なぜ日本人は休みやプライベートを軽視するのか。休みがないと人間まともに動くこともままならないのに。

常々疑問に思います。日本人はなぜこうもプライベートを軽視し、プライベート重視を悪と捉える空気をも作り出してしまったのか。

休むことは人として必要不可欠なことだ。プライベート重視を悪と捉えることは、人として必要不可欠な食事をも悪と捉えることである。

  • 誰だって動けば疲れる。オリンピック選手だって、運動すれば疲れる。疲れたまま無理やり何かすれば、ミスをしたり、怪我や病気になったり、ろくなことがない。だから人間は休みを取る。休むことで体力を回復させ、精神力も回復させて、次の仕事に備える。休むことは、人として必要不可欠なことである。
  • 日本人はなぜだか「休むこと=悪」のひどい等式を頭のなかに刷り込まれる場合がある。しかし実際には真逆。「休むこと=善」である。体調が悪いのに無理して事故を起こすくらいなら、1日休んだほうがよっぽどいい。どうして休むことがいけないこととされるのか、理解に苦しむ。
  • プライベートを充実させることは、精神力の回復に寄与する。人間は休むことで力を蓄え、その力をもって仕事にかかる。休むことを悪と捉えることは、ある意味で食事を悪と捉えることになってしまう。休むことはある種の燃料補給なのだから。1滴のガソリンも給油せずに走り続けることができるガソリン車などあるはずがない。人間だって一緒だ。休んで力を蓄えなければ、仕事に割けるエネルギーが無くなる。

「休むこと=悪」という発想は、「365日24時間死ぬまで働け(ワタミグループ理念集より)」ということだ!!そんな話があってはならない!!

休むことを悪いことと考えている人は、直ちにその考えを改める必要があるのではないかと思います。休むことは、人間にとって必要不可欠なことなのです。6 体力の向上に資する子どもの生活習慣の改善-よく食べ、よく動き、よく眠る “健康3原則”(調和のとれた食事、適切な運動、十分な休養・睡眠)の徹底-:文部科学省でも、生活習慣の基本が「食事・運動・休養」であることに言及しています。休養を全く取らずに運動し続けたら、どこかで必ず体を壊すことになります。そうならないようにするために、休養を取るのです。食事を全く取らずに運動し続けたら、遠からずエネルギー切れとなり、栄養失調で倒れます。ガス欠の自動車という捉え方もできますね。ガス欠になる前に、自動車だったらガソリン(などの燃料)を入れ、人間なら食事で栄養を補給します。

このことからもわかるように、働き続ける(運動する)ためには、きちんとした食事と、十分な休養(つまり休み)が必要になるのです。食事については適当にググってもらうことにして、今回は休養にスポットライトを当てます。十分な休みがなければ、やはりどこかで体を壊し、回復するのに多大な時間とお金を費やしたり、最悪の場合は過労死もありえます。そうならないために、きちんと休む必要があるのです。このことをきちんとわかっていれば、休むことを悪と捉えることはまず無いでしょう。休むことは、会社のため(働き続けるため)にも必要なのです。なので堂々と休みましょう。「休むこと≠悪」「休むこと=必要不可欠なこと」、「週5日40時間(将来的には労働時間をもっと短くしたいところ)身体に気をつけて死なないように働き、堂々と休め」です。

休むことは、働き続けるためにも、健康を保つためにも必要不可欠。休むことを悪と捉える悪習から脱却し、積極的に休めるような社会を目指すべき!!

「休まないことはいいことだ」という同調圧力の強さによって、休みたくても休めない・休んでいいのに休めない、という経験をした方も、少なからずいるのではないかと思います。同調圧力とは恐ろしいものです。しかし、それも終わる時が来ているのです。休まないことを美徳とする文化から、きちんと休むことを推奨する・休もうと思えばガッツリ休める文化に転換しなければなりません。

先述したとおり、人間は休むことによって、活動することで生じた身体的精神的ダメージを回復し、次の活動のための力を蓄えます。また、休みをきちんと取ることで、趣味などの費やす時間も確保できるようになり、心にも余裕を持てます。何かと忙しく、時間を守ることを求められることも多い現代社会ですが、命あっての物種です。自分の体を大事にして、ガッツリ休んで効率よく仕事をこなし、余裕を持って日々を過ごせるように、発想の転換が求められているのではないでしょうか。休むことは、自分の体を壊さないためにも、仕事をきちんと続けるためにも、絶対に欠いてはいけないものなのです。

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