カテゴリ:学校・教育関連

「いつでも限界ギリギリ出力での運転」はできない。余力は緊急対処のために残しておくべきものだ。

投稿日:2016年02月28日
最終更新日:

日本では通常業務を残業で処理させることもありますが、これはおかしいと思います。本来は労働基準法にある「週40時間労働」を守らなければならないのです。

瞬間最大出力と常用出力は違う。瞬間最大出力でずっと運転できるわけがない!!

  • 50メートル競走を全力で駆け抜けるスピードは瞬間最大出力。だがそのペースで42.195キロフルマラソンを走破できるわけじゃない。仕事だって同じだ。
  • 労働基準法は労働者の権利を守るために存在する。労働基準法総則にも、「ここで定めているのは最低条件であるから、労働関係当事者は労働条件を向上させるように努めなければならない。労働条件を悪化させるなどもってのほか。」みたいな感じのことが書いてある。
  • 長時間労働は過去の悪習。短時間で高い成果を出せばそれでいいではないか。人間休まないと働き続けることはできない。休養は大事である!!
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なぜ日本人は休みやプライベートを軽視するのか。休みがないと人間まともに動くこともままならないのに。

投稿日:2016年02月27日
最終更新日:

常々疑問に思います。日本人はなぜこうもプライベートを軽視し、プライベート重視を悪と捉える空気をも作り出してしまったのか。

休むことは人として必要不可欠なことだ。プライベート重視を悪と捉えることは、人として必要不可欠な食事をも悪と捉えることである。

  • 誰だって動けば疲れる。オリンピック選手だって、運動すれば疲れる。疲れたまま無理やり何かすれば、ミスをしたり、怪我や病気になったり、ろくなことがない。だから人間は休みを取る。休むことで体力を回復させ、精神力も回復させて、次の仕事に備える。休むことは、人として必要不可欠なことである。
  • 日本人はなぜだか「休むこと=悪」のひどい等式を頭のなかに刷り込まれる場合がある。しかし実際には真逆。「休むこと=善」である。体調が悪いのに無理して事故を起こすくらいなら、1日休んだほうがよっぽどいい。どうして休むことがいけないこととされるのか、理解に苦しむ。
  • プライベートを充実させることは、精神力の回復に寄与する。人間は休むことで力を蓄え、その力をもって仕事にかかる。休むことを悪と捉えることは、ある意味で食事を悪と捉えることになってしまう。休むことはある種の燃料補給なのだから。1滴のガソリンも給油せずに走り続けることができるガソリン車などあるはずがない。人間だって一緒だ。休んで力を蓄えなければ、仕事に割けるエネルギーが無くなる。
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「昔はもっと大変だった」はある種の思考停止ワード。我慢比べ、足の引っ張り合いはもうやめよう!!

投稿日:2016年02月22日
最終更新日:

若者をdisる時、あるいは大変だったものをもっと楽にできるようにしようとする時(例:残業があったものをきちんと定時に帰れるようにする、育児休業や保育所の利用etc)などに、それなりの確率で「昔はもっと大変で云々」と言い出す人が湧いてきます。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、いわゆる「老害」にカテゴライズされると思います。もう足を引っ張り合ったり、我慢するのが美徳な時代ではありません。

時代が変わればやり方も変わる。必要なのは合理的な変化であって、我慢比べや奴隷の鎖自慢、足の引っ張り合いではない!!

  • 大変だったものが楽にできるようになることは、大変喜ばしいことである。これまで強いられていた労苦から解放され、また一つ暮らしやすい世界に向けて前進するのだから。
  • 時代が変われば、物のやり方だって変わってくる。変化し続ける環境に適応して生き残るためには、人間そのものも、物のやり方も、環境に適応する方向で変化していく。足を引っ張り合っていても、やり方は改善されず、大変なことは大変なまま残り、やがて自らを破滅へ追い込んでしまう。いい加減足の引っ張り合いや我慢比べが害であることに気づくべき。
  • 我慢することは美徳でもなんでもない。我慢のし過ぎは身体に毒だ。足の引っ張り合いや我慢比べ、奴隷の鎖自慢をやめて、現状を改善していく必要があるのではないか。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、社会が変化していることに気づいていない人だ。
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「お金=悪」ではない。自分が生活するお金を稼げなければ、雇用を生み出すこともできないのだから。

投稿日:2016年02月20日
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キレイゴトぬきにリアルを見れば、現代社会を生きる上では、どうしてもお金は必要になってきます。お金を稼ぐことは、決して悪いことではありません。全力でお金を稼ぎ、それを原資に新しい仕事を生み出し、雇用を創出する人だっています。お金を稼いでいる人を叩く人もいますが、それこそ経済を萎縮させる原因だと思います。

自分が生活出来るだけのお金を稼げなければ、人をきちんと雇うことなんてできるわけがない

  • 現代社会においては、お金を稼ぐことはどうしても必要不可欠。お金がないと生活が立ちゆかなくなるから。
  • 人に雇われることで生活資金を稼ぐ人も多い。会社員はその最たるもの。だが、それが成立するためには、お金を稼いで、他人を雇う人(団体)の存在が必要だ。
  • 人を雇うならば、労働基準法は最低限遵守しないといけないし、雇っている人の生活を左右できてしまう立場にいる覚悟も必要になってくる。これは副業を推奨することである程度緩和されるが。ともあれ、人を雇うにはお金と覚悟が必要なのだ。
  • お金を稼いでいる人を叩く人は確かに存在するが、叩くほうがおかしいと思う。足を引っ張っていては、経済は萎縮し、叩いている本人の生活も立ちゆかなくなる。
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「やる気がないなら帰れ」という叱責のテンプレは、ただ相手を怒りたいだけかもしれない

投稿日:2016年02月19日
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日本において、相手(特に部下や後輩など)を叱責するときの古典的なセリフに、「やる気がないなら帰れ」があります。しかし、このセリフが要求するのは、「帰れ」→「嫌です」→「駄目だ帰れ」→(中略)→「次はないからな!!!」という面倒くさい茶番だったりします。めんどくさすぎて反吐が出ます。

「やる気がないなら帰れ」?ブラック企業を生み出すセリフにしか思えない。相手を萎縮させても改善はされない。効率が落ちる。

  • 「やる気がないなら帰れ」のセリフを放っても、相手は内心で「嗚呼またあの茶番かよ」としか思わない。やる気は失せ、「怒られないように何もしないでおこう」となってしまう。その結果、効率は落ちる。
  • 怒られる方からしてみれば、怒ってる人が何を思っているかなんて知ったこっちゃない。「やる気がないなら帰れ」と言われれば、条件反射で「あの茶番をやらせたいんだな」と認識する。怒ってる人が怒りたいから怒ってるんだなとしか思わない。まずかったことを改善して欲しければ、まずかった点と改善策を示す必要がある。「やる気がないなら帰れ」のセリフには、まずかった点も改善策も込められていない。悪意100%。
  • 昔はこのセリフでよかったのかもしれないが、時代が変われば適切な怒り方だって変わる。「やる気がないなら帰れ」のセリフは、現代では全く通用しないだろう。
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いじめ加害者が更生→「エライ!!」。いじめ被害者が引きこもり→「社会不適合者だ!!」。こういうコメント尋常じゃなく理不尽だと思う件について

投稿日:2016年02月18日
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いじめ(=犯罪)は人の人生をおもいっきり狂わせます。そしてそれに関わることになってしまった人の末路は悲惨です。特にいじめ被害者の方は。 …ほう。いじめ加害者は人の人生を狂わせておきながらこれですか。他人の人生を回復不可能なレベルで狂わせた自覚があるからこそ、のうのうと社会に出てこられるんですよね!!いじめ被害者がどれだけつらい思いをしているかきちんと理解しているからこそ人前に堂々と出られるんですよね!?そうですね?

いじめによって狂いだす人生がある

  • いじめ(という名の犯罪)は、他人の精神を傷つけ、肉体を傷つけ、被害者を再起不能なレベルで叩きのめす。学校は完全に戦場である。どこから不意打ちを食らうかわからない。
  • 運良くいじめが終結しても、いじめ被害者はいじめの後遺症に生涯苦しめられるのだ。様々なシーンで精神を縛られる。あんまりだ。
  • いじめ禁止、報復禁止を掲げても、いじめる側はそれを守らない事多し。いじめられる側はきちんとルールを遵守している事多し。これはひどい。やっぱり被害届を警察に出したい。治外法権?教師裁判権?んなもん知るか!!ろくにいじめ被害者の保護もできないくせに!!
  • やはり古い害悪な慣習は殲滅しなければならないだろう。そしていじめ問題もどうにかしなければ。そのためにも、学校の治外法権を叩き潰し、教師裁判権を全廃。慣習治国家を脱しなければならない。
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