我が身を守るためには、きちんとした権利を保持し、それを主張・行使し続けなければならない。一度失った権利を奪還するには相当な苦労をしなければならないのだから。
投稿日:2016年07月21日
最終更新日:
権利は主張して行使することによって完全なものになる。だから権利はきちんと使わなければならない。失ってからでは手遅れだ。
- 今では当たり前のように存在する権利(人権など)が確立される過程で、幾多もの先人たちが時には涙を流し、時には血を流してきた場合もある。様々な権利がきちんと確立されているからこそ、身体の自由や精神の自由、学問の自由などがあり、その他にもいろいろなことができるのだ。何があろうとも人権その他必要な権利を手放してはならないし、奪われるようなことがあってはいけない。
- 必要な権利を奪われないためにも、政治面での動向はきちんと監視し続ける必要がある。何でもかんでも政治家任せのままでは、悪徳政治家の暴走を止められないかもしれない。悪徳政治家には世論と選挙でNoのメッセージを突き付ける必要があるだろう。そして、権利をきちんと主張し、行使する必要がある。選挙で1票を投じるのはまさに権利の行使。
現代社会を生き抜く上で必要な権利の中には、先人たちが血を流して勝ち取ったものも無いわけではない。必要な権利を将来世代に継承するためにも、必要な権利を放棄する事はできない。
現在の我々には、人権を始めとした様々な権利が保障されています。例えば基本的人権は、日本国憲法で保障されています。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
日本国憲法
しかし、日本においても基本的人権が保障される前には戦争があり、幾多もの先人たちが血を流すことになりました。欧州の場合はフランス革命で人権宣言が出されましたが、やはり革命前や革命の過程で血を流している人がいます。現在では当たり前のように存在する権利も、それが確立される過程では先人たちが血を流していることがあるのです。
先人たちが血を流してまで権利を勝ち取ったからこそ、現在の我々は基本的人権があり、身体の自由や精神の自由、学問の自由などが保障され、その他にもいろいろなことができるのです。2016年7月現在は、改憲勢力が衆参両院で総議席数の3分の2に達し、いよいよ改憲への道が開かれました。しかし、自民党の日本国憲法改正草案には問題も多いです。「公共の福祉」の語が「公益及び公の秩序」に置き換えられている部分がありますが、「公共の福祉」が「ある人の人権とある人の人権が衝突した時に人権を調整する(他人の人権を侵害しないためにある)」ものであるのに対し、「公益及び公の秩序」は「みんな(国家)の利益や秩序(個人よりも集団・国家が優先?)」ということになります。「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」は、置き換え可能な単語では無いという解釈が可能です。
私としては憲法を現代社会に対応させるためのアップデートは必要だと思いますし、憲法の改正を頭ごなしに否定するようなことはしません。しかし、それも「憲法は国家権力を縛るものである」という大前提がキチンと守られていればの話です。自民党の日本国憲法改正草案は、国民を縛る規定がかなり多いのではないかと思います。人権が保障されないリスクが有る憲法ともなると、流石にこれはどうなのよとなります。今を生きる自分のためにも、未来を生きる将来の人々のためにも、人権その他必要な権利を放棄するわけには行きません。
人権その他必要な権利を奪われないためにも、政治面の動向はきちんとチェックしなければならないでしょう。自分が1票を投じた政党や政治家の動きをきちんと見つめ、ダメな政治をしていたら次の選挙できちんと落選させて退場させる必要があります。そう考えると、「訳分からんから投票しない」というのは良くないとされますが、「投票したけど後は知らん」というのも少々問題があるように思います。
ともあれ、必要な権利はきちんと主張し、きちんと行使しなければなりません。権利を失ってからでは遅いのです。例えば表現の自由が失われたら、もしかしたらこのブログも閉鎖を命じられる日が来てしまうかもしれません。ブログ閉鎖に追い込まれたら、私の意見を読者の皆様に伝えることもかなり難しくなってしまいます(そもそもこのブログに熱心な読者がいるのか…という問題は脇においておきます)。現在の我々が困窮しないためにも、未来に生きる人々が権利奪還のために再び血を流すような事態にならないようにするためにも、必要な権利はきちんと主張し、また行使しなければならないのです。
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