「自由参加が建前なのに参加しないといろいろと問題が発生する」という問題を早急に解決しなければならない。自分は自分。他人は他人。不干渉主義者の主張。
投稿日:2016年08月06日
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他人の自由と権利もまた、尊重しなければならないものだ。自由参加型イベントに参加するつもりのない他人を強制的に引きずり出すのは、他人の自由と権利を軽視している人の悪行だと考える。
- 自由参加型イベントなのだから、誰だって「参加しない自由」を持っているし、参加しないことを選択する権利がある。他人の自由と権利もまた尊重しなければならない。自分の自由と権利を守るためにも。自由参加型イベントに参加したくない他人を強引に引きずり出そうとする行いは、たとえ良かれと思ってしたことでも)他人の自由と権利を軽視した悪行だと考える。
- 自由参加型イベントに参加したことによるプラス要素はあっても良いかもしれないが、参加しなかったことによるマイナス要素があってはいけない。そんなことをすれば、参加しないことによる不利益を避けるために嫌でもそのイベントに参加することを強いられる。これでは強制参加と大差ない。外面だけは「自由参加」を掲げているから余計にたちが悪い。
自由参加型イベントにおける「参加しない自由」は尊重されなければならないし、「参加しないことを選択する権利」の行使を妨げてはいけない。誰もが堂々と「参加しないことを選択する権利」を行使できるようにするために。
「自由参加」を掲げるイベント等であれば、誰もが「参加しない自由」を持ち、「参加しないことを選択する権利」を行使できます。「参加したい人は参加する。でも参加したくない人は参加しなくてOKだし参加しなかったことによって問題が発生することはないよ」というのが自由参加ですから。夏によく行われる花火大会などのイベントも自由参加なので行かなくても何も問題は生じません。学校の部活動も学習指導要領で「任意活動」と定義されているので、本来ならば参加したくない人は参加しなくても全く問題ないものです。
私たちには様々な自由や権利があります。「表現の自由」や「精神の自由」、「人権」などです。自らが自由や権利を持っているのと同様に、他人もまた自由や権利を保持しています。そしてそれらは等しく尊重される必要があります(自分の人権と他人の人権が衝突した時に「公共の福祉」が出てきます)。正当な理由と法的根拠なく他人の自由や権利に制約を与えることは、誰にも許されていません。
自由参加型イベント等に参加したくない(するつもりがない)他人を強制的にイベント等に引きずり出すような行いは、尊重されなければならない他人の「参加しない自由」を侵害し、「参加しないことを選択する権利」の行使を妨害しています。このような行いは、(たとえ良かれと思ってしたことでも)他人の自由と権利を軽視していると言わざるを得ません。罪深き行いです。
自由参加型イベント等に参加しなかったことによる不利益な取り扱いも根絶しなければならない。
自由参加型イベント等に参加したことによるプラス要素はあっても良いかもしれません。しかし、参加しなかったことによるマイナス要素があってはいけないと考えます。参加しないことによってマイナス要素が生じてしまったら、不利益を回避するためにしぶしぶ参加することになってしまいます。これでは自由参加とはいえません。自由参加という名の強制参加です。外面だけは自由参加なのが余計にたちが悪い。
例えば会社において自由参加の飲み会が行われたとしましょう。この時、飲み会に参加しなかった人の給料を減額したり、不当な査定をしたりしてはいけないのです。飲み会に参加しなかったことによって給料が減額されたり、不当な査定をされるようなことがあれば、その飲み会は自由参加ということは出来ません。給料や査定を人質とした強制参加の飲み会です。また、給料の減額や不当査定がなくとも、「参加しないあいつは何なんだ」とかなんとか陰口を叩く人もいますが、そういうことをするのも本来ならばダメだと考えます。他人の参加しない自由は尊重しなければなりません。自由や権利が脅かされない限り、他人の行動にはあまり干渉しないべきだと考えます。自分と他人は別個の存在です。