カテゴリ:現代社会へ思うこと
投稿日:2016年10月20日
最終更新日:
子供の貧困も昨今問題となっていますが、少なくとも子どもに非はありません。そして、子どもはどのような親のもとに生まれてくるかを選ぶことも出来ません。親の経済状況にかかわらず、子どもの生活や教育機会は保障される必要があるのではないでしょうか。
子どもに良い教育を受けさせれば、将来社会を支える人材となる。人材が育てば、社会全体がその恩恵を享受できる。子どもの生活支援や教育機会の保障は、より良い未来のための投資である。
- 親が貧困だと子どもも連動して貧困に苦しむことになるが、少なくとも子どもに非はない。親を選べないのだから、裕福な親のもとに生まれる可能性もあれば貧困に苦しむ親のもとに生まれる可能性もある。よって、親の経済状況にかかわらず子どもの生活や教育機会は保障されなければならない。親の経済状況によって子どもが教育を受けられないことは、社会的損失を生み出す。
- 子どもに良い教育を受けさせれば、その子どもは将来社会を支える人材となる。良い人材が育てば、良き納税者となる。そうした人材をたくさん育てて活躍させれば、社会全体がその恩恵を享受できる。子どもの生活支援や教育に金を注ぎ込むことは決して無駄金をドブに捨てることではない。立派な将来のための投資である。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年10月19日
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学校におけるいじめ(という名の犯罪)問題も、ブラック企業問題も、既に死亡者が出てしまっています。未対処の問題について、きちんと対処するのはとても重要な事です。しかし、本格的な対処の開始が死亡者発生後というのはいくら何でも遅過ぎるのではないかと考えます。
死人が出たならば、その問題はかなり悪化している。問題は本格的に悪化する前に対応を始め、最小の犠牲で解決しなければならない。
- 何らかの問題(例:いじめ(という名の犯罪)、ブラック企業、組体操など)があるならば、速やかに対処して犠牲者数を最小にするべきだ。問題をすぐに解決すれば、問題に苦しめられる人間が減るのは自明。問題によって消耗するはずだったエネルギーを消耗せずに済み、余ったエネルギーを他のことに使える。また、将来世代に押し付ける負の遺産も減らすことが出来る。
- すぐに問題に対処すれば後々のためにも有益なのに、実際には労働問題もいじめ問題も放置されることが多々ある。どちらも既に何人もの人が死んでしまっている。これは問題への対処が遅すぎたことの何よりの証である。死人が出た後の対処も大事ではあるが、犠牲者が出ることを予防することはより重要ではないか。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年10月18日
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2016年現在、日本では安楽死も尊厳死も合法化されていません。病気などで意識を失った場合、延命治療を行うか否かの決断は家族に委ねられますが、意識があるうちに延命治療を希望するか否かの意思表示を行い、自分が望む形で人生の終わりを迎えられる道を開いても良いと考えます。
意識がないまま生命維持装置によって強制的に延命されるよりは、延命治療をせずに(苦しまずに)死にたいと思う人もいるかもしれない。安楽死・尊厳死を合法化し、誰もが「延命治療をするorしない」を選択できるようにすべきではないか。
- 人間誰しも健康なまま穏やかに死を迎えたい(あるいは死にたくない)と思うだろうが、何らかの事故や病気で意識を失ったり、障害を抱えたりする場合もある。本人が意思表示出来ない状態になると、延命治療を行うか否かは家族に委ねられる。だが、家族とはいえ他人の命を直接左右してしまう決断を迫られる負担はあまりにも大きい。
- 延命治療を行うか否かは、本人が健康な(意識がはっきりしている)間に意思表示を行い、それを書面に残すようにするべきだと考える。また、安楽死・尊厳死を合法化し、延命治療を望む人には延命治療を施し、延命治療の苦しみを味わいたくない人が苦しまずに死を迎えられるように…誰もが人生の終わり方を選択できるようにするべきではなかろうか。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年10月17日
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ようやっと高速道路の最高速度を120km/hに引き上げ試験が開始される事になった日本ですが、日本の道路における制限速度は厳しすぎるのではないかと思います。道路の制限速度は、実情に合わせて再設定されるべきではないでしょうか。
道路の性能も自動車の安全性も向上した。円滑な交通のためにも遵法意識を損なわないためにも、制限速度は性能が高い道路に合わせて引き上げ、必要なところだけピンポイントで標識を設置して規制をかければよいのではないか?
- 制限速度は、本来ならば「1km/hでも上回ったらアウト」となってしまうものである。しかし実際には、制限速度を上回る実勢速度で走る車だらけの道路も多々ある。首都高などはその最たる例だろう。制限速度を遵守しなければ警察に捕まるリスクが発生するが、周りの自動車の速度(制限速度オーバー)に合わせなければ円滑な交通を破壊し、追突事故を誘発する。安全のために設定されるはずの制限速度が、逆に安全を損なおうとしている。
- 現在は道路の性能も向上したし、自動車の方も安全性はかなり向上している。制限速度を遵守することは必要だが、(個人の自由や権利を損なわないなら)規制の方を実情に合わせて緩和することもまた必要とされるのではないか。高性能な道路がその性能を遺憾なく発揮できるよう、制限速度は引き上げられるべきだ。危険な箇所があるならそこだけ標識を立てて制限を厳しくすれば良いだけである。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年10月14日
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ある人が何か(仕事など)で努力しているとしましょう。本人としては「これくらい努力している」という認識があるはずですが、他人からの努力の捉え方は、おそらく人によって違います。「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは、構築も運用も不可能であると考えます。
ある人の努力をただひとつの(誰が測定しても同じ値になる)基準で測定することは出来ない。どこまで努力すれば「限界」なのかが正確にわからない以上、「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは成立しない。
- ある人が行った努力をどのように捉えるかは人それぞれである。同じ努力でもある人から見れば「ものすごく努力したんだな」と考えるかもしれないし、別の人は「全然努力してないぜこの怠け者は」と考えるかもしれない。努力の度合いをきちんと規格が決められている(誰が図っても同じものならば同じ値になる)ものさしで測ることは出来ない。ものさしがないから。
- 努力の度合いを正確かつ公平に測定することは不可能である。これでは「限界まで努力しろ」と言われても、果たしてどこが限界なのかを他人が知ることは出来ない。もしかしたら自分でさえも分からないかもしれない。よって「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムは構築・運用共に不可能である。
- 「限界まで努力した人だけが援助を受けられる」というシステムが構築されたらば、再起不可能なレベルで消耗する人やすべてを諦めて自殺する人が出てきてしまうだろう。努力の度合いにかかわらず、支援が必要な全ての人に必要な支援がなされるシステムを構築する必要があると考える。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年10月13日
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何らかの法的トラブルに遭遇した時、誰にも相談できずに泣き寝入りというのはあまりにも理不尽ですしやるせないです。しかし、日本には「法テラス」があります。法的トラブルで困ったときは、法テラスに相談です。
法テラスは法的トラブルの解決を支援し、裁判を受ける権利を保障する。無料法律相談や弁護士費用立て替えなどの支援も行ってくれる。
- 法的トラブルに遭遇したら、なるべく早いうちに専門家に相談し、解決する必要があるだろう。だが、誰に相談すればいいのか、あるいはそもそも直面している問題が法的なものであるかが分からない時もある。そのような時こそ、「法テラス」に相談するべきだ。法テラスに相談すれば、相談内容に応じて問題解決に役立つ法制度や専門的に相談できる関係機関を案内してもらえる。法テラスに相談することで、問題解決の1歩目を踏み出せる。
- 金銭面が心配な場合でも、法テラスでは無料で法律相談を行っている。また、裁判で勝訴あるいは和解などで紛争を解決する見込みがあれば、弁護士費用を立て替えてもらうことができる。費用立て替え制度により、「裁判を受ける権利」もある程度保障される。立て替えてもらった費用は分割払いで返済すればよい。法的トラブルが起きたらとりあえず法テラスに相談し、目の前のトラブルを片付けてしまおう。
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投稿者名:
Koguma