カテゴリ:現代社会へ思うこと
投稿日:2016年02月20日
最終更新日:
キレイゴトぬきにリアルを見れば、現代社会を生きる上では、どうしてもお金は必要になってきます。お金を稼ぐことは、決して悪いことではありません。全力でお金を稼ぎ、それを原資に新しい仕事を生み出し、雇用を創出する人だっています。お金を稼いでいる人を叩く人もいますが、それこそ経済を萎縮させる原因だと思います。
自分が生活出来るだけのお金を稼げなければ、人をきちんと雇うことなんてできるわけがない
- 現代社会においては、お金を稼ぐことはどうしても必要不可欠。お金がないと生活が立ちゆかなくなるから。
- 人に雇われることで生活資金を稼ぐ人も多い。会社員はその最たるもの。だが、それが成立するためには、お金を稼いで、他人を雇う人(団体)の存在が必要だ。
- 人を雇うならば、労働基準法は最低限遵守しないといけないし、雇っている人の生活を左右できてしまう立場にいる覚悟も必要になってくる。これは副業を推奨することである程度緩和されるが。ともあれ、人を雇うにはお金と覚悟が必要なのだ。
- お金を稼いでいる人を叩く人は確かに存在するが、叩くほうがおかしいと思う。足を引っ張っていては、経済は萎縮し、叩いている本人の生活も立ちゆかなくなる。
続きを読む
投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月19日
最終更新日:
日本において、相手(特に部下や後輩など)を叱責するときの古典的なセリフに、「やる気がないなら帰れ」があります。しかし、このセリフが要求するのは、「帰れ」→「嫌です」→「駄目だ帰れ」→(中略)→「次はないからな!!!」という面倒くさい茶番だったりします。めんどくさすぎて反吐が出ます。
「やる気がないなら帰れ」?ブラック企業を生み出すセリフにしか思えない。相手を萎縮させても改善はされない。効率が落ちる。
- 「やる気がないなら帰れ」のセリフを放っても、相手は内心で「嗚呼またあの茶番かよ」としか思わない。やる気は失せ、「怒られないように何もしないでおこう」となってしまう。その結果、効率は落ちる。
- 怒られる方からしてみれば、怒ってる人が何を思っているかなんて知ったこっちゃない。「やる気がないなら帰れ」と言われれば、条件反射で「あの茶番をやらせたいんだな」と認識する。怒ってる人が怒りたいから怒ってるんだなとしか思わない。まずかったことを改善して欲しければ、まずかった点と改善策を示す必要がある。「やる気がないなら帰れ」のセリフには、まずかった点も改善策も込められていない。悪意100%。
- 昔はこのセリフでよかったのかもしれないが、時代が変われば適切な怒り方だって変わる。「やる気がないなら帰れ」のセリフは、現代では全く通用しないだろう。
続きを読む
投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月19日
最終更新日:
ある人が所属する集団は印象が悪くても、その人個人としては好印象だったりすることがあります。人を見る時のジレンマです。集団と個人の評価を切り分けることが難しいと感じるのは私だけでしょうか…
個人としての評価と集団としての評価がごちゃまぜになると…すさまじいカオスになる
- 例えば何かしらのいけ好かない団体と、その団体に所属している親しい友人がいたとする。いけ好かない団体の評価は最悪。だがそこに所属している友人を個人としてみれば好印象。ここでジレンマが発生してしまう…人の世は難しいものだ。
- 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(あるものや人を憎むとそれに関連するもの全てが憎くなってくること)」の諺通り、いけ好かない団体が憎ければ、それに関連するものが全て憎くなってきてしまう。でも団体のことを抜きにして個人としてみれば、その人の印象は悪くなかったり。一体どうすればいいというのか。
- この辺のことを考え過ぎるとどうしようもないから、どこかで考えるのを打ち切ることになる。が、問題は全く解決していない。
続きを読む
投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月18日
最終更新日:
いじめ(=犯罪)は人の人生をおもいっきり狂わせます。そしてそれに関わることになってしまった人の末路は悲惨です。特にいじめ被害者の方は。
…ほう。いじめ加害者は人の人生を狂わせておきながらこれですか。他人の人生を回復不可能なレベルで狂わせた自覚があるからこそ、のうのうと社会に出てこられるんですよね!!いじめ被害者がどれだけつらい思いをしているかきちんと理解しているからこそ人前に堂々と出られるんですよね!?そうですね?
いじめによって狂いだす人生がある
- いじめ(という名の犯罪)は、他人の精神を傷つけ、肉体を傷つけ、被害者を再起不能なレベルで叩きのめす。学校は完全に戦場である。どこから不意打ちを食らうかわからない。
- 運良くいじめが終結しても、いじめ被害者はいじめの後遺症に生涯苦しめられるのだ。様々なシーンで精神を縛られる。あんまりだ。
- いじめ禁止、報復禁止を掲げても、いじめる側はそれを守らない事多し。いじめられる側はきちんとルールを遵守している事多し。これはひどい。やっぱり被害届を警察に出したい。治外法権?教師裁判権?んなもん知るか!!ろくにいじめ被害者の保護もできないくせに!!
- やはり古い害悪な慣習は殲滅しなければならないだろう。そしていじめ問題もどうにかしなければ。そのためにも、学校の治外法権を叩き潰し、教師裁判権を全廃。慣習治国家を脱しなければならない。
続きを読む
投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月17日
最終更新日:
日本経済は相変わらず良いのか悪いのかさっぱり分かりませんが、経済に関する興味深いツイートを紹介したいと思います。
作るだけでは金が回らない。誰かが物やサービスを消費することで、お金が回りだす。
- 日本人は長時間勤務でひたすら労働・生産してきた部分もあるが、労働と生産だけでは、経済は回らない。作ったもの(あるいはサービス)を誰かが買うことで、はじめてお金が循環し、経済が支えられる。物やサービスがあっても、誰かが買わなきゃ意味が無い。
- 経済活動においては、生産と労働も確かに大事だが、それは生産物を誰かが消費しなければ成り立たない。余暇がなければ、物やサービスの消費もできないし、消費がなければ次の生産に移れず、お金が世間を回らなければ、景気は悪くなる。
- 「金は天下の回りもの」とはよく言ったもので、お金は経済の血液といえる。血液が体内を循環して人間の生命が維持されるように、お金が色々なところを循環することで、経済は維持され、成長する。そして、お金の循環を維持するためには、誰かが物やサービスを消費しなければならないし、そのためには余暇が必要だと思う。
続きを読む
投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年02月16日
最終更新日:
高校生のデモや集会、学校への届け出制認める 文科省:朝日新聞デジタル 文部科学省はとんでもない見解を示されました。なんと高校生が休日や放課後に行う政治活動は、学校側の判断で届出制にできるとのこと。一体何を考えているのでしょうか。無茶苦茶です。
なぜ政治活動を届出制にする必要があるのか?むしろ政治活動の完全自由化が必要だろう!!
- 政治活動を届出制にしたら、それこそ投票に行くときも事前に届け出をすることになる。政治活動の届出制を認める文部科学省の見解は、ただでさえ低い投票率をさらに押し下げようとしているものとしか思えない。
- 政治活動に関わることで、政治についてより深く考えることができるし、投票率の向上にも寄与する。政治活動に縛りをかけてはいけない。むしろ政治活動を奨励すべきである。休日や放課後を政治活動に使って何の問題があるというのだ。休日や放課後の使い方は完全に個人の自由である。
- 学生の政治活動は完全自由化が必要だ。政治について考える機会が保証されることにより、投票率は上がるし、政治を良くすることもできる。政治活動を届出制にすることは、学生が政治について考える機会を制限し、政治をますます悪くする原因となってしまう。
続きを読む
投稿者名:
Koguma