「やる気がないなら帰れ」という叱責のテンプレは、ただ相手を怒りたいだけかもしれない

日本において、相手(特に部下や後輩など)を叱責するときの古典的なセリフに、「やる気がないなら帰れ」があります。しかし、このセリフが要求するのは、「帰れ」→「嫌です」→「駄目だ帰れ」→(中略)→「次はないからな!!!」という面倒くさい茶番だったりします。めんどくさすぎて反吐が出ます。

「やる気がないなら帰れ」?ブラック企業を生み出すセリフにしか思えない。相手を萎縮させても改善はされない。効率が落ちる。

  • 「やる気がないなら帰れ」のセリフを放っても、相手は内心で「嗚呼またあの茶番かよ」としか思わない。やる気は失せ、「怒られないように何もしないでおこう」となってしまう。その結果、効率は落ちる。
  • 怒られる方からしてみれば、怒ってる人が何を思っているかなんて知ったこっちゃない。「やる気がないなら帰れ」と言われれば、条件反射で「あの茶番をやらせたいんだな」と認識する。怒ってる人が怒りたいから怒ってるんだなとしか思わない。まずかったことを改善して欲しければ、まずかった点と改善策を示す必要がある。「やる気がないなら帰れ」のセリフには、まずかった点も改善策も込められていない。悪意100%。
  • 昔はこのセリフでよかったのかもしれないが、時代が変われば適切な怒り方だって変わる。「やる気がないなら帰れ」のセリフは、現代では全く通用しないだろう。

相手を叱り飛ばす目的は何かを考えなければならない。相手に改善を求めるからか?ただ怒りたいだけか?

大前提として、怒られたい人はまず誰もいません。自分が怒られたらどう思うかを考えれば、誰だって怒られたくないことはわかるかと思います。そして、怒られるのも嫌なら、怒るのも嫌だという人もいます。人間誰しも、嫌なことはできれば避けて通りたいものです。怠惰と言われようとも、心が弱いと言われようとも、逃げられる嫌なことからは逃げたいと思うのが普通です。また、現代はワークライフバランスが大事な時代です。間違っても、プライベートを犠牲にして仕事に全てを捧げるような時代ではありません。労働基準法を守らない企業は例外なく全てブラック企業です。

そして、時代が変わったのですから、適切な怒り方だって変わるものです。昔は体罰が横行しましたが、今それをやれば、おそらく暴行罪で警察送りになります。口頭での怒り方も、古いものは通用しなくなってきています。相手に改善を要求するならば、改善してほしい点と改善策を的確に説明する必要があるでしょう。分からないものを改善せよと言われてもそれは無理です。どこを改善するのかがわからなければ、改善のしようがありません。

しかし、「やる気がないなら帰れ」のセリフの中には、改善すべき点も、改善策も、何一つ入っていません。あるのは「帰れ」→「嫌です」→「駄目だ帰れ」→(中略)→「次はないからな!!!」といった一連の茶番だけです。セリフを言い放った目的が、相手に成長してほしい、改善して欲しいというものだったとしても、相手側は「あの茶番をやれと言っているんだな」としか受け取りません。同じ言葉でも、自分と相手では受け取り方が違うことが多々あります。ましてやただ怒りたいだけのために「やる気がないなら帰れ」と言い放ったりでもしたら、怒られた側は「怒られないように指示待ちに徹しよう」とか考えることになります。「指示待ちすんなこの野郎」とか言えば「だったら指示がない時のマニュアル作れやこのポンコツ能なし上司」となります。

相手に改善を要求するならば、改善すべき点と改善策をきちんと示すべき

人間は、誰だって失敗はします。一つもミスしない完璧な人間などいません。時には相手に改善してほしいことを言わなければならない時もあるでしょう。問題は言い方です。「やる気がないなら帰れ」のセリフを言い放つのは古典的過ぎますし論外です。改善すべき点を的確に伝え、改善策を考えなければ、改善のしようがありません。最低限、改善すべき点だけはきちんと伝える必要があります。

相手を萎縮させる怒り方をしたら、当然相手は萎縮し、怒られないようにするために、あらゆる行動に過剰にブレーキがかかります。怒られないことを至上命題として行動するわけですから、物事の改善など二の次になりますし、効率も低下します。時代が変われば、物事のやり方も変わります。変化に適応出来たものだけが生き残り、適応できなかったものは淘汰されます。今後も生き残るためには、怒り方も現代用に変えていかなければならないかと思います。

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