終わりなき慣習治国家。慣習が通れば法律が引っ込む!?
投稿日:2016年02月06日
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違法慣習 vs 法律 …法治国家ならば「法律」が勝つ。日本が慣習治国家である限りは「違法慣習」が延命される。
- サービス残業する慣習とか。部活には全員が参加する慣習とか。そういう無茶苦茶な慣習(明文化されているかは問わない)が、法律を無視してなんとか延命されているのが今の日本。慣習が法律よりも上にある。コレを私は「慣習治国家」と呼ぶ。
- しかし、日本は本来「法治国家」である。明文化された(憲法違反でない)法律によって、国民を支配する。「慣習治国家」は、本来あってはならない支配形態。これがまかり通っているのが現在の日本。
- その慣習がどんなに伝統的で重要なものであっても、違法なものは違法。慣習も現代の法律に適合するようにアップデートしなければならない。サービス残業の慣習は即時全廃。部活の加入は完全に生徒の自由意志で。
慣習の持ちたる国ニッポン
言うまでもありませんが、現代社会の基本原則は、「法の支配」です。事前にきちんと明文化された(憲法違反でない)法律によって国民を支配します。法律より上位のルールは基本的にはありません(憲法は例外。国家を縛り、国家の暴力から国民を守る。)。憲法以外に法律よりも上位のルールの有効性・正当性を認めたら、法律の意味がなくなります。慣習もまた、法律に則ったものでなければなりません。ローカルルールもそうです。ある会社が就業規則で「残業代は支払わない」なんて規定した日には、「労働基準法違反」となり、当然そんな就業規則は無効です。(そしてその会社はブラック企業の烙印を押されます。)
しかし実際には、サービス残業などの違法慣習が今なおしぶとく延命されているのはご存知のとおりです。ブラック企業ブラック企業言いますが、ブラック企業ではまだ生ぬるいです。ブラック企業は「法律違反悪徳企業」に改名すべきだと思います。また、いくら合法的に残業させても、長時間労働を前提としたシステム自体が過去の遺物です。通暁業務の処理に残業を使うのはいただけません。残業は、納期が差し迫っているとか、決算期の超忙しい時などのみに発動する最終手段にすべきです。人間の瞬間最大出力と、常用出力は違うのですから。
ともあれ、慣習による支配はいただけません。慣習は明文化されていないことも多く、「空気を読め」となることもままあります。しかし、いくら空気を凝視しても、慣習の条文が浮かび上がってくるわけがありません。空気を読めと言われても、読みようがないのは当然です。空気に文字を書けたら、(そしてそれをきちんと目で見て読めれば)それこそ世界的大発見でしょう。そして、明文化されていない慣習は、恣意的に運用されることもあり、なんかこう無茶苦茶です。ルールが有るならきちんと明文化するべきでしょう。
伝統的慣習も法律には逆らってはいけない。慣習治国家の脱却を!!
やはり慣習は、いまだに大きな力を持っており、それに逆らうことはかなり大変です。法律違反な慣習が未だしぶとく生き残っていることからも、如何に慣習の支配が行き渡っているのかが見て取れます。しかし、慣習も法律違反ならば、それは改めなければなりません。慣習を改める必要があるのです。
日本が法治国家を謳うのならば、まずこの慣習治国家な現状を大々的に改め、法律違反な慣習を全部叩き潰す勢いでなくし、真の意味で国民に自由を保証しなければならないと思います。慣習の支配がある限り、自由の保証は難しいです。いかに慣習に伝統があろうとも、そんな背景は関係ありません。慣習が法律違反だからなくすor合法的で自由を保証できる方向に改める、ただそれだけです。慣習治国家の脱却が、現在の日本には求められているのではないでしょうか。