秀岳館吹奏楽部が野球応援のために吹奏楽コンテスト大会出場を断念させられた事件。言い方は悪いが野球部絶対主義の先軍政治が生み出した悲劇か。
投稿日:2016年08月20日
最終更新日:
今回の事件から、「野球部(運動部)のためなら文化部などをいくら犠牲にしても誰からも文句は言われないし、文句を言ってはいけない」という恐ろしい空気を感じる。そんなに野球部様が特別なのか。
- 吹奏楽部も野球部をはじめとする運動部も、私から見れば等しく非人道的な活動日程をこなしているように見える。地獄だ。…今回の事件では野球部が夢の舞台(とされる場所)への切符を手にした一方、吹奏楽部は野球部の都合によって夢の舞台(とされる場所)への切符が無効になってしまった。野球応援がそんなに大事か。
- 吹奏楽部と野球部は従属関係にあったわけではないだろう。まさか軍楽隊よろしく野球部の中に音楽隊が組織されているわけでもあるまい。吹奏楽部も野球部も(それ以外の部も)、それぞれのフィールドで力を発揮し、お互いの都合には左右されずに活動するはずだ。だが今回は吹奏楽部が野球部絶対主義の犠牲になってしまった…。
- この事件からも、「野球部(運動部)のためなら文化部などをいくら犠牲にしても誰からも文句は言われないし、文句を言ってはいけない」という恐ろしい空気を感じる。野球部のために全校生徒を強制動員して全校応援を行ったりすることもあると聞く。なんという野球部絶対主義。金正日もびっくりの先軍政治だ。
この事件は絶対に美談にはできない。野球応援のために吹奏楽部が自由に活動できないというのは理不尽である。そんなに演奏が必要なら野球部内に軍楽隊を組織すればいいではないか。
熊本県の秀岳館高校野球部は、2016年の夏の甲子園に出場しました。さて、甲子園では様々なドラマが生まれますが、その裏には数々の犠牲があるのも事実です。今度も野球部以外の人が犠牲になりました。秀岳館高校野球部が甲子園出場を決めた裏では、同校吹奏楽部が吹奏楽コンテストへの出場を断念した(させられた?)のです。
この事件については、秀岳館吹奏楽部「野球部と日本一に」 大会断念し甲子園へ – 西日本新聞の記事や秀岳館吹奏楽部はなぜ甲子園応援を選んだのか 「学校圧力」説の真相を顧問に聞く : J-CASTニュースの記事を既にご覧になった方もいるかと思います。西日本新聞の記事ではこの事件を美談として片付けようとしていますが、私としては、この事件は絶対に美談には出来ないと考えます。今回の事件は、「野球部絶対主義の先軍政治が生み出した悲劇」です。
今回の場合、野球部と吹奏楽部はそれぞれ独立して存在しているはずです。間違っても、野球部内に専属の軍楽隊を抱えているわけではないでしょう。それぞれの部が独立して存在しているわけですから、それぞれの部の都合でそれぞれの部の戦場へと出撃すればいいだけの話です。お互いの活動日程も都合もお構い無しで問題ないはずです。
それなのに今回は、「甲子園での応援に演奏が必要だから」という理由で吹奏楽部が吹奏楽コンテストへの出場を断念した(させられた?)のです。真偽こそ不明ですが、「学校側が生徒に対して『コンテストは諦めて甲子園で吹け』と圧力をかけた」と言う噂まであります。これが本当であればトンデモナイ話です。野球部絶対主義とでも言えば良いのでしょうか。野球応援のために、本来野球部とは無関係であるはずの吹奏楽部(とそれ以外の部、部活動無所属の人など)の活動が制限されるのは理不尽です。そんなに応援時の演奏が必要なら、野球部の予算で野球部内に軍楽隊を創設してはどうでしょうか。
「野球部絶対主義」が暴走し、金正日もびっくりの先軍政治が始まる。犠牲は吹奏楽部のみならず、場合によっては全校に及ぶ。全体主義の暴力に終止符を!!
野球部絶対主義により、吹奏楽部はコンテストへの出場を諦めて野球応援をすることを余儀なくされました。しかし、野球部絶対主義の魔の手は、時に全校を犠牲にします。「全校応援」では、その名の通り全校生徒を動員して野球応援を行います。こちらも全校生徒に対して参加義務を課したり、建前としては任意参加になっていても学校側が生徒に対して「応援に行け」と圧力をかけることもあるようです。なんという先軍政治。恐怖と絶望の全体主義。
これまで高校野球は神聖視されてきた面もありましたが、いくら神聖だからといっても、野球部以外の部活等に所属している人や部活動に所属していない人など、野球部とは無関係な人を犠牲にすることが許されるわけではありません。「野球部(運動部)のためなら文化部などをいくら犠牲にしても誰からも文句は言われないし、文句を言ってはいけない」という考え方が蔓延しているとしたら、末恐ろしい話です。全体主義の暴力には、なるべく早期に終止符を打たなければなりません。
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