カテゴリ:労働・雇用関連
投稿日:2016年03月17日
最終更新日:
今回は少し趣向を変えて、なぜ(自称)永遠の帰宅部の私が部活問題を解決することの必要性を叫んでいるのかについてを書いていこうと思います。
部活問題と隣り合わせの日常を送ったものとして、部活問題を解決しなければならないと考える者として、そしてブログで自由に情報発信できる者として、部活問題を解決することの必要性を叫ぶ。
- 日本の中で、「部活に加入しない権利」が認められる地域と認められない地域があり、「部活に加入しない権利」が認められる地域に住んでいても部活問題は学校にいる限り常に自分の隣りにいる。部活問題の連鎖は今断ち切らなければならない問題と考える者として、意見を発信しなければならないと考えている。
- 日本の学校は言論や思想を大いに統制している。組体操などに代表される「みんなで一致団結して行うもの」に反逆するような意見は当然のように抹殺される。異論は一切認められず、ひたすらイエスマンになることを要求される。これでどうして言論の自由が保障されていると言えるだろうか、いいや言えるはずがない!!部活動もまた「みんなでやること」として定義されてしまうゆえに、逆らうことはなかなか難しい。つまり内側からの革命は難しい(学校が部活問題解決の動きを内乱と捉えて鎮圧してしまうおそれがある)。だから外側からも意見を発信し続けて部活動監獄の捕虜(奴隷とも言える)を解放しなければならない。21世紀の奴隷解放運動。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月16日
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日本は伝統や慣習の支配が横行していると思います。たとえそれが法律違反だとしても。
伝統や慣習の継続圧力は法律をも超えてしまう。伝統・慣習はある意味で危険な文字列だ。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分け。
- 「伝統」や「慣習」と言われると、なんとなく「継続しなくては」という気になってしまう。みんながそう思ってしまったら日本人の得意技(笑)「同調圧力」と継続圧力のコンボで誰も止められなくなってしまう。ここまで来たら抵抗勢力に対してもマインドコントロールが始まり、ひたすら伝統・慣習の自動更新。法律違反だろうが関係なく自動更新。…この国は伝統治国家・慣習治国家だったのか!?
- 一旦「伝統」や「慣習」になってしまったら、法律違反だろうがなんだろうが自動更新されてひたすら継続されてしまう。サービス残業問題(言うまでもなく労基法違反)が解決しないのも、サービス残業が「慣習」になってしまったから。サービス残業という間違った(法律違反な)慣習が自動更新で継承されて、暴走する。慣習の暴力。ひどい。
- 「伝統」「慣習」には暴力的な一面があることを忘れてはならない。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分けと、継続するものが合法である完全無欠な証明。いつぞやの事業仕分けのごとく「伝統」「慣習」も一切の容赦も慈悲もなく仕分けなければならない。継続するならばその「伝統」「慣習」が1ミリの疑いもなく合法であることを誰が読んでも納得する完璧な証明で示す必要があるはずだ。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月15日
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日本では相変わらず待機児童(保育所等の入所待ち)問題・待機老人((特別養護)老人ホームの入所待ち)問題が深刻です。言うまでもないとは思いますが待機中の間は在宅で子育て・介護をやることになると思われます。しかし、子育て・介護はヘタすれば24時間365日一切休み無しの労働基準法大違反な仕事になりえます。そんな中で、「一時保育」や「ショートステイ」は、24時間365日の超過酷勤務の中に休みを入れる上で非常に重要な働きをすると思います。
子育てにだって介護にだって休みは必要!!休むための一時保育やショートステイの利用が堂々とできるようにすべき!!
- 24時間365日の連続労働に耐えきれるような人はまずいない。それが無茶苦茶だから労働基準法で「労働時間は1日8時間・週40時間まで」の規制をかけている。子育てや介護にだって休みがなければ人間は壊れてしまうし、ヘタすれば虐待や殺人にまで発展してしまう。子育て・介護される側を守るためにも、子育て・介護する側がきちんと休みを取れる必要がある。
- 常に施設に預けるというわけでもないが、小休止を挟んでリフレッシュしたいという時に「一時保育」や「ショートステイ」などが出てくる。「子育て介護を怠けるとはケシカラン」という人もいるかもしれないが、「休むこと=怠け」ではない。休むことによって体力気力を回復させ、心に余裕をもたせることにより、子育てや介護を安全に(虐待とか殺人とかせずに)行える。
- 「子どもや要介護者の面倒を家で見られるなら施設に頼るな」という意見の人もいるかもしれないが、そんなことをすれば子供の虐待や介護殺人はさらに深刻になる。子育てや介護に携わる人にも休みはなくてはならないもの。子どもや要介護者のためにも、施設を上手に活用すべきだし、それができる世の中にしなければならないと考える。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月12日
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日本の学校には大抵の場合部活動があります。そして、部活動に参加料(月謝)を支払うことはあまりないのではないかと思います。しかし、部活動に月謝がないことによって、様々な問題が起きている面もあるかもしれません。
生徒と教師の時間と自由を容赦なく奪い、さらには民業圧迫まで行う部活動はおかしい!!
- 部活動=無料の認識により、「スポーツの指導・その他様々なこと(音楽・美術・他色々)の指導=タダ」の図式が成り立ってしまった。そのせいで民間の(月謝を取る)習い事に人が流れない面もある(小学校までは通っていても中学入学をきっかけに辞めることもあるとか)。これは民業圧迫ではないか?これでは「スポーツ指導員」「音楽(美術・他色々)指導員」という職業が成立しない。スポーツを教えたい(スポーツが上手な)人が(アマチュアレベルでも)スポーツを教えること専業で食べていけるようにすべき。「スポーツ」を「音楽」や「美術」などに変えても同じ。
- また、「部活動は加入して当たり前(加入しないと入試で不利になる)」「加入したからには中途脱退はダメ(中途脱退は入試で不利になる)」「部活に全てを捧げるのが当たり前(すべてを捧げないと入試で不利になる)」という価値観と現実が生徒の時間と自由を奪い、趣味や習い事の継続を不可能にしている面もまたある。やっぱり部活は民業圧迫である。教師も教師で部活動の顧問業務に時間と自由を奪われ、休みも取れなければ教材研究もできない。これでどうやって質の高い授業をやれば良いのか。部活は民業とを圧迫し、授業の質の向上を阻む原因となっている。
- 学校内で何でもかんでもやろうとするから問題が発生する。部活動を廃止(アウトソーシング)して、放課後の活動(あえて部活とは呼ばない)は専門の指導員が教えるようにすべきだ。当然ながら指導員にはそれなりの給料を出す必要がある(新たな雇用の創出→経済政策にもなる)から、そこは税金から出すとか参加する生徒の保護者から月謝を頂くとかする必要がある。保護者側も「スポーツの指導・その他様々なこと(音楽・美術・他色々)の指導=タダという訳にはいかない」という認識を持たなければならないだろう。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月10日
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長時間勤務を抑制し、休息をきちんと確保するためにも、日本でも「インターバル休息」システムを導入すべきではないでしょうか。
「インターバル休息」システムの必要性
- 「インターバル休息」システムとは、退勤してから次に出勤するまでに最低でも○時間空けなさい、というルールを規定し、企業に守らせるもの。例えば13時間のインターバル休息を導入したとき、午後11時まで働いたら、次の出勤は(定時に関係なく)翌日の正午(退勤から13時間経過)以降にしなければならない、とするもの。休息の時間を確保し、疲労がたまるのを防ぐ効果が期待される。
- 日本人はこれまで長時間労働を続けてきたが、少子化とともに働き方に制約が生じる人も増えてくる。誰もが無制限に長時間労働できるわけではない。これまでは労働基準法の「例外」たる残業が当然のように通常勤務に組み込まれてきたが、それも終わる時。正規の労働時間(1日8時間・週40時間)に仕事を終わらせ、できれば正規の時間も短縮することを目指すべきだ。「インターバル休息」システムで労働時間を規制できれば、働き方に制約がある人も働きやすくなるかもしれないし、長時間労働で発生している健康問題も解決できる。
- 社員の健康を確保できない勤務体系では、病気で出社できない人が増えてしまい、いずれは行き詰まる。そうならないようにするためには、「インターバル休息」システムで休息を確保し、健康に働き続けられるようにしなければならない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月08日
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どうして日本では慣習が法律を無視してしまう(サービス残業とか強制部活とか)のでしょうか。法の支配の国なのにどうして慣習の支配になるのか。意味不明です。
慣習と同調圧力が法律を無力化し、「慣習の支配」の国にしてしまう
- 日本人はとにかく「空気を読む」。同調圧力が強すぎる。一旦空気が形成されてしまったら、それを変えるのは至難の業。だから法律違反な慣習が生き残ってしまう。それによって苦しめられる人もいるというのに。慣習の支配滅ぶべし。
- 日本は「法治国家」を標榜しているのだから、法律が国を治めなければならない。当たり前のことだ。慣習の支配などあってはならないし、ましてや慣習が法律を上回るなど論外。慣習の支配は滅ぶべきであると考える。
- 慣習は文書化されていないからわかりにくい。空気を読めと言われたって、空気を凝視しても慣習の条文など出てきやしない。誰でも読めるように文書化するべきだと考える。どうしても慣習の支配を継続したい(慣習を残したい)なら、継続したい慣習の全てを1ミリたりとも残さずに文書化し、それから正々堂々と法律と戦い、慣習が合法であることをきちんと証明しなければならない。…だがそれでも、慣習の支配は滅ぶべきであると考える次第である。
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投稿者名:
Koguma