子どもは親を選べない。親の経済状況にかかわらず、子どもの生活や教育機会が保障される必要がある。将来の社会を支える人材を育成すれば、社会全体が恩恵を享受できる。教育は投資だ。
投稿日:2016年10月20日
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子どもに良い教育を受けさせれば、将来社会を支える人材となる。人材が育てば、社会全体がその恩恵を享受できる。子どもの生活支援や教育機会の保障は、より良い未来のための投資である。
- 親が貧困だと子どもも連動して貧困に苦しむことになるが、少なくとも子どもに非はない。親を選べないのだから、裕福な親のもとに生まれる可能性もあれば貧困に苦しむ親のもとに生まれる可能性もある。よって、親の経済状況にかかわらず子どもの生活や教育機会は保障されなければならない。親の経済状況によって子どもが教育を受けられないことは、社会的損失を生み出す。
- 子どもに良い教育を受けさせれば、その子どもは将来社会を支える人材となる。良い人材が育てば、良き納税者となる。そうした人材をたくさん育てて活躍させれば、社会全体がその恩恵を享受できる。子どもの生活支援や教育に金を注ぎ込むことは決して無駄金をドブに捨てることではない。立派な将来のための投資である。
親の経済状況によって子どもの生活が困窮したり教育機会を奪われたりすることは、個人の損失のみならず、社会的損失でもある。
昨今子供の貧困が問題となってきていますが、少なくとも子どもに非があるわけではありません。子どもがどのような親のもとに生まれてくるかを選べない以上、親の経済状況にかかわらず子どもの生活や教育機会が保障される必要があるのではないでしょうか。親の経済状況によって子どもの生活が困窮したり、教育を受ける機会を奪われることは、個人的損失のみならず、社会的損失ともなります。
子どもが教育を受けることが出来なければ、その子どもが大人になってから稼ぐことが出来る所得が減ってしまいます。たくさんの子どもが教育を受けられなくなってしまえば、たくさんの子どもが将来稼げる所得が減ってしまい、経済の縮小につながります。経済が縮小すれば当然税収も減りますから、社会保障の維持が困難になることは言うまでもありません。
また、教育を受けられなかった子どもたちが大人になってから仕事を見つけられなければ(失業すれば)、生活保護や失業保険、職業訓練などの形で支出増を招き、ただでさえ支える側の人間と税収が減ったところに追い打ちをかけ、ヘタすれば社会全体が困窮します。子どもの貧困問題を放置することは、社会的にも大きな損失を生み出してしまいます。子どもの貧困問題を論じる時に親の責任を追及する人もいるかもしれませんが、事態は一刻を争います。親の責任を追求している場合ではありません。
子どもの生活支援や教育機会の保障に注ぎ込む金は未来への投資。種は蒔かなければ生えてこないし、収穫物も得られない。子どもに良い教育を施すことは、社会全体のためにも必要。
たくさんの子どもに良い教育を施すことができれば、子どもたちが成長した後、たくさんの所得を稼ぎ社会を支える人となるでしょう。経済規模も拡大し、税収も増えますから社会保障もなんとか維持できますし、財政的な余裕が生まれれば困っている人によりきちんとした支援を行うこともできるようになるはずです。
親の経済状況にかかわらず全ての子どもたちの生活と教育機会を保障することにより、将来社会を支える人材をたくさん育てることが出来ます。育った人材をきちんと活躍させれば、たくさんの所得を稼ぎ、経済規模も大きくなり、社会全体が豊かになります。子どもが教育を受けられる環境を整え、良い教育を受けさせれば、その恩恵は社会全体が享受できます。
「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがあるように、種だけあってもきちんと育てなければ何も得られません。子どもという可能性に満ち溢れた種をきちんと育てなければ、社会は豊かにならず、将来多くの人が困窮することになります。子どもの生活支援や教育機会の保障にはおそらくたくさんのお金が必要になりますが、そのお金は立派な将来のための投資です。将来にわたって社会を維持していくためにも、今すぐに子どもたちへの投資を始める必要があります。
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