集団としてみると悪印象。個人としてみれば好印象。集団と個人の評価を切り分けることはなかなか難しい…
投稿日:2016年02月19日
最終更新日:
個人としての評価と集団としての評価がごちゃまぜになると…すさまじいカオスになる
- 例えば何かしらのいけ好かない団体と、その団体に所属している親しい友人がいたとする。いけ好かない団体の評価は最悪。だがそこに所属している友人を個人としてみれば好印象。ここでジレンマが発生してしまう…人の世は難しいものだ。
- 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(あるものや人を憎むとそれに関連するもの全てが憎くなってくること)」の諺通り、いけ好かない団体が憎ければ、それに関連するものが全て憎くなってきてしまう。でも団体のことを抜きにして個人としてみれば、その人の印象は悪くなかったり。一体どうすればいいというのか。
- この辺のことを考え過ぎるとどうしようもないから、どこかで考えるのを打ち切ることになる。が、問題は全く解決していない。
相手を集団から切り離して「個人」としてみることができるかどうか。これがなかなか難しい。
相手のことを「集団」の一員として見てしまうと、どうしてもその「集団」に対する評価が加味されて、「個人」に対する評価が形成されてしまいます。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってやつです。集団が憎いと、その集団に属する個人(憎い集団を構成するピースの一部)まで憎くなってしまいます。
しかし、「個人」を「集団」から切り離し、一人の人間として見ることができれば、その人の印象が変わってくることも多々あると思います。集団に所属していることによってかかるバイアスを排除し、純粋にその人を見ると、案外いい人だったりします。ただ、「集団」に所属していることが、心まで縛ってしまうのです。集団というものはなかなか厄介で、ひとたび同調圧力が強くなれば、それに逆らうのは至難の業です。面従腹背を続けるにも限界があります。
人間の心は厄介なもので、一旦頭に焼き付いた印象は、なかなか消えません。先に「個人」として相手を見れば、良い印象のほうが先にインプットされるので、その人が「集団」に所属していても、それなりに個人と集団を切り離しての付き合いができたりします。しかし「集団」の一部として相手を見てしまうと、「集団」の悪いイメージに引っ張られ、個人としての評価も歪められ、ジレンマが発生してしまいます。
社会生活を送る上では、人との接触を避けて通ることはまず不可能です。新しい人と付き合うことになれば、その人がどんな人なのかを見極め、その人とどのように付き合っていくかを決定していくことになりますが、そのプロセスで相手をどのような視点で見るかは、結構重要だと思います。「集団」に囚われず、「個人」として相手を見たいものですが、なかなか難しいです。嗚呼。