一旦「伝統」や「慣習」になると、危険なものでも法律違反なものでも継続させる圧力が働く。だから組体操・部活動・サービス残業問題がなかなか解決しない。

日本は伝統や慣習の支配が横行していると思います。たとえそれが法律違反だとしても。

伝統や慣習の継続圧力は法律をも超えてしまう。伝統・慣習はある意味で危険な文字列だ。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分け。

  • 「伝統」や「慣習」と言われると、なんとなく「継続しなくては」という気になってしまう。みんながそう思ってしまったら日本人の得意技(笑)「同調圧力」と継続圧力のコンボで誰も止められなくなってしまう。ここまで来たら抵抗勢力に対してもマインドコントロールが始まり、ひたすら伝統・慣習の自動更新。法律違反だろうが関係なく自動更新。…この国は伝統治国家・慣習治国家だったのか!?
  • 一旦「伝統」や「慣習」になってしまったら、法律違反だろうがなんだろうが自動更新されてひたすら継続されてしまう。サービス残業問題(言うまでもなく労基法違反)が解決しないのも、サービス残業が「慣習」になってしまったから。サービス残業という間違った(法律違反な)慣習が自動更新で継承されて、暴走する。慣習の暴力。ひどい。
  • 「伝統」「慣習」には暴力的な一面があることを忘れてはならない。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分けと、継続するものが合法である完全無欠な証明。いつぞやの事業仕分けのごとく「伝統」「慣習」も一切の容赦も慈悲もなく仕分けなければならない。継続するならばその「伝統」「慣習」が1ミリの疑いもなく合法であることを誰が読んでも納得する完璧な証明で示す必要があるはずだ。

「伝統」「慣習」と「同調圧力」のコンボでマインドコントロールが始まり、暴走してしまう

物事を「伝統」や「慣習」と言われると、なんとなくそれが「維持すべきもの」に見えてくることが有ります。まさにこれが地獄への道の第一歩なのです。多くの人々が物事を「伝統」「慣習」であると認識しだしたら、みんなが「これは維持すべきことである」という認識を持ち始めます。ここまで来てしまうと、「その伝統・慣習はおかしいぞ」という意見が抹殺され始めます。同調圧力によって異なる意見を受け入れない空気が形成されてしまい、反抗勢力は遥か彼方に沈みます。

かくして物事への認識を「伝統」「慣習」(=「維持すべきもの」)に固定され、物事を「維持すべきもの」と認識できない人に対してはマインドコントロールが行われることも有ります。「伝統」「慣習」への反逆は許されないこととなってしまうのです。「伝統」「慣習」にブレーキをかける存在はなくなり、誰か一人が「これはおかしいぞ」と思っても「伝統」「慣習」の継続圧力の前に屈服を余儀なくされ、「伝統」「慣習」は暴走します。たとえそれが法律違反であっても。

今こそ『「伝統」「慣習」仕分け』を行い、継続する「伝統」「慣習」は合法であることを完璧に証明するべきだ!!

しかし、「伝統」「慣習」=「必ず守るべきもの」という認識は直ちに改めなければなりません。現在求められていることは、「伝統」「慣習」の保存ではなく、「伝統」「慣習」の仕分けなのです。いつぞやの事業仕分けのごとく『「伝統」「慣習」仕分け』を行うべきです。「この伝統は本当に維持する必要があるのか?」「この慣習の存在意義は何なのか?現代に即しているのか?ほんとうに必要か?」みたいな感じで「伝統」「慣習」を疑い、不要なものは潰していくことが必要です。< /p>

そして、「この伝統は本当に必要だ」「この慣習がなければ世界は崩れ去ってしまう」みたいな感じで真に必要な「伝統」「慣習」だけを抜き出します。しかしそこで『「伝統」「慣習」仕分け』は終わりません。「維持する伝統・慣習」には、それが1ミリの疑いもなく合法であることの誰が読んでも納得できる完全無欠な証明を用意する必要があります。完璧な証明を用意できなかった「伝統」「慣習」は廃止します。「サービス残業」は当然ながら「労働基準法違反」の一言で「即刻廃止」判定になります。

「伝統」「慣習」といえども、法律を破って良いはずがありません。組体操・部活動・サービス残業問題はどれも法律違反の上で成り立ってきました。

  • 組体操はタワーやピラミッド等で2メートル以上の高さに子供がいるというのに安全な足場も命綱の一本もない。明らかに労働安全衛生規則518条(高さ2メートル以上の場所で作業させるなら足場や命綱を用意しなければならない)に違反している。
  • 部活動は教師の無賃労働(教師には残業代が出ない。詳細は「給特法」などでググれば分かるかと)で支えられてきたが、どう考えても労働基準法違反。
  • サービス残業は言うまでもなく労働基準法違反。
伝統や慣習の中には法律違反が紛れ込んでいます。今までは放置されていた面もありますが、「伝統」「慣習」による法律違反は決して許されるものではありません。しかしそれでも続いてしまうのが「伝統」「慣習」の怖さです。我々は「伝統」「慣習」だからといって安易に従うのではなく、「伝統」「慣習」を疑い、時には「伝統」「慣習」を徹底的に破壊する勇気が求められているのではないでしょうか。

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