「政治的中立」が本当に存在するのかどうか、少しだけまじめに考察する。

学校で政治に関する教育をしようとすれば、ほぼ確実に「政治的中立」が云々と言われることになります。しかし、私としては「真の政治的中立は存在しない」と考えます。

真の政治的中立など存在しない。何もしないことがすでに政治的な意思表示になることさえあるのに、どの政党や考え方にも偏っていない状態など作れるわけがない。

  • 政治と日常生活は密接にリンクしている。例えば消費税率などは政治家が決めることだが、普段我々が買う物の値段に直接影響を与える。だから消費税率の引き上げに賛成or反対の意思表示をした地点で、何らかの政治的なメッセージを放つことになる。だからといって、消費税率の引き上げについて何も言わない(あるいは「どうでもいい」という意思を示す)のもまた「政治的中立」とは言えないのではないか。
  • 「どうでもいい」=「上がっても上がらなくてもいいから政治家さんが好きに決めてよ」ということになってしまうから、つまり「決定権がある人に従う」という意思表示になる。これは「現政権に(消極的)賛成」ということではないか。何もしないことさえ政治的な意思表示になってしまう。これで中立を保てという方が無茶苦茶だと思う。

例えば消費税率の引き上げについて、賛成or反対の意思表示をすれば「中立」ではなくなる。だが、意思表示をしないことは「現政権に(消極的)賛成」と取ることもできるから、結局「中立」にはならない。

政治と日常生活は密接にリンクしており、普段の生活においても政治で決められたことが影響を及ぼしている場面は多々あります。消費税は物の値段に直接影響を与えていますし、インフラや社会保障制度の整備も私達の生活に何らかの影響を与えます。そして、政治について何らかの意思表示をすれば、それは政治的に何らかの意味を持ったメッセージになります。あからさまに「私は○○党を支持します」と言わずとも、例えば「私は消費税率の引き上げに賛成します」と言えば、消費税率を引き上げようとしている政府の方針を支持していることになりますし、消費増税に反対の意思表示をすれば、消費税率を引き上げようとしている政府の方針を支持していないということになります。消費税率の引き上げについて、賛成or反対の意思表示した地点で「中立」ではなくなります(現政権の方針のうちの一つに対して支持or不支持の意思を示している)。ちなみに私は、消費税率の引き上げについては賛成です。負担が増えるのは痛いですが、赤字国債の発行と政府債務残高の増加には歯止めをかけなければならないと思っています。

かと言って、消費税率の引き上げについて何も言わないのも「中立」とは言えないと思います。何も言わない人は、いわば選挙で棄権しているようなものです。確かに選挙を棄権すれば、棄権した人の意志が直接的に選挙の結果に影響をおよぼすことはありません。しかし、棄権された1票の裏には「決めるのめんどくさいから勝手に決めてくれ。決まったことには従う。」というメッセージが込められていると考えられます。「決まったことに従う」ということは、つまり「決まった方針については賛成する」=「未来の権力者の政策に(消極的)賛成」という意思表示をしているとも考えられます。意思表示をしなくても、結局「中立」にはなりません。

真の「政治的中立」は存在しない。そのことを念頭に置き、民主主義を土台として子供が政治に興味を持てるような教育が必要なのではないか。

しかしながら、「政治的中立」が存在しない(実現できない)中でも、学校での主権者教育をやめることはできません。主権者教育を放棄してしまえば、将来の有権者として必要なことを子どもたちに教えることも出来ませんし、それでは投票率の低下に拍車をかけてしまうかもしれません。ちなみに、スウェーデンは学校で「政治的中立」をどのようにして保っているのか? | Tatsumaru Timesの記事によると、スウェーデンでは政党を学校に招いて政治的なディベートが行われるのだとか。やっぱり具体的に様々な考え方に触れる機会があったほうが政治のことを考えやすいと思います。

また、スウェーデンの政治教育の教材では「学校は、価値中立的とはなり得ない」とハッキリ認めてしまっているのだとか。民主主義を政治教育の中心に据え、生徒に民主主義の価値観を教えるためにすべての政党を招いてディベートを開き、政治的イデオロギーでの差別はしないのが原則ですが、生徒の身に危険が及んだり、諸事情で政党を呼ぶことが厳しくなったらすべての政党の来校を拒否する…というやり方です。民主主義の尊重という原則のもとで、すべての政治的な考え方を差別せずに平等に扱うというやり方によって中立性を保とうとしているようです。

学校の先生が子どもたちに「選挙権が与えられる年齢になったらきちんと投票に行きましょう」と言ったところで、子どもたちが「政治はワケワカラン」という状態では、「やっぱり面倒くさいから投票やーめた」となったり、ひどければ投票締め切り後に「ああ、今日は衆議院議員選挙だったのか。まあいいか、関係ないし。」となってしまう恐れがあります(投票の面倒を解消するためにはインターネットを利用して投票できるシステムを整備すべきかもしれません)。そうならないためには、子どもたちが政治に興味を持てるようにする必要があり、そのためには具体的な政策や考え方、つまり政党の話ができたほうが都合がいいのではないかと思います。現在は「政治的中立」の言葉により、学校では政党の話がタブーになっている面もありますが、何とかしてこのタブーを解く方法を探るべきではないでしょうか。そのためには、「政治的中立」の考え方を変える必要があるのかもしれません。

参考リンク

このブログを応援する・寄付する

当ブログでは暗号通貨による寄付を募っております。

Bitcoin:

Monacoin:

Litecoin: