「無理すれば大丈夫」と言ったところで、無理ができるのは一瞬だけ。普段は「無理しなくてもできる」範囲で物事を回していくようにしなければならない。

人間はきちんと休みを取らなければいつか必ず体を壊すことになります。最悪の場合は死にます(過労死という単語がある地点でお察しください)。無理をし続けると、いつか必ずそのツケを払うことになります。ですから、普段は「無理しなくてもできる」範囲で物事を回していくようにしなければならないと考えます。

「無理すれば大丈夫」の「無理」をどうにかするために、多くの代償を支払うことになる。「無理」が日常に組み込まれてしまったら、どこかに必ずしわ寄せが行き、過労死へ一直線だ。

  • 人間には瞬間的に出せる最大出力(火事場の馬鹿力)と日常的に無理なく出せる常用出力(普段から出せる普通の筋力)がある。火事場の馬鹿力をずっと発揮していたら、体を壊してしまう(だから普段は脳が程々のところで筋力をセーブする=常用出力で止める)。「無理すれば大丈夫」なのはほんの一瞬だけ。ずっと無理を続けることはできるはずがない。
  • 無理し続けることはできるはずがないのに、「無理すればどうにかなるんだから無理をこれからも継続しよう(例:無理して目一杯節電して停電を回避→「やっぱり原発いらないじゃん電気足りてるじゃん」)」と言い出す人もいるが、「無理」の裏で多くの代償を払っている人(この例ではシフト勤務や顧客対応などで休みがずれたり無くなったりする人)がいることを忘れてはいけない。普段は「常用出力」で物事を回せるようにしなければならないし、「常用出力」にもある程度の安全マージンが必要。

「火事場の馬鹿力(最大瞬間出力)」を「常用出力」にすることは絶対にできない。そんなことをすれば体を壊す。

例えば、人間が発揮する力にも「火事場の馬鹿力」と言われるものがあります。筋肉がやたらめったら100%の力を発揮しまくっていたら、筋肉や骨には相当な負担がかかり、また莫大なエネルギーを消費します。いつでもどこでも100%の力を出しまくっていたら体は大ダメージを負い、最悪の場合は壊れてしまうでしょう。それを防ぐために、人間の脳は通常時に発揮できる筋力に制限をかけ、体を壊すような事態にならないようにしています。しかし何らかのきっかけで脳のリミッターが解除されると、筋肉が普段は発揮されない最大出力を発揮できるようになります。これが世に言う「火事場の馬鹿力」です。このことからも分かるように、「無理して瞬間的に発揮できる最大出力」と「普段から無理なく発揮できる常用出力」には違いがあるわけです。普段は常用出力で物事を回し、最大出力に頼るのは本当にどうしようもないときだけに限定しなければなりません。また、最大出力の発揮を要求する期間はとにかく短くする必要があります。そもそも普段から最大出力を出していたら困るからリミッターがかかっているわけで。

実際、これと同じようなことは人体以外でもままあることです。鉄道車両のブレーキにも通常のブレーキ(普段使う・程々の出力)と非常ブレーキ(どうしようもない緊急時のみ使う・最大出力)がありますし、一般的な軍隊は平時の兵員数をある程度限定し、いざ戦争という時には予備役などを動員して戦争の時だけ正面兵力を増強します(そして戦争が終われば予備役などの動員を解除して平時に戻ります)。いずれも「火事場の馬鹿力」を日常的に使ったりはしません。火事場の馬鹿力はどうしようも無くなった時の最後の切り札です。列車を止めるのに普段から非常ブレーキを使っていたら乗り心地は確実に悪化しそうですし、軍隊にしたって普段から動員可能な全兵力を動かしていたら維持費が嵩んで仕方がありません。これらの例からも、最大出力は常用出力になり得ないことがお分かりいただけるかと思います。

常用出力は「無理しなくても程々の努力で出せる力」でなければならないし、常用出力にも安全マージンは必要だ(むしろ常用出力だから安全マージンが必要なのか)。

何かに無理をさせ続けることは、時に破滅を導きます。人体に火事場の馬鹿力を発揮させ続ければ体を壊すことになりますし、鉄道車両で非常ブレーキを使いまくれば乗り心地が悪化するわブレーキがすぐに摩耗するわで踏んだり蹴ったりです。軍隊だっていつでも動員可能な全兵力を動かしていたら維持費が嵩んで国家財政を傾けてしまいます。最大出力をいつでも使い続けたらろくな事になりませんから、普段は無理しなくとも出せるほどほどの力を「常用出力」とし、常用出力で様々な物事に対処できるようにしなければなりません。また、常用出力にはある程度の安全マージンが必要です。

近年、会社は余剰人員の削減をガンガン推し進めています。正社員はなかなかクビにできませんから、なるべく正社員の数を抑えたくなる気持ちもわからないでもありません。しかし、そうして現場に余裕がなくなってしまったために、誰か一人が欠落しただけでも仕事がうまく回らない(誰かが無理をさせられる)状況が生まれ、これがマタニティハラスメントや有給休暇・産休育休を取りにくい雰囲気を作り出す原因の一つになっているのかもしれません(本来は労働基準法の「例外」であるはずの残業がいつまで経ってもなくならない原因とも)。安全マージンがゼロになった時、現場から余裕は消え失せ、非常に息苦しく窮屈なブラック企業が生まれます。これはひどい

突発的なアクシデントや人員の欠落、その他様々な出来事に対応するためには、ある程度の余裕が必要です。日本の電力供給事情も、原発をまともに動かせなくなった結果、なんとか停電を回避すべく様々な人や機関が無理を積み重ねてきました(休日を別の日にずらす、照明や空調を抑える、エレベーターの一部を止める、古い火力発電所を無理やり動かす、などなど)。無理を積み重ねた結果、夏の大停電は回避されました。しかし、その代償に休日がずれる人がいたり、休日をずらした取引先への対応のために休日出勤を強いられる人もいないわけではありません。古い火力発電所をなんとか動かすために駆けずり回る人だっています。節電の代償はあまりにも大きなものでした。無理したしわ寄せが行く側にしてみれば「電気は足りてるなんて大嘘だ!!」と声を大にして言いたいところかもしれません。「無理」の代償を背負わされては、ヘタすれば過労死一直線です。日本から過労死を根絶するためにも、「最大出力」を常時発揮させ続けて無理させ続けるような愚行は駆逐されなければならないと考えます。

参考サイト

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