「昔はもっと大変だった」はある種の思考停止ワード。我慢比べ、足の引っ張り合いはもうやめよう!!

若者をdisる時、あるいは大変だったものをもっと楽にできるようにしようとする時(例:残業があったものをきちんと定時に帰れるようにする、育児休業や保育所の利用etc)などに、それなりの確率で「昔はもっと大変で云々」と言い出す人が湧いてきます。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、いわゆる「老害」にカテゴライズされると思います。もう足を引っ張り合ったり、我慢するのが美徳な時代ではありません。

時代が変わればやり方も変わる。必要なのは合理的な変化であって、我慢比べや奴隷の鎖自慢、足の引っ張り合いではない!!

  • 大変だったものが楽にできるようになることは、大変喜ばしいことである。これまで強いられていた労苦から解放され、また一つ暮らしやすい世界に向けて前進するのだから。
  • 時代が変われば、物のやり方だって変わってくる。変化し続ける環境に適応して生き残るためには、人間そのものも、物のやり方も、環境に適応する方向で変化していく。足を引っ張り合っていても、やり方は改善されず、大変なことは大変なまま残り、やがて自らを破滅へ追い込んでしまう。いい加減足の引っ張り合いや我慢比べが害であることに気づくべき。
  • 我慢することは美徳でもなんでもない。我慢のし過ぎは身体に毒だ。足の引っ張り合いや我慢比べ、奴隷の鎖自慢をやめて、現状を改善していく必要があるのではないか。「昔はもっと大変だった」とかいう人は、社会が変化していることに気づいていない人だ。

足を引っ張り合っていても、現状は改善されない。我慢比べをしていても、大変なものは大変なまま。

日本人は、とにかく出る杭を打ちまくります。これでもかというくらい出る杭を打ちます。まれによくある足の引っ張り合いです。同調圧力が半端じゃないので、何かにつけて「みんなに合わせる」事を要求されます。そして、空気とか言うよくわからない基準から逸脱した人、すなわち出る杭は、容赦なく叩かれます。物事を改善しようとしても、やはり空気から逸脱し、叩かれます。かくして物事は一向に改善されず、閉塞感が漂い、ひたすら足の引っ張り合い(という名の内部抗争)に明け暮れ…という組織もないとはいえないでしょう。「空気」を読み、「空気」に合わせる文化や、すさまじい同調圧力、「出る杭は打たれる」文化です。社会不適合者と言われる人が発生してしまうのも、その辺りに原因があるかもしれませんが、その辺は別の機会に。

「出る杭は打たれる」空気の中では、変化を嫌い、みんなで足並みを揃え、逸脱する者を容赦なく叩く。そんなところは多かれ少なかれあるでしょう。しかし、それこそが、現状が改善されず、大変なものが大変なまま、法律違反なもの(サービス残業、自主的という名の強制なんたら(←強制参加な部活とか))が法律違反なまま、化石になって残ってしまっている原因であることに、いい加減気づくべきです。変化することは、苦労を伴う側面もありますが、環境に適応して生き延びたり、組織を持続可能なものとするためには、それなりに必要なものです。足を引っ張り合って変化(改善)を阻害していても、大変なものは大変なままです。

我慢することも、昔はそれが美徳だったのかもしれません。しかし、我慢のし過ぎは身体に毒です。イスラム教のラマダン(断食)も、断食するのは太陽が出ている間だけ(夜は飲食自由)ですし、妊婦や病人、乳幼児、重労働者などのために断食免除規定がきちんと存在します。イスラム教の神アッラーは、人間にとって我慢のし過ぎが身体に毒であることをお察しになられたのだと思います。(ラマダーン – Wikipedia参照) 我慢比べをするくらいなら、現状を改善する努力をすべきではないのでしょうか。

怠けるために勤勉に働くのが人間。未来で楽するために、現状を改善する。

人間はなぜ勤勉に働くのか。それは怠けるためだと思います。人間はどう頑張っても怠ける生物です。しかし、怠けているだけでは、そもそも生きることが不可能だったりします。生きて怠けるために、勤勉に働いて生きる糧を得るのです。コンピューターに色々なことをやらせるのは、最初の1回だけ頑張って、2回目以降は労力を使わずに事案を処理するためだと思っています。

人間は、怠けてしまう生き物ですが、未来の為に頑張ることができる生き物でもあります。大変な現状に変革をもたらし、事案が楽に進むようにするのも、未来で楽をするためです。怠け心が技術の進歩を実現したという側面もあるのではないかと私は思っています。そんなことを言うとまた「昔はいろいろと大変だったのに最近の若者は(略)」とか言う輩が湧いてくる気もしますが、変化と改善は必要なことなのです。「昔はもっと大変だった」というのは簡単ですが、それは思考停止に陥り、改善を放棄している人の発言だと思います。現在求められているのは、出る杭を打って変化を阻止することではなく、出る杭を伸ばして変化をもたらし、未来で楽をすることだと思うのです。

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