仕事の成果を「時間」というただ1つの軸で評価するから、長時間労働は無くならないし、労働生産性も向上しない。「時間」と「質」の2軸で評価する必要がある。
投稿日:2017年02月14日
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もくじ
- 仕事の成果が「時間」のみで評価される世界では、同じ仕事を短時間でできるようにして時間効率を上げても損をしてしまう
- 「時間」と「質」の2軸で成果が評価されるようになれば、労働時間の短縮も労働生産性の向上も可能になる
仕事の成果が「時間」のみで評価される世界では、同じ仕事を短時間でできるようにして時間効率を上げても損をしてしまう
仕事の成果が「時間」というただ1つの軸で評価される場合、給与計算に影響を与えるのは「労働時間」のみであり、仕事の中身はそれほど関係ありません。様々なツール等を駆使してスピーディーに仕事を終えても、だらだらだらだら非効率なやり方で仕事をしても、1時間は1時間であり、支払われる時給は変わりません。
そのような場合、労働者が自分の給料を最大化するための最適解は「同じ仕事をできるだけ長時間かけてダラダラこなす」ことになります。労働時間の中身が何であれ、とにかく長い時間働けば労働時間が大きくなり、(給料=時給×労働時間 但し時給は定数)の公式より給料は労働時間に正比例するので給料も大きくなります。
仮に仕事を効率良くこなす工夫をし、同じ仕事を短時間で終わらせたとしても、仕事の成果が「時間」のみで評価される世界では(給料=時給×労働時間 但し時給は定数)の公式の支配下におかれます。時給という定数が仕事の質に応じて変動するわけでもなければ、別の計算式で仕事の質に応じた能率給が算定され支給されるわけでもありません。よって仕事の効率化は労働時間の短縮につながり、それは給料の低下と同義なのです。
…最も、仕事を終わらせればそれで帰宅できるというのであればまだ幸せなのかもしれません。実際には仕事を早く終わらせたら別の仕事が空から降ってきて、定時になるまでは仕事をしても仕事をしても追加の仕事が降ってくる場合もあります。この場合は仕事を効率良くこなす人とダラダラ非効率的にやる人とで時間あたりの仕事量には大きな差が生じますが、それでも給料は同額です。つまり、「働いても怠けても給料は同じ」です。どこぞの共産主義みたいな話ですね。これでは労働生産性など上がるわけがありません。
「仕事の早い人にはもっと作業を回す」って経営者目線すげーな。手の早い人が仕事を早く済ませるインセンティブって「単位時間当たりの作業時間が少なくて済む」ってことなのに「そんなに早いならもっと仕事しろって作業増やされたら、タラタラのんびり仕事するのが最適解ってことになるよね(笑)。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年1月18日
「時間」と「質」の2軸で成果が評価されるようになれば、労働時間の短縮も労働生産性の向上も可能になる
「労働時間を引き伸ばさないと給料が増えない」という理由で皆が仕事をサボりだすような事態を防ぐためには、仕事の成果を評価する軸をもう一つ増やす必要があります。仕事の成果が「時間」と「質」の2軸で評価されるようになれば、労働時間の短縮も労働生産性の向上も可能になります。
労働時間内の仕事の「質」が評価対象になり給与計算に反映されるようになれば、労働者が給料を最大化するための戦略も変化します。(給料=時給×労働時間)の公式も、仕事の「質」が評価される世界では時給も変数になり、仕事の「質」を良くすればするほど時給が上がり、仕事を効率よくこなせば(質を上げれば)ダラダラ長時間働かなくても高い給料を確保できます。あるいは、(給料=時給×労働時間)の公式とは別に仕事の質を給料に反映させる計算式を用意し、同じ時間でも良い仕事をすればその分給料をたくさんもらえるシステムにしてもいいです。いずれにせよ、労働時間内の労働の「質」が評価され給料に反映されることが必要なのです。
仕事の成果が「時間」と「質」で評価され、それによって給料が計算されるようになれば、労働者は労働時間を程々にし、労働の質を向上させて給料の最大化を図ることが出来るようになります。労働の「質」が評価されれば、同じ仕事を短時間で終わらせるための工夫を行うことが合理的な行動となり、労働生産性が向上します。そして労働時間を短縮しても高い給料を貰えるようになるので、労働時間も短くなります。よって、仕事の「質」が評価されるシステムを作ることが、長時間労働の解消や労働生産性の向上には有効であると考えます。
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