カテゴリ:政治関連
投稿日:2016年06月15日
最終更新日:
学校で政治に関する教育をしようとすれば、ほぼ確実に「政治的中立」が云々と言われることになります。しかし、私としては「真の政治的中立は存在しない」と考えます。
真の政治的中立など存在しない。何もしないことがすでに政治的な意思表示になることさえあるのに、どの政党や考え方にも偏っていない状態など作れるわけがない。
- 政治と日常生活は密接にリンクしている。例えば消費税率などは政治家が決めることだが、普段我々が買う物の値段に直接影響を与える。だから消費税率の引き上げに賛成or反対の意思表示をした地点で、何らかの政治的なメッセージを放つことになる。だからといって、消費税率の引き上げについて何も言わない(あるいは「どうでもいい」という意思を示す)のもまた「政治的中立」とは言えないのではないか。
- 「どうでもいい」=「上がっても上がらなくてもいいから政治家さんが好きに決めてよ」ということになってしまうから、つまり「決定権がある人に従う」という意思表示になる。これは「現政権に(消極的)賛成」ということではないか。何もしないことさえ政治的な意思表示になってしまう。これで中立を保てという方が無茶苦茶だと思う。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年06月12日
最終更新日:
現在の日本には、「徴兵制」などというものは存在しません(学校の部活動が強制加入システム+月月火水木金金な活動スケジュール+あまりにも大変な活動内容で地獄絵図になっていることもありますが)。しかし、「軍隊ではない(と日本政府は言い張ってる)けど軍隊に酷似した組織」は存在します。言わずと知れた「自衛隊」です。自衛隊員は自らの意志で国防を担っています。そして、自衛隊員でない(=戦争になっても戦地に送り込まれる確率が低い)私たちは、最前線で命を賭ける自衛隊についてきちんと考えなければならないでしょう。
最前線で戦う人たちがきちんと身を守る事ができるよう、現実に即したルールの改正が必要かもしれない。
- 自衛隊員は国防の最前線で命を賭けて戦っている。彼らを守るためには外交による戦争の回避とともに、敵軍に対抗しうる武装及びそれを自衛のためにきちんと使えるようにする交戦規定が必要である。身も蓋もないが、戦いになってしまったら武器を使わない訳にはいかない。残酷だが戦場においては敵を打倒しなければ我が身を守ることは出来ない(だからこそ外交努力で極力戦争を回避しなければならないのだが)。
- 自衛隊は志願制で人員を調達している上に総員も多いとはいえない(陸海空合わせて25万人弱)。完全に専守防衛な交戦規定だと、「相手が攻撃してきて、それから反撃」という流れにしかならない。これではどう考えても敵方の初撃で自衛隊に大損害が出てしまう。そうならないためにも、先制的自衛(予防攻撃に非ず)は認められてしかるべきだと思う。もちろん戦争がないのが理想だが、理想だけでは飯は食えない。理想の実現を目指しつつ、粛々と目の前の現実にも対応するバランスが重要ではないかと考える。それを考えるのは私達国民一人ひとりだろう。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年05月08日
最終更新日:
こういう形で増税の必要性を訴えてくるとは誰が想像できたでしょうか。財務大臣になって財政改革を進めよう :: ゲームコーナー :: 日本の財政を考えるでプレイできる日本の財政の黒字化を目指すゲームが何とも言えない作りです。
もくじ
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年04月15日
最終更新日:
知識は我が身を守る盾になります。そして、現代社会を生きる上では知識の盾が必要です。例えば労働基準法の知識があれば、労働基準法違反をやらかしている企業(人はこれをブラック企業と呼ぶ)から撤退したり戦ったりする時に確実に役に立つでしょう。自分の身を守るためには、法律の知識があったほうが良いと思います。
法律の知識を身につけることは我が身を守ることに繋がる
- 労働者が労働基準法の知識を持っていないと、ブラック企業は労働者をひたすら酷使して搾取する(いくら労働条件を悪くしても労働基準監督署にはバレないから大丈夫、と考えてしまう)可能性がある。労働基準法の知識があれば「これは労基法違反だ」と気づくこともできるし、労働基準監督署や弁護士などに相談して問題の解決を図ることもできるはず。
- 他にも法律の知識があるかないかで事案への対処に差が出てくることは考えられる。我が身を守るためには、最低限の法律の知識が必要なのではないだろうか。主なところでは労働基準法や消費者基本法、道路交通法、民法あたりの知識はあって損にはならないと思う。というか社会生活を営む上では必須かもしれない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月22日
最終更新日:
日本の会社では、育児中の社員(主に女性)だけが時短勤務制度を使える状態なのではないかと思います(誰もが正社員の身分のまま時短勤務を使えるという話は聞いたことがありません)。しかし、この時短勤務制度を男性も含めて誰もが使えるようにすべきではないかと思うのは私だけでしょうか。
時短勤務は誰もが使える制度であるべき!?
- 子育て中の人でなくても、時短勤務ができれば良いなあというシチュエーションはある(親の介護がある、副業や趣味などに時間を割きたい、など)。どうして時短勤務の対象を限定する必要があるのだろうか。誰もが時短勤務を使えるようにすれば、もっと多様で柔軟な働き方を実現できる。
- 画一的な働き方(全員9時に出勤して5時に退勤する、←は建前で実際には全員に長時間の残業を要求する)では変化し続ける現代には対応できないと思う。少子高齢化が進行する中で労働力を確保するためには、働き方に制約がある人をうまく組み合わせて雇用するより他にない。そのためには働き方の多様性をもっと認めなければならない。その一つが「時短勤務制度を全社員が利用できるようにする」ことかもしれない。
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投稿者名:
Koguma
投稿日:2016年03月08日
最終更新日:
どうして日本では慣習が法律を無視してしまう(サービス残業とか強制部活とか)のでしょうか。法の支配の国なのにどうして慣習の支配になるのか。意味不明です。
慣習と同調圧力が法律を無力化し、「慣習の支配」の国にしてしまう
- 日本人はとにかく「空気を読む」。同調圧力が強すぎる。一旦空気が形成されてしまったら、それを変えるのは至難の業。だから法律違反な慣習が生き残ってしまう。それによって苦しめられる人もいるというのに。慣習の支配滅ぶべし。
- 日本は「法治国家」を標榜しているのだから、法律が国を治めなければならない。当たり前のことだ。慣習の支配などあってはならないし、ましてや慣習が法律を上回るなど論外。慣習の支配は滅ぶべきであると考える。
- 慣習は文書化されていないからわかりにくい。空気を読めと言われたって、空気を凝視しても慣習の条文など出てきやしない。誰でも読めるように文書化するべきだと考える。どうしても慣習の支配を継続したい(慣習を残したい)なら、継続したい慣習の全てを1ミリたりとも残さずに文書化し、それから正々堂々と法律と戦い、慣習が合法であることをきちんと証明しなければならない。…だがそれでも、慣習の支配は滅ぶべきであると考える次第である。
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投稿者名:
Koguma