「ゆとり世代=ダメ世代」という(偏見に満ち溢れた)イメージを作ってしまった最大の戦犯は文部科学省。「脱ゆとり宣言」は国家としてのゆとり世代差別ともとれる。
投稿日:2016年05月15日
最終更新日:
「ゆとり教育との決別」は、つまり「ゆとり教育はダメだった→ゆとり世代はダメだ」と国家が結論づけてしまうようなもの。すなわちゆとり世代差別。ゆとり教育を推進したのは国家なのに。ゆとり世代に対してあまりにも残酷ではないか?
- 国家を運営するのは人間だから、失敗が発生するのは致し方無い。だが失敗の犠牲者を差別したり貶めたりすることは許されないはずだ。「ゆとり教育」と「ゆとり教育と決別する」発言の組み合わせはおかしい。「ゆとり教育の全否定ではない」とも言ったが、やはり「決別」という表現では「ゆとり教育は失敗だったんだな→ゆとり世代はやっぱりダメなんだな」という見解を国家が公認することになってしまう。
- 「ゆとり世代」の学生がダメなわけでもなければ失敗したわけでもない。失敗したのはゆとり教育を行うことを決めた国家であり、つまり当時の大人たち(政府の中の人)である。自分たちでゆとり教育を推進してゆとり世代を生み出しながらゆとり世代を差別するとは何たることか!このような惨事が二度と起こらぬようにしなければならない。
「ゆとり教育との決別」という表現は、「ゆとり世代」を差別用語にしてしまうおそれがある。当時の学生に対する残酷な仕打ち。失敗したのは当時の学生ではなく、当時の国家(の中の人)だ。
「古代エジプト人が『近頃の若い者は云々』と言っていた」という都市伝説は結構有名ですし、現代に至ってもやっぱり「近頃の若い者は云々」というお決まりのフレーズで若者を批判するご老人(「老害」といわれることも)がいないわけではありません。しかし、少年犯罪統計データを見ればわかりますが、少年犯罪が最近急増しているというわけではありません。少なくとも殺人で検挙された少年が多いのは1950~60年代あたりです。データからすればむしろ「近頃の若い者は云々」などという差別的発言をかましている世代のほうが現在の若者よりもひどかったのではないかと。(参考サイト→少年犯罪は急増しているか(平成19年度版))…話がいきなり脱線しましたね。
ゆとり教育を行うことを決めたのは言うまでもなく国家です。国家とて運営しているのは人間ですから、失敗が発生するのは致し方ない面もあります。「弘法にも筆の誤り」という諺もあるくらいですから。…しかし、失敗の犠牲になった人を差別することは果たして許されるでしょうか?否、断じて許されることではありません!以下、文部科学大臣の記者会見での発言の一部です。
記者)
今朝、一部報道で、大臣が近く、ゆとり教育との決別を明確にされるという報道がありましたが、その点についていかがでしょうか。大臣)
…(中略)
近々出します。以上です。記者)
脱ゆとり教育宣言を出される意図を、もう少し詳しくお聞かせください。大臣)
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年5月10日):文部科学省
そうですね、私、大臣を拝命してちょうど7ヶ月くらいになると思います。どこかで、ゆとり教育との決別宣言を明確にしておきたいと思っていました。もちろん全否定ではありません。しかし、私はゆとり教育がゆるみ教育と、間違った解釈で現場に浸透してしまったのではないかという危惧と、そういう現場の声を矢がつきささるほど、たくさんいただいてまいりました。これまで国会議員として21年間、文教族議員の一員としてやってきた者として、本来目指されていたゆとり教育と、本質的なものが現場では違っていたというじくじたる思いがありますというのが一点目です。
「全否定ではない」と添えてはありますが、明確に「ゆとり教育との決別」と言い放っています。「ゆとり教育は失敗だった(つまりゆとり世代は失敗作)から、ゆとり教育を切り捨てて次のステージへ進もう」とでも言いたげです。このような表現をされてしまうと、「ゆとり教育は失敗だったんだな→ゆとり世代はやっぱりダメなんだな」という解釈が可能になってしまい、ゆとり世代差別を更に推し進めてしまうことになります。国家として「ゆとり世代」を差別用語にするつもりでしょうか。いくらなんでもこれはひどい
こういうの見ると、私たちゆとりは失敗作だったって烙印されてるみたいで悲しいね。私はゆとり教育好きだけど、別に望んで受けた訳じゃない。たまたまこの年に生まれたからゆとり教育だっただけ。それなのにゆとりだからって言われるとモヤモヤする。 https://t.co/tzgNwfYNn2
— 町田彩夏 (@Ayaka_m_y) 2016年5月11日
『ゆとり教育との決別』とか『教育再生』とか、その教育で育った世代と学校を出来損ないのように言うのは失礼でしょう?
— ゆうけん (@yutakenta64) 2016年5月10日
教育を受けた生徒や施した学校が失敗なんじゃない。失敗したのは政府や文科省の政策です。
ちょっと待て。決別を宣言する前に国民に謝罪すべきじゃないか。誰も、好き好んで「ゆとり教育」を受けたわけじゃない。「ゆとり」が文科省の指導じゃなかったとでもいうのか? https://t.co/AeXQwEjqVT
— masanorinaito (@masanorinaito) 2016年5月10日
“ゆとり教育”は失敗だ
— 翠@広くそこそこ深く (@selenia_aki) 2016年5月10日
“ゆとり教育”とは決別しなければならない
…私たちは失敗作なのだと突き付けられたように思う
私たちは大人たちの用意した環境で、彼らの望む通りにしていたのに
旅行先で、何も悪びれた様子もなく「これがゆとりだから」と言われた時の虚しさは忘れられない
確かに差別を完全になくすことは不可能かもしれません。しかし、差別を新たに生み出さず、また解消していく努力は必要でしょう。今回の「ゆとり教育との決別」は、ゆとり教育で育った世代に「差別されることを受け入れろ」と宣言しているとも考えられます。「差別されることを受け入れろ」といわれても、到底受け入れることはできません。今回の惨劇がもう二度と起こらないことを願うばかりです。。。
参考リンク