衆議院・参議院議員などの選挙で「マイナスの1票」を投じるシステムを導入するという選択肢。
投稿日:2016年07月22日
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「この人は良さそうだ」と思える人が立候補していなくても、誰かを当選させなければならない。そうであるならば、「この人はダメだ」と思う候補に「マイナスの1票」を投じ、「よりマシな人」を当選させるシステムでも良いのでは?
- 自分の選挙区に「良さそうな人」が立候補していなくても、立候補者がいる限りは誰かを当選させなければならないのが現在の選挙システム。そうであるならば、「この人はダメだ」と思う候補に対して「マイナスの1票」を投じる選択肢があっても良いと思う。
- 有権者たちが「この人はダメだ」と思う候補に「マイナスの1票」を投じる。そして、「マイナスの1票」を投じられた数が一番少なかった候補がその選挙区における「最もマシな候補」となり、その人が当選する。…かなりネガティブな発想だが、選挙は「選択肢の中から一番マシな人を選出する作業」とも言える。よって、「この人を当選させてはいけない」という候補を積極的にふるい落とせる「マイナスの1票」システムも決して悪くはないと考える。
「この人なら大丈夫」という人がいなくても、立候補者がいて当選枠がある限りは誰かを当選させなければならない。選挙は「一番マシな人を選ぶ作業」。よって、「マイナスの1票」システムを導入する価値はある。
現在の選挙システムにおいては、当選枠があって立候補者が存在する限り、誰かを当選させるしかありません。「この人なら大丈夫」という人がいなくても、当選枠がある限りは有権者みんなが頑張って「一番マシな人」を選出することになります。ブロガーにして東京都議会議員である音喜多氏も、選挙とは、ろくでなしの中からもっともマシな人間を選ぶ作業である | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイトという記事を公開しています。民主主義に取って代わる(民主主義よりも良さそうな)政治体制がない以上、もうしばらくは有権者全員で「一番マシな人を選ぶ作業」となる選挙を継続するしかありません。
しかし、選挙のシステムを工夫することは出来ます。「マシな人を選ぶ」作業は、見方を変えれば「これはダメだという人を当選させない」作業とも考えられます。これまでは「この人を当選させよう」という候補者に対して「プラスの1票」を投じるシステムでした。しかし、選挙は「一番マシな人を当選させ、ヤバそうな人を当選させない作業」ですから、「この人はダメだ」という人に対して「マイナスの1票」を投じることができるシステムを導入しても良いのではないかと考えます。
「マイナスの1票」は、考え方としては古代ギリシャの「陶片追放」が近いかもしれません。現代日本では、「最高裁判所裁判官国民審査」がまさしく「マイナスの1票」を投じるシステムです。古代ギリシャで行われたとされる「陶片追放」は、僭主(非合法的に権力を奪って独裁政治をする人)の出現を防ぐために、市民たちが「この人は僭主になりそうだ」という人の名前を陶器の破片(陶片)に書いて投票し、一定以上の票が集まったらその人は一定期間追放される…というシステムです(参考記事:陶片追放/オストラシズム)。まさに「ヤバそうな人にマイナスの1票を投じて町(ポリス)から追い出す」システムです。ちなみに高校世界史の授業で出てくるかも知れないので、中高生の皆さんは覚えておくとなにか良いことがあるかもしれませんし、無いかもしれません。「最高裁判所裁判官国民審査」は、「この裁判官はクビにすべきだ」と思う最高裁判所の裁判官に対してバツを付けて投票し、有効票数の過半数が「この人はクビにすべし(バツ)」だとその裁判官がクビになるものです。これまた「クビにしたい人にマイナスの1票を投じる」ものです。余談ですが、国民審査は衆議院議員総選挙とセットで行われます。
陶片追放も国民審査も、「ヤバそうな人を退場させる」ためのシステムです。衆議院・参議院議員選挙においても、投票によって「良さそうな人を当選させる」と同時に、「ヤバそうな人を退場させる(入場させない)」という役割も果たしています。これまでは「一番良さそうな(マシな)人」に「プラスの1票」を投じてきましたが、政治の場から「ヤバそうな人」を退場させることを考えれば、「ヤバそうな人」に「マイナスの1票」を突き付けるシステムも必要だと考えます。
なお、「マイナスの1票」システムを実装する方法は一つではありません。
- 有権者は候補に対して「マイナスの1票」だけを投じ、「最も『マイナスの1票』を投じられた数が少なかった人」(一番マシな人)を当選させるシステム
- 有権者は候補に対して「プラスの1票」と「マイナスの1票」のどちらを投じるかを選択し、各候補者の得票数を(プラスの票数)-(マイナスの票数)で計算し、最多得票の人を当選させるシステム