会社は人を雇う限り、労働基準法などを守り、また雇った人をモンスタークレーマーなどの脅威からも守らなければならないだろう。社員は会社の奴隷でもお客様の奴隷でもない。
投稿日:2016年10月01日
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会社が労働法規を遵守するのは当たり前だが、「お客様は神様です」のフレーズを曲解して接客担当者を苦しめるモンスタークレーマーの脅威から社員を守ることも必要ではないか。
- 「お客様は神様です」のフレーズが曲解されることが非常に多い現在、このフレーズを振りかざして接客担当者の精神を破壊するモンスタークレーマーが後を絶たない。会社が労働法規を遵守するのは当然だが、社員をモンスタークレーマーの脅威から守ることも必要だと考える。社員は会社の奴隷でもなければお客様の奴隷でもないのだから。
- フランス革命の時には王様も処刑された。地上における神の代理人とされた東ローマ帝国皇帝でさえ、マズイことをしたら処刑されている。神様といえども一線を越えてはいけないし、ましてやお客様は神ではない(同じ人間であるはずだ)。一線を越えたモンスタークレーマーなどには断固とした対応が必要。担当者がモンスタークレーマーなどの脅威から守られないようでは、どんなに高い給料を提示しても接客担当者になる人がいなくなるかもしれない。
社員は会社の奴隷でもないし、お客様の奴隷でもない。お客様と接客担当者は、本来同じ人間であり、対等な立場であるはずだ。お客様だからといって、悪質な行為が許されるわけではない。
「お客様は神様です」のフレーズは有名ですが、このフレーズの本来の意味について確認しておきましょう。
三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズなのです。三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのですし、また、営業先のクライアントのことでもありません。
(中略)このフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有り、本来の意味するところについてを、本人がインタビュ ー取材の折などに尋ねられることも多くあり、その折は次のように話しておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』
「お客様は神様です」について
「お客様は神様です」というフレーズは、本来「演者と聴衆」との関係でのみ使われ、「(小売店などにおける)店員とお客様」「ベンダー(自社の担当者)とクライアント(営業先の人)」などの場合には使用されません。また、本来の意味でこのフレーズを用いるならば、お客様の側から言ってはいけない言葉でもあります。
しかし現在は、このフレーズを曲解して「お客様は神様なんだから値下げしろ」などといった理不尽な要求や、店員に対する個人攻撃などを行う「モンスタークレーマー」に類する人が後を絶ちません。接客担当者の労働環境は悪化する一方です。これでは外食産業や小売業などが人手不足になるのも仕方がありません。モンスタークレーマーに精神を破壊された人が戦線を離脱し、求人を出してもモンスタークレーマーが跳梁跋扈する戦場に好き好んで特攻する人はいるはずがありませんから。人手不足は当然の結果です。
客と店員は同じ人間であり、法的なことを言えば「双務契約の当事者」ということになります(客と店が売買契約を締結する。客は代金を支払って商品を入手し、店は代金をもらって商品を引き渡す。店員は店を代表して客とのやり取りを行う)。本来ならば客と店員は対等な立場です。店員は客に対してサービスを提供する側ではありますが、間違っても「お客様の奴隷」ではありません。
社員は会社の奴隷ではありませんから、会社が労働法規を遵守するのは当たり前です。しかしそれだけではなく、会社は社員をモンスタークレーマーなどの脅威から守るべきであると考えます。お客様だからといって、悪質な行為を野放しにして良いわけではありません。接客担当者にはサービススキルや謝罪スキルだけではなく、客への対応を変更する基準(通常の客とモンスタークレーマーなどとの区別)と悪質な客への対処法(警察へ通報する、店から追放するetc)を教えるべきです。
余談…処分された神(に近い存在)たち
なお、余談ですが神だからといって何をしても許されるかといえば、そういうわけでもなさそうです。神は神でも悪いことをする神は「邪神」とされますし、貧乏神や疫病神だっています。
神からは少し離れるかもしれませんが、フランス革命では王様も処刑されました。言うまでもなく、旧制度のもとでは王様は絶対的な君主として君臨していました。王様といえども一線を越えたら処刑されるということです。
また、東ローマ帝国の皇帝の中にも、マズイことをして処刑された人もいます。東ローマ帝国において皇帝(ローマ皇帝)は「地上における神の代理人」です。しかし神の代理人でさえ、何でもかんでも好き放題というわけにはいかなかったことは歴史が証明しています。こちらの場合も、一部の皇帝は目を潰されたり鼻を削がれたりといった憂き目にあっています。
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