – 芸能社会 – SANSPO.COM(サンスポ))。また、別の教員はこれまた部活中に生徒に暴行(体罰)を加え、減給処分と相成ったそうです。しかし、普通であれば、他人を殴ったら暴行罪で警察送りになるはずです。やはり、学校には治外法権・先生裁判権があるに違いないと思います。

暴行(体罰)は許されざる行為だが、学校内で行われると警察沙汰にはならない謎現象。学校には治外法権・先生裁判権があるというのか。これではいじめ(という名の犯罪)も体罰(という名の暴行)も無くならない。法律に則ってきちんと処罰しなければ。

  • 道端で人を殴ったら、おそらく警察沙汰になるだろう。そして法律に則って処罰される。だが、学校内で(生徒or教員が)人を殴っても、警察が出てくることはなかなか無いだろう。生徒の場合は校内で先生による裁定が行われ、処分も校内で完結することが多い。教員にしても、事実を校内で隠蔽するか、表に出てもせいぜい減給に留める。超必殺技カード「懲戒免職」を発動することもなければ、警察に引き渡すこともない。
  • このことからも、学校には警察の介入を妨げる不思議な力が働いていることがよく分かる。が、これでは学校には治外法権があるということになる。先生裁判権があり、日本国の警察が捜査権を行使できない恐怖のフィールド。それが学校である。これでは悪人が野放しになってしまう。不平等条約で領事裁判権を飲まされたかつての日本のごとく。今こそ学校から治外法権を無くさなければならない。
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