カテゴリ:学校・教育関連

日本の学校における体育教育の目的は何なのか?体力の向上が目的なら、ひたすら個人のペースでゆっくりトレーニングしていたほうが良いのでは?

投稿日:2016年03月23日
最終更新日:

この記事をお読みになっている皆様は、学校で行われた「体育」の授業にどのような思いを抱いているでしょうか?私は「体育」の時間が大嫌いでした。まあ英語とかも嫌いでしたが、体育に比べれば英語の授業でわけのワカラン宇宙人の言語を読んでたほうが100倍マシです。

体育の目的は何なのか?子供の体力向上か?それともスクールカースト形成と精神論の暴力の押し付けか?

  • 学習指導要領で定められた体育の目標には「明るく豊かな生活を営む態度を育てる」とあるが、運動が苦手な人を公開処刑してスクールカースト形成装置と化した日本の体育の授業ではこの目標を達成できるわけがない。「体力の向上」なども目標に定められているが、体育が全体主義と精神論に染まっている限りは何一つ目標を達成することなどできない。
  • 体育の授業から全体主義と精神論を排除し、ひたすら自分のペースで科学的に有効なやり方を用いて筋トレやジョギングなどを行う授業に転換するという手もある。これならば「体力の向上」の目標を確実に達成できる。「みんなで」同じレベルを目指せと言われても無理。個人プレーの科学的体育への転換。
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どこの公立の小中学校に通うかを児童生徒自身が選択するのは難しい。だから全国どこの公立小中学校でも同様に子供の自由が最大限保障されなければならない。

投稿日:2016年03月19日
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少なくとも公立の小中学校は義務教育(といっても親が子供に教育を受けさせる義務であり子供の視点では「教育を受ける権利」になるのだが)なので、基本的には小中学生に相当する年齢の子供は地域の公立小中学校に通うことになります。しかし、どこの公立小中学校に通うかを児童生徒(の保護者)が選択できることはなかなか無いかと思います。なので全国どこの公立小中学校でも同様に子供の自由が最大限保障される必要があります(もっと言えば高校でも自由が保障されるべきです)。

全国どこの公立小中学校でも、子供の自由は最大限保障されなければならない!!地域差があるのはおかしいし、自由が制限されている地域を基準にするのもおかしい!!

  • 義務教育では全国どこに行っても学習指導要領に従って同じことを教える。これによってどの地域でも同じような教育が行われる。しかし現状では「子供の自由」に関しては地域差がある(部活動加入が任意であるか強制されているか、など)。子どもの権利条約を批准している以上、日本国内のどの地域でも子供の自由と権利は最大限保障されなければならないのに。子供の自由と権利に地域差があってはならない。
  • 「地域差があってはならない」とだけ言ったら「子供の自由と権利が最も制限されている地域を基準として全国的にそれに合わせる」ようなことが行われるかもしれないが、それもダメ。「子供の自由と権利が最も尊重されている・保障されているされている地域(と子どもの権利条約・人権)を基準として全国的にそれに合わせる」ようにしなければならない。部活動の強制加入システムは子供の自由を制限するものだから直ちに廃止しなければならない。
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(自称)永遠の帰宅部の私が、部活問題解決の必要性を叫ぶ理由について。

投稿日:2016年03月17日
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今回は少し趣向を変えて、なぜ(自称)永遠の帰宅部の私が部活問題を解決することの必要性を叫んでいるのかについてを書いていこうと思います。

部活問題と隣り合わせの日常を送ったものとして、部活問題を解決しなければならないと考える者として、そしてブログで自由に情報発信できる者として、部活問題を解決することの必要性を叫ぶ。

  • 日本の中で、「部活に加入しない権利」が認められる地域と認められない地域があり、「部活に加入しない権利」が認められる地域に住んでいても部活問題は学校にいる限り常に自分の隣りにいる。部活問題の連鎖は今断ち切らなければならない問題と考える者として、意見を発信しなければならないと考えている。
  • 日本の学校は言論や思想を大いに統制している。組体操などに代表される「みんなで一致団結して行うもの」に反逆するような意見は当然のように抹殺される。異論は一切認められず、ひたすらイエスマンになることを要求される。これでどうして言論の自由が保障されていると言えるだろうか、いいや言えるはずがない!!部活動もまた「みんなでやること」として定義されてしまうゆえに、逆らうことはなかなか難しい。つまり内側からの革命は難しい(学校が部活問題解決の動きを内乱と捉えて鎮圧してしまうおそれがある)。だから外側からも意見を発信し続けて部活動監獄の捕虜(奴隷とも言える)を解放しなければならない。21世紀の奴隷解放運動。
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一旦「伝統」や「慣習」になると、危険なものでも法律違反なものでも継続させる圧力が働く。だから組体操・部活動・サービス残業問題がなかなか解決しない。

投稿日:2016年03月16日
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日本は伝統や慣習の支配が横行していると思います。たとえそれが法律違反だとしても。

伝統や慣習の継続圧力は法律をも超えてしまう。伝統・慣習はある意味で危険な文字列だ。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分け。

  • 「伝統」や「慣習」と言われると、なんとなく「継続しなくては」という気になってしまう。みんながそう思ってしまったら日本人の得意技(笑)「同調圧力」と継続圧力のコンボで誰も止められなくなってしまう。ここまで来たら抵抗勢力に対してもマインドコントロールが始まり、ひたすら伝統・慣習の自動更新。法律違反だろうが関係なく自動更新。…この国は伝統治国家・慣習治国家だったのか!?
  • 一旦「伝統」や「慣習」になってしまったら、法律違反だろうがなんだろうが自動更新されてひたすら継続されてしまう。サービス残業問題(言うまでもなく労基法違反)が解決しないのも、サービス残業が「慣習」になってしまったから。サービス残業という間違った(法律違反な)慣習が自動更新で継承されて、暴走する。慣習の暴力。ひどい。
  • 「伝統」「慣習」には暴力的な一面があることを忘れてはならない。現在求められているのは「伝統」「慣習」の維持ではなく、「伝統」「慣習」の仕分けと、継続するものが合法である完全無欠な証明。いつぞやの事業仕分けのごとく「伝統」「慣習」も一切の容赦も慈悲もなく仕分けなければならない。継続するならばその「伝統」「慣習」が1ミリの疑いもなく合法であることを誰が読んでも納得する完璧な証明で示す必要があるはずだ。
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部活動が無料でできる事自体が、異常なことであり民業圧迫なのかもしれない。

投稿日:2016年03月12日
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日本の学校には大抵の場合部活動があります。そして、部活動に参加料(月謝)を支払うことはあまりないのではないかと思います。しかし、部活動に月謝がないことによって、様々な問題が起きている面もあるかもしれません。

生徒と教師の時間と自由を容赦なく奪い、さらには民業圧迫まで行う部活動はおかしい!!

  • 部活動=無料の認識により、「スポーツの指導・その他様々なこと(音楽・美術・他色々)の指導=タダ」の図式が成り立ってしまった。そのせいで民間の(月謝を取る)習い事に人が流れない面もある(小学校までは通っていても中学入学をきっかけに辞めることもあるとか)。これは民業圧迫ではないか?これでは「スポーツ指導員」「音楽(美術・他色々)指導員」という職業が成立しない。スポーツを教えたい(スポーツが上手な)人が(アマチュアレベルでも)スポーツを教えること専業で食べていけるようにすべき。「スポーツ」を「音楽」や「美術」などに変えても同じ。
  • また、「部活動は加入して当たり前(加入しないと入試で不利になる)」「加入したからには中途脱退はダメ(中途脱退は入試で不利になる)」「部活に全てを捧げるのが当たり前(すべてを捧げないと入試で不利になる)」という価値観と現実が生徒の時間と自由を奪い、趣味や習い事の継続を不可能にしている面もまたある。やっぱり部活は民業圧迫である。教師も教師で部活動の顧問業務に時間と自由を奪われ、休みも取れなければ教材研究もできない。これでどうやって質の高い授業をやれば良いのか。部活は民業とを圧迫し、授業の質の向上を阻む原因となっている。
  • 学校内で何でもかんでもやろうとするから問題が発生する。部活動を廃止(アウトソーシング)して、放課後の活動(あえて部活とは呼ばない)は専門の指導員が教えるようにすべきだ。当然ながら指導員にはそれなりの給料を出す必要がある(新たな雇用の創出→経済政策にもなる)から、そこは税金から出すとか参加する生徒の保護者から月謝を頂くとかする必要がある。保護者側も「スポーツの指導・その他様々なこと(音楽・美術・他色々)の指導=タダという訳にはいかない」という認識を持たなければならないだろう。
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千葉県の高校受験では、内申書におもいっきり部活動歴が掲載されて、場合によっては加点対象になる…一般入試なのに?

投稿日:2016年03月09日
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私は千葉県で公立高校を受験したことがあります。千葉県の中学校においては、「部活動」の参加状況や実績がある程度内申書を左右しうる要素になります。

学校のオプション・無くても良いはずの「部活動」が入試の点数を左右するところがあるのが、千葉県の公立高校入試の真実。

  • 千葉県の内申書の書式(資料PDF)を見ればわかるが、「部活動の記録」を記述する欄が独立して(そこそこのスペースを占めている)存在する。これが内申のためだけの部活(いわゆる「幽霊部員」)を生み出し、生徒を学校に隷属させる。これはひどい
  • そして各高校によって基準は違えど、「部活動の記録」に書かれたことが点数化されることがある(もちろん入試の得点に追加・部活動以外の記述も点数化されるが)。ある意味では高校も部活による生徒支配の片棒を担いでいる。部活は生徒を支配する道具ではないはずだ。
  • 「部活顧問がブラックすぎる」現役教師が署名活動ーー学校の部活はどうあるべき? – 弁護士ドットコムでも言及されているが、部活動のことを内申書に記述することはやめるべき。部活問題を解決し、学校による過剰な生徒への締め付けを何とかするためには、入試制度を改革し、部活動歴が(少なくとも一般)入試には一切影響を与えないようにしなければならない。
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